幼年童話と五感の発達。マリー・ホール・エッツ『わたしと あそんで』(福音館書店)。
- 4~6歳対象で10枚
- 幼児から小学1~2年対象で15枚
という目標を掲げて、まず4~6歳対象の童話にチャレンジしているところだが、難しい。
子供の発達は目覚しいから、自分の子供たちのことを思い出してみても、4歳児と6歳児では全く違う。幼稚園生で考えると、
- 年少……3歳~4歳
- 年中……4歳~5歳
- 年長……5歳~6歳
という理解でいいだろうか。
孫でもいれば、もっと身近に感じられるのだろうが、幸い、子供たちのその頃のことはよく記憶している。
幼稚園の頃の自身の感覚はこの年齢になっても刻印されていて、幼稚園のお弁当温め機から漂ってくる匂い。薪や炭、雪、お日さまの香り。動物の毛の匂い。月の光をあれほど生々しく肌に感じることも、それ以降はめったにない。
幼年というのは五感の発達するときで、ここからこうといった線引きはできないにせよ、ぐんぐん頭脳的になっていく小学校からとは違いがある。その五感に添う、わかりやすい、はっきりとしたお話を書きたいのだが、どうしても、小学生以上を対象としたものになってしまう。
ただ、4歳~6歳が対象の童話といっても、大人が読んであげる場合と、子供が自分で読む場合とでは、これまた違う。そこで、「こどものとも」を何冊も読んでみた。うーん。
悩んでいても始まらない。何編も書くうちに書けるようになるだろうと期待しつつ、とにかく書いてみることにした。題材は、以前から温めていたもの。どうしても、その題材を生かしたい。時間の流れを、一日単位にするか季節単位にするかで迷う。
マリー・ホール・エッツはさすがに上手だ。
同じエッツの『もりのなか』は、わたしは怖い。しかし、たまにどうしても読みたくなり、今度こそ買おうと書店に行くが、読み直すとやはり怖くて買えない。家に置いておくのが怖いのだ。
なぜだろう。リンドグレーンに対するような、信頼できる怖さとは違う。どこかしら油断できないものを感じてしまう(これはあくまでわたしの特異な感じかたにすぎない)。
日本人作家では、神沢利子が好き。
海たまごでラッコをみたとき、『いたずらラッコのロッコ』を思い出した。海たまごのラッコは、プールを行ったり来たりしていたが、ターンするときに必ず観客のほうをチラッと見た。その飄々とした表情に、何だかこちらのほうが見られる動物になった気がした。
『くまの子ウーフ』は小学2~4年向きとある。内容は案外抽象的で、哲学がかっているところすらあるから、対象としてはそんなものかもしれない。
ただわたしは、神沢利子の作品では、読んでいて結構、止まってしまう。
たとえば、めんどりがウーフにたまごを「あんたがもらいにきたらそのたびにうんであげるわ。」という場面。
これは無精卵と解釈していいのだろうか。昔読んだときに、めんどりがわが子をくまの子に生贄として差し出す場面に想えて怖いと感じて以来、何度読んでもここで止まってしまう。大人になってからは、無精卵だから大丈夫、と自分を納得させようとするけれど、だめだ。『銀のほのおの国』も、ウサギが毛皮の履物を履いて出てきたところで、その不自然さにそこで止まってしまった。
止まりはするが、奥行きがなく、複雑でもない。気楽に読めるから、好きなのかもしれない。こう書くと、賛美しているのかその逆のことをやっているのかわからなくなってくるが、五感を基本にして頭で考え、工夫して書かれている作品という気がする。ホームメイド的といおうか、親しみがわくのだ。
リンドグレーンの作品の場合は、気楽に読むこともできるが、深みにはまろうと思えば、いくらでもそうなることが可能だ。その作品のうちに潜む哲学的な深みは、ほとんど霊的といっていいぐらいに、重層的で謎めいている。日本の児童文学作家に、リンドグレーンのような詩情、ユーモア精神、哲学性、霊感を備えた作家はいない。
リンドグレーンの先輩といってよいスウェーデンの児童文学作家ラーゲンレーヴにも同じ傾向が見出せるが、ラーゲンレーヴには、リンドグレーンのような怖さはない。大人向きに書かれた神秘主義小説『幻の馬車』(角川文庫)はわたしの宝物。根に潜むものがラーゲンレーヴの場合は性善説であり、リンドグレーンの場合には高潔ながらもっと深刻なもの――鋭く人類の愚かさを見据えた怒りと哀感――の存在を感じさせる。
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