書評 - 田中慎弥『共喰い』(第146回芥川賞受賞作) 悪文で書かれたマザコン物語
読後感をキャッチフレーズ的に表現すれば、「悪文で書かれたマザコン物語」となる。
田中慎弥『共喰い』を読んだが、言葉の遣いかたに欠陥がある上に、描写力の乏しさから、うまくイメージのわかない箇所が多くて、読了したという満足感に乏しい。例えば……
[引用 ここから]……
欄干に結びつけられた白い風船に見えていたものに細い首が生え、鷺になって飛び立つ。
……[引用 ここまで]
鷺が風船に見える? まだ鳩ならわからぬでもないが。仮にそう見えたにしても、この表現では、なかった首が唐突に生えてきたみたいでおかしい。
[引用 ここから]……
夕食に琴子さんが出してくれた厚い肉は、しっかりと茶色く焼かれ、しかも皿を卓に置いただけでぶるぶると震えるのだった。[略]ナイフとフォークで皿を叩くようにして肉を食べた。[略]遠馬は脂だらけの皿を自分で洗った。
……[引用 ここまで]
できれば、わたしもステーキのお相伴に与りたかった。だが、ステーキの焼き加減がどんなものかがわからず、食いしん坊のわたしは食べ損なって不機嫌になった。レア、ミディアム、ウェルダンの一体どれ?
しっかりと茶色くとあるとウェルダンかと思ったが、ぶるぶる震えるとなるとレア、あるいは限りなく生に近いブルーかもしれないと考えた。皿を叩くようにして食べるとなると、いや、こんな食べかたが可能なのは完全に中まで焼いたヴェリー・ウェルダンだと思った。ところが脂だらけの皿とあるではないか。ヴェリー・ウェルダンだと、フライパンの中に脂がとけ出ていて皿が脂だらけになるはずはない。かといってレア、ミディアムの場合では、生の肉汁が出ているはず。
主人公は食べる前に、父の愛人である琴子さんの二の腕や胸の膨らみを意識するのだから、このステーキは小道具としてもっと上手に使わなくては損ではあるまいか(とケチな主婦は考える)。
父と琴子さんのセックスを主人公が盗み見するシーンにしても、そのお相伴に与ったところで、描写力に乏しい――というより欠陥があると、ドキドキするどころか興ざめなだけで、むしろ顔を背けたくなる。感想を書くという目的がなければ、ここでわたしは雑誌を閉じていただろう。
[引用 ここから]……
階段の上から目だけで、豆電球のともっている座敷を覗く。見るのは初めてではない。大きくて厚みのある琴子さんに小柄な父が埋め込まれ、その肉の塊が、不自由を味わっているように、苛立たしげに、止ることなく動いている。父ははっきりした呻きを短く漏らし、琴子さんは吐息を大きく噴き上げる。やがて、密着していた肉に破れ目が生まれた。父が腰を振動させながら上半身を反らせると、琴子さんの髪を掴み、反対の手で頬を張った。肉の音から少し遅れて琴子さんの吐息が出、それに反応したように父の動きが速くなり、両手を首にかけて締め上げる。腰がほとんど機械的に上下動し、父は頭を天井へ向けて突き上げると、水が小さな穴に吸い込まれるのに似た声を出し、硬直し、崩れ落ち、荒い呼吸をしていたが、
「あーら。」と、まるで昼寝から起きたように穏やかな声で立ち上がった。今度はいつ見られるだろうかと遠馬は思った。関節が外れてしまった感じの恰好で伸びている琴子さんの体と、それをじっと眺めているらしい父の下半身だけが、一階の天井と階段の手摺の間から見えた。父の呼吸に合わせて、まだ硬度を保って水平に突き出されている赤茶色の性器が揺れた。
……[引用 ここまで]
主人公が階段に佇み、息をひそめて階下を見下ろしている場面だろうが、「目だけで」とあると、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる目玉おやじを連想してしまう。
前掲の場面に続く場面なので、主人公の厚い肉を食べる場面がこの場面を誘導するためのものだったとわかる。とはいえ、焼き加減は不明ながら皿の上の豪華なステーキを女性の肉体にイメージ的に重ねるには無理がありはしないか? 父がまたレゴのパーツか何かのように、琴子さんに埋め込まれたという。その動きときたら、器用すぎて、わたしにはイメージしかねる。「あーら。」と昼寝から起きたような声と行動が奇妙なら、崩れ落ちた後でなお硬度を保つ器官は奇怪な印象さえ与える。
そして、主人公には父の下半身しか見えていないにも拘らず、なぜ、父が琴子さんをじっと眺めているとわかるのだろう? 関節が外れてしまった感じの恰好で伸びている琴子さんは、肩がガタっと下がったりしているのだろうか。いや、殴られたのは頬だから、顎が外れた? わたしは顎が外れた経験があるが(殴られてではない)、あれは相当に痛くて伸びてなどいられないはずだ。
ぐったりと横たわっている程度のことを大袈裟に表現しているのだろうと想像するが、その前のほうには、吐息を大きく噴き上げるという表現もある。吐息とは、落胆したときやほっとしたときなどに出る息のことである。鯨の潮吹きのように、あるいは噴火のように噴き上げられるような壮大な息を、吐息とはいわないだろう。これも息が荒くなった程度のことの大袈裟な表現かと思われる。作者には《白髪三千丈》式の大袈裟な表現が多い。純文学では逆効果ではないだろうか。
[引用 ここから]……
夜が時間と一緒に固まってしまいそうだ。
……[引用 ここまで]
こんなことを書かれると、夜がゼリーで、時間がサクランボか何かみたいだ。わたしにはここに書かれたような感覚を主人公と共有するのは無理である。
もうよそう。
テーマとしては、同じサド的傾向を持つ父と息子の確執ということになるのだろうが、父が殺害されて幕が下りるこの小説の古典にはなさそうな特徴といえば、父を殺害するのが息子ではなく、母親というところにある。マザコン物語といってよさそうだが、かといって、そこのところが追及されているわけでもなく、小説としては何とも締まりが悪い。
ムードを盛り上げるための小道具ばかりが目につく小説である。その小道具として川が使われ、生き物が使われ、義手が使われ、結局のところ、登場人物も小道具にすぎないと想わされる空虚さだ。この作品がなぜ芥川賞に選ばれたのかが、わたしには全くもってわからない。ああ、苛々して、うなじの湿疹を掻き毟ってしまった!
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