神社に安らぎを求めて
生活不安は大きいのですが、せっかくやって来るお正月。
節約を感じさせない買い物に、頭を絞りました。尤も、夫がまだ古巣に戻れると思っていた時点でお節は頼んでいましたから、来客もないわが家、節約しようにもお節で既に最大の出費は済んでいたことになります。
だいたい宇佐神宮に初詣に行っていましたが、どうやらひと月前のネットニュースによると、宮司問題が解決していない模様。第二審も宮司任命権をめぐり、神社本庁と対立していた世襲家の女性らが敗訴とか。
卑弥呼に関心を持ち始めた15年以上前から、ちょくちょく宇佐神宮に詣でるようになりました。
白馬がいた頃は気に乱れを感じることもなかったのですが、その後、何か乱れを感じるなあと思ったことがあり、行くたびにその気配が鎮まらず、ますます乱れるものを感じていました。宮司問題が長引いていることを知り、納得。
で、去年は夫の厄払いを宇佐神宮でしていただきましたが、今年はわたしの実家があった祐徳稲荷神社に行こうかと考えています。
以前、この神社に馬鹿に興味が湧き、調べたことがありましたが、母方の祖母の家系が鍋島家の家臣だったとすると、京都から嫁した萬子姫によって創建された祐徳稲荷神社は、吉野ヶ里遺跡のある辺りから嫁いだ祖母にとっては、親しみの湧く、特別の神社だったのかもしれません。あそこで暮らしていた頃は、母が何もいわないので、何も知りませんでした。子守のおばさんからは萬子姫について物語のように聞かされましたが。
萬子姫は人格者として知られる立派なお姫様だったようで(信仰生活に入ってから19年後のその死は、即身成仏的なものだったとか。明治の神仏分離令までは、神仏習合は普通でした)、町興しの一貫として、何でも萬子姫饅頭なるものができたそうで……。
今、そういえば昔、萬子姫について個人誌に書いたことがあるはず、と思い、探してみたら、ありました。短編小説『茜の帳』の付録として、『萬子姫抄』というエッセーを書いています。何と、平成4年1月31日発行ではありませんか! ずいぶん昔だわ。
長いものではありませんが、書き写すには時間がかかりそう。でも、記事にしておきたいと思います。※
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伊万里焼について馬鹿に書かなければならない気がしているのも、それが鍋島藩の秘窯で生まれたものだからでしょうか。だとしたら、これも祖母つながりですし、祖母の家系が傍系にせよ、やまとのあやと関係があるのだとすれば、卑弥呼に対する関心も祖母つながりの贖罪的なものなのかもしれません。
卑弥呼に関しても、伊万里焼に関しても、何を書かなくてはならないのかは、現時点ではさっぱりわかりません。ただ、吉野ヶ里遺跡で(そこへ行ったときは、母方の家系のことなど、何も知りませんでした)、「わたしたちはもっと高貴に生きていた」という言葉をどこか高い階層から、音声ではなく、薫り高い、なめらかな光のような暗示として感じた、そのことがヒントとなるような気がしています。わたしたちは、あの時代の人々を原始的に想い描きすぎているのかもしれません。
大分県の日田市に引っ越したばかりの頃、悪戯ものの妖精だか、妖怪だか、眷族だか知りませんが、しきりに悪戯されるのを感じたことがありました。それで、大原八幡宮に詣でて苦情をいうと(勿論、心のなかでですよ)、大空の高いところで、大騒ぎが起きるのを感じました。
悪戯ものの眷族が、高い階層の存在からお叱りを食ったのでしょうか。
祐徳稲荷神社でも、そうした眷族や眷族の上位にある存在(人間とペットのような違いを感じます)を感じたことがありましたが、何も感じないこともあります。
神社に行きたくなるなんて……人間界の残酷さに疲れ、見えない領域に安らぎを求めたくなったのかもしれません。この窮地を乗り切れるでしょうか?
ここに書いたようなことは、家族には話しますが、他人にはほとんど話したことがないので(頭の螺子が飛んでいると思われちゃう)、わたしのブログを見て驚いている方々もいらっしゃるでしょうね。
一般的な人々は、自分本位、人間本位に生きているので(わたしも普段はそうです)、見えない世界がこの世に分かちがたく溶け合っていることを意識すらしません。
しかし、上下関係からいえば、見えない世界が主で、この世が従です。その根拠は、この世からは見えない世界が見えにくいけれど、見えない世界からはこの世がよく見えているというところにあります。
わたしにしても、見えない世界の観点から――オーラや心の声に重きを置いて――自分や他人や動物を見るほうが、その姿がはっきりします。
まあ、見えない世界が人間だとしたら、この世はペットですね。ヨガでは肉体が乗り物に譬えられます。
普段はわたしも全く即物的に生きていますが、嫌な、痛い、つらい体験をすると、見えない世界の存在を思い出します。そこから来て、いずれは帰っていくことになるあの豊かな世界のことを。
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