シネマ『ブリューゲルの動く絵』を観て
昨日、『ブリューゲルの動く絵』という映画を観た。
監督は、ポーランドのレフ・マイェフスキ。2011年、ポーランド・スウェーデン製作。
公的な出生記録の存在しない当時、画家ブリューゲルがいつどこで生まれたのかはわからないが、1525年から1530年の間に生まれたと推定されている。
1551年、アントワープの画家組合にマイスター登録。アントワープ、次いでブリュッセルで暮らした。
小さな港町だったアントワープはブリューゲルが暮らした当時、ヨーロッパの中心都市として繁栄を極めていた。
ブリューゲルはそこで長く暮らし、1552年頃にイタリア旅行。1562年、ブリュッセルに移り住んだとされる。
ブリューゲルの絵に入り込んだみたいな気分にさせられる、リアルな映像だった。
パンフレットによると、
①ポーランド、チェコ、オーストリア、ニュージーランドでのロケーション撮影した映像
②ブルーバックの前で演技する俳優たち
③7×20メートルもの巨大なキャンバスにマイェフスキ監督自身が描いた《十字架を担うキリスト》の背景画
が、編集の段階で組み合わされたという。
16世紀のネーデルラントの日常に、人類の記憶の中で屈指の事件(ここでは新約聖書中最も深刻な一コマ)がさり気なく置かれるというブリューゲルの手法がよく理解されて製作された、見応えのある芸術映画となっていた。
ストーリーらしいストーリーはない。
ルトガー・ハウアー扮するブリューゲルが、マイケル・ヨーク扮するパトロンのニクラース・ヨンゲリンクに《十字架を担うキリスト》のモチーフや構図を語らせるかたちをとって、ただ、ただ、絵の解釈を示すことに終始した映画だった。
どこまでが実物で、どこからが絵かがわからないほどだった。
登場人物たちの衣装は16世紀フランドル風の色合いを出すために野菜や果物を用いて染められた手縫いの作らしいが、よい色合いだった。わたしは聖母マリアの衣装のやわらかで上品な色合いに魅了された。
画家ブリューゲルを演じたルトガー・ハウアーは悪くはなかったが、ブリューゲルの自画像からすると、重厚さがタフ・ガイに置き換えられてしまったという風貌に加え、透徹した鋭さという感じがあまりなく、物足りなさは否めなかった。
老年期にあるシャーロット・ランプリングが、嘆きの聖母マリアと16世紀に生きる主婦とを二重写しにしたような二役を好演。
怜悧な感じが年輪を重ねることによって和らぎ、抑制の利いた気品のある表情はなかなかよかった。
新婚らしき仔牛売り夫婦がピクニックのように食事を楽しんでいたのが、暗転。
男性が赤い服の騎士たちに散々鞭打たれたあと、ポールの先にとりつけられた車輪に置かれて空中高く晒され、鳥に啄まれる車輪刑に処される場面では、顔を覆ってしまった。
それはまるで、チベット仏教などでは神聖とされる鳥葬の、あくどい戯画化のようだった。
何て残酷でグロテスクな見せしめなのだろう。キリストの磔刑のほうがまだしも刑としては人間らしい、と感じさせるほどだった。
処刑が日常化した中でも、子供たちは生き生きと遊び、飼われて使役されたり売られたりする動物たちは可愛い。
ネーデルラントの日常生活に暗躍した異端狩り。
大人たちには、平静と無関心とを装って暮らさざるをえない過酷な現実があった。
ハプスブルク家がスペイン他ネーデルラントも支配していた。
ハプスブルク家フェリペ2世の命令で、ネーデルラントの異端を一掃するため、スペインからアルバ公が送り込まれた。
密告制度が恐怖政治を出現させたといわれるが、アルバ公がブリューゲルの暮らすブリュッセルへやって来たのは、1567年。映画に登場する『十字架を担うキリスト』が描かれたのはそれ以前の1564年だった。
アルバ公進軍のその年、ブリューゲルは40歳前後だったとされる。
不吉な予兆がブリューゲルに『十字架を担うキリスト』を描かせたのかもしれない。
アルバ公の進軍以前から民衆を苦しめる様々な事件が勃発して、既に人口は減少していたのだった。
アルバ公の評議会は8,000人のネーデルラント人に死刑を宣告。
ブリューゲルの死はアルバ公進軍の2年後、1569年のことだった。
死の前年に、『盲人の寓話』『絞首台の上のカササギ』『人間嫌い』『農夫と鳥の巣取り』『足なえたち』『嵐の海』といった傑作が矢継ぎ早に描かれていく。
率直すぎるくらいの作風とブリューゲル自身とが弾圧の対象とならなかったのが不思議なくらいだが、ブリューゲルは死の直前、妻に指示して危険と思われた素描画を焼かせたという。
亡命する人々も多い中、ネーデルラントにとどまり続けた画家ブリューゲルが深刻な現状にどのように向き合ったのか、わたしはずっと興味を持ち続けているのだが、あの時代のネーデルラントを、現代の技術を駆使して再現しようとした映像に、ブリューゲルの絵に一歩近づけた気がした。
ブリューゲルが正統派(カトリック)だったのか、それともカルヴァン派、ルター派、再洗礼派などの異端派だったのかは不明だが、ブリューゲルの絵の傾向からすると、カトリック一辺倒な人物にはありえないモチーフや構図である気がする。
森の中での秘密の宗教集会の模様を描いた『洗礼者ヨハネの説教』は1566年に描かれている。
冷酷無比な人として知られたアルバ公の軍隊のやって来たのがその翌年だから、絵に描かれた人々は、野ウサギのように迫り来る足音に耳をそばだてながら集会に参加し、そして、多くが処刑されていったのだろう。
余談になるが、時を遡ること、ヨーロッパ中世最大の異端派として知られるカタリ派にとって、森はかけがえのない存在だったと、アーサー・ガーダムはいう。
カーダムは、イギリスで精神科医として高名だった人だが、自らの過去生の一つがカタリ派としての人生だったと自著『二つの世界を生きて――精神科医の心霊的自叙伝』(大野龍一訳、コスモス・ライブラリー、2001年)で語る。
輪廻転生を信じ、殺生を禁じ、世俗権力の否定と禁欲で知られたカタリ派は《西欧の仏教》と呼ばれることがある。
ガーダムによれば、カタリ派は、しばしば森で集会を行ったそうだ。また、森の中を逍遥することを愛した彼は、そこで瞑想したり薬草を集めたりし、また身を隠すために森へ行ったと書く。
絵の中の岩山の高みにある風車小屋の存在は謎めいているが、全能の神をシンボライズしたかのような映画の描きかたには、疑問がある。
それにしては、絵の風車小屋はあまりにさり気なく、つつましく、平和に存在しているからだ。
一つの達観、あるいはタロットカードでいう運命の輪(宇宙法則)をシンボライズしていると捉えるほうがぴったりくる気がするが、もしかしたらこの風車小屋は、一個人を超越した画家としてのブリューゲル自身をシンボリックに表現したものなのかもしれない。
※参考文献
○中野孝次『ブリューゲルへの旅』(河出書房新社、1980年)
○ローズ=マリー・バーゲン&ライナー・バーゲン『ニューベーシック・アート・シリーズ ピーテル・ブリューゲル』(ダッシェン・ジャパン、2002年)
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