危ない、危ない、また賞狙いの罠に……。
娘から、児童文学作品『不思議な接着剤』を賞用に書き直すのはよしたほうがいいといわれ、我にかえった。
ああ純文のときの二の舞になるところだった。
こんな風に作品を賞に合わせて変えていき、台無しにした挙げ句、賞には落ちて自信を喪失し、残るはずの作品は残らない……ということになって、賞狙いに懲りたはずだったのに。
ああ馬鹿は死ななきゃ治らない(死んだところで治るものか)。
新しく書こう。出来上がったものはそのままにしておくようにしよう。娘に『接着剤』を読ませておいてよかった。瞳のファンなので、作品が変なことになってほしくないらしい。すこやかに完成に漕ぎ着けてほしいという。時間はかかっても。
そうしよう(三歩歩いたら忘れるところが困る)。
新しい児童文学作品を書こう。220枚の。でも、新しい作品であれば、別に「つばさ賞」でなくてもいいわけだ。200枚くらいの児童文学賞は三つくらいはあった気がする。
いずれにしても、仕上げたばかりの児童文学作品Pの続編を書きたいと思っていたので、それを書こうかな。Pも、新しい作品Aも、もちろん独立して読める作品となるはず。
今日デパートでたまたま子供服が目に入り、これ、あの子に着せたいと思った。女の子なのだ。Pの主人公は少年で、Aの主人公はその妹。
評論はどうしよう?
30枚じゃまとまりそうにない。C・S・ルイスの功罪は検証しておきたいし、英語なので、どうしても確認の必要な事柄が出て来たときにも便利(英語は苦手だけど、辞書引きゃなんとかなる。ブラヴァツキーより難しいってことはないだろう)。
しかし、ジョージ・マクドナルドの再評価に関係したのがC・S・ルイスというのは、マクドナルドの不運だったなあ。ルイスは、神秘主義者の最後の砦である児童文学の世界(いや、クラシック音楽があった。今こちらも調べ始めている。音楽家にはわたしが想像した以上に、神秘主義者が多いらしい。これについては、記事を改める。そのうち。)をめちゃくちゃにしてくれた。神秘主義の象徴言語を無意味なものにしてくれたのだ。キリスト教のイデオロギーのために。
ルイスについての評伝を読むと、マクドナルドの不運がわたしの勘ぐりでなかったことがよくわかる。
もちろん神秘主義者の私怨で論を展開するつもりはない。文学的な問題があると思うからこそ、考察の必要を覚えるのだ。わたしの評論は「医者が患部を指摘しているみたいだ」と、これまでに5人くらいからいわれた。そういわれると、ヘンな気がするが、ケチをつけているだけといわれるよりありがたい。
ただ、やっぱり30枚じゃ難しい。どうしようか。
創作プランはまだ揺れに揺れている。児童文学作品Aを書くことだけはっきりして、それをどこに応募するのか、評論を書くのかは未定。
明日は今日行きそびれた循環器へ。明後日は家族と映画へ(三銃士)。今週中にはプランをしっかりしたものにしよう。
あ、10枚の童話はたぶん書きません。気が向けば、明日書きます。
それから、『不思議な接着剤』で賞を狙うのはよしにしましたので、カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」は公開を続けます。ご利用くださっている方々には、お騒がせしたお詫びを申し上げます。
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