メモ一つ
これから、したい仕事が三つ。
①肉だんご作り
豚ミンチが安かったので、多めに買った。一部を冷凍にまわし、残りで中華風の肉だんごを作りたい。
だんごをこねるのに時間がかかるので、早めに始めなければ。
②ある雑誌に掲載されていた小説の添削を検証したい
時間食いそう……。
③絵本にしたいお話の執筆
これは、メモを整理しながらパソコンに打ち込む作業から。
児童文学作品Yに早く入りたいが、絵本にしたいお話は今後の自らの可能性を探るためにも、どんないびつなものになったとしても、絶対に仕上げたい。
わたしにはまだこうした作品の書きかたがわからない。だからこそ、書いてみることが大事だと考える。
高学年向きの児童文学作品も、最初はどうやって着想を得るのかでさえわからなかった。Pを書いているときにようやく、コツが呑み込めたのだ。絵本にしたいお話も、書いていくうちにひらめくところがあるかもしれない。
③はゆっくりとした時間帯でないとできない。深夜になるだろう。
②は、コンパクトな論の展開でも3時間はかかる。しっかりとしたものに仕上げようと思えば、数日は必要だ。そんな時間、当分とれないなあ。仕方がないので以下にメモだけ。
②にかんするメモ
ある雑誌に掲載されていた小説の添削で気づいたことがあり、これについて検証したい。
この指導傾向は、文藝春秋『文学界』における新人小説月評などにも通ずる、今の日本の文学界で主流をなす文学観を露呈していると思われる。
今や、作品添削、作品評論は、金太郎飴製造マシーンとなってしまっている。
作品に表現された個性や微妙なかけがえのないニュアンスが、指導する側、あるいは評論する側の固定観念、硬直した価値観、みずみずしさに欠ける、それ自体が植え付けられた思想によって、無視され、摘み取られていく。
指導、評論の名のもとにパターン化、思考の停止、作品(および作者)の可能性の切断が無自覚的に奨励される。
どんな小品といえど、一個の思想体系を宇宙――生きる環境――とする有機体なのだが、そんな敬意が払われることはない。自らの宇宙を覗き込んで、主となる思想がどこから来たのかを分析し、新しいものの見方を学ぶことによって、自らの宇宙を作品環境としてのより優れた場にするためのアドバイスや励ましは一切なされない。
指導する側、評論する側の奨励するパターンに嵌っているかどうかが問題なのだ。目的は芸術ではなく、お定りの評価に嵌り、目標となる売上高を弾き出せる製品を生産することなのだから。売り手の商業主義に指導する側、評論する側も染まってしまっている。規格外のものはお呼びではないというわけだ。しかし、その規格設定にしても、あまりにもお粗末で、売れないのが実態。
こんな作品殺し、可能性潰しが平然と行われてきた。
……
さて、これから洗濯物を取り込んで、美味しい肉だんご作りといきましょう。
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