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2011年11月 3日 (木)

児童文学作品A 2)沢山の断片。おおまかなストーリー。

 Aを主人公にするはめになったが、さっぱりお話が頭に浮かばないので、この案は放っておいて、別のお話を考えようと思いながら、入浴した。

 ところが、頭にシャワーを浴びていると、ふいにある映像が浮かんだ(シャワー効果?)。何か宿題をしていた少女が鉛筆を放り投げ、ベッドに身を横たえる場面だった。彼女が何の宿題をしているのか、わたしは見ようとした。なるほど。わたしが観察していると、彼女はベッドに横になったまま、携帯に取り込んだ画像を眺めている。

 NASA赤外線衛星が撮影したアンドロメダ銀河の写真だった。しばらくして、もう1枚。テニス中の男子の写真。

 わたしは前に書いた児童文学作品Pのように、小学校5年生くらいの少女を想定していたのだが、映像は中学1年生、いや2年生。どちらだろう。どちらでもあり、どちらでもなさそう。1年生と2年生では全く違う。たぶん1年生を3分の2くらいは終えた頃ではないだろうか。

 この映像(想像した場面)がきっかけとなって次々に断片があらわれ、当然のように主題が据わった。

 といっても、まだ本当におぼつかない段階だ。しかし、なぜ、ギリシア神話に登場するAを選ばされたのかがはっきりとわかった。この作品は『不思議な接着剤』とリンクする。その前編といってもよい作品になりそう。スタイルは全く違うけれど。『不思議』には、前世の「ぜ」の字も出て来ない。

 なぜラングドッグにいけなかったのかもわかった。まず、この作品を書かなければならなかったからだ。わたしは輪廻するAの魂を追わねばならない。彼女はかつてはエチオピアの王女だった。

 幸いなことに、この作品では海外くんだりまで取材に出かける必要はない。彼女の前世の記憶が思春期の成長過程で断片的にあらわれてくれるからだ。

 作者のわたしには、年とった修行者として死んだこと、彼の世のえもいわれぬ光と空気の記憶、この世に降りてくるときの憂鬱さ(宿題が重荷だったし、この世の雑な光と空気と環境が耐え難いだろうことがわかっていた)――の記憶があるだけだが(脳は生まれ変わるごとに新しくなるので、脳の記憶ではない)、主人公の少女にもそのような記憶があり、それはもっと鮮明でゆたかな記憶だと思う。

 ギリシア神話や新約聖書の世界と混在したかたちで、その記憶は甦る。この夏、大人向けの小説で描こうとしたテーマを再度ここでくり返すことになりそうだ。この新しい児童文学作品Aとその小説に出てくるヒロインの名前が妙に似ているとは思っていたけれど。

 『不思議な接着剤』と合わせると、壮大な子供のための歴史ロマンとなりそう。大人にも読み応えのある作品に仕上がると思う(うまく書ければだけれど)。

 今日は午後3時過ぎくらいから映画に行くが、休暇は2日しかなかった。断片が浮かんだ瞬間から「お仕事」の始まりで、終わるまで解放されることはない。少女が前世の記憶から今生の課題を読み取り、ひとりの女性として見事に脱皮することを願いつつ、執筆をすすめたい。中学生向きの作品になるだろう。

 1月末までには無理かなあ。書き始めてみなくてはわからない。200枚前後の賞は他にもあるし、最終的には賞など、どうでもよくなる可能性もある。

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