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2011年9月 1日 (木)

作品が完成する前の一波乱。残酷さが目立った『ハリー・ポッター』。

 昨日、31日の午前中に短編小説が完成しました。

 実は一昨日の30日、最後の最後になって小説が行き詰まり、朝、めったにないことですが、夫に八つ当たりしてしまいました。創作がうまく行っているときは、よくも悪くも楽天的になり、無敵という気分になるのですが、順調でないと、マイナス思考が強まります。

 お金にも何にもならない創作なんかやっていることに猛烈な嫌悪感が湧き、さっさと再就職しない夫にも怒りが湧き、いわずもがなのことをいってしまったわけです。 

 夫は怒り、プイッと出て行ってしまいました。無理もありません。夫は冷静にやっているほうだと思います。口約束だけというのが不安な(そうならざるをえない事情があります)、しかし実現すれば、夫のキャリアが生かせる現状ではベストと思える再就職口。それがはっきりするのは11月。

 12月までの浪人というのはわが家の家計にはちょっと厳しいものがあるので(それだけ少ない貯金が減っていく)、フルタイムの保険付アルバイトを見つけて……という算段でしたが、定年後となると、これすらなかなかないのですね。

 夫は怠りなく求人情報などチェックしながら、空き時間を生かして職業訓練校に行く予定でいます(テストに通ればですが)。そして、皿洗いと昼食の支度、買い物なども引き受けてくれ、規則正しくやっています。それなのに、八つ当たりしてしまって。

 結局わたしは、自分のことが一番心配なのだと思います。いざとなったらわたしも外へ働きに出ればよく、健康上の不安はあるにしても、出られないこともないと思っているのですが、そうなると、これまで毎日書いたり読んだり思考したりして保ってきた創作能力をドブに捨てることになるのではないかという不安でいっぱいになってしまうのです。

 若いとき、働きながらでも書いていましたから、書けないこともないとは思いますが、病身になってしまった今では体力的にひじょうに厳しいものがあるでしょう。夫は書店に出かけただけでしたが、わたしは自身を追い詰め、それがピークに達し……おやおや、不思議。

 わたしはそのとき、小説の行き詰まりを解消するのに一番ふさわしい状態を期せずして招いていたようです。なぜなら、主人公がそんな追い詰められた悲痛な心理状態にあったからなのです。

 八つ当たりはよくないことでしたが、お蔭でわたしは完璧に主人公の惨めな気持ちと一体になることができ、小説が流れ出して、めでたく完成しました。しばらくして夫が帰ってきたので、わたしは謝り、小説の話をしました。それからずっとほとんど寝ずに校正をし、昨日のお昼頃にある賞の応募先に作品を持って行きました。郵送では間に合わなかったので。

 作品は、ミューズからインスピレーションをいただいたとあって、自分ではかなりよいものに仕上がったと思っています。こんな作品はこれまで書かれたことがないと思うので、稀少価値があるでしょう。

 ただこれで賞がとれるかというと、難しいでしょうね。予選に引っかかることすら(よくも悪くも全く大衆向きではありませんから)。当ブログで公開中の『侵入者』という作品は大衆向きに書いたつもりでしたが、それすら賞には全くひっかかりませんでした。その後、同人雑誌に発表したところ、『文学界』の同人雑誌評欄で今月のベスト5に選ばれました。

 一応、落ちたときには書き直して(長くするか短くするかで迷いがあります)、別の賞へと考えています。ただ、神秘主義的な作風で重厚さがあり、また、お洒落な作品でもあるので、賞には恵まれないとしても、将来何らかのかたちで世に出る可能性はあるでしょう(希望的観測)。めったに書けないタイプの作品ですので、大事にしたいと考えています。

 窮地に陥ったときに書かせてくれるのがミューズです。今回、再認識しました。

 9~10月で、中編の児童文学作品を書く計画を立て始めました。長編になる『不思議な接着剤』とは別の作品です。ふっと、ある場面が浮かび、書きたくてたまらなくなったのです。それは神話に出てくる動物を素材としたものですが、その前に考えていた歴史を素材とした案がふたつあり、どれも面白く書けそうなので、迷います。

 昨日はわたしの作品を提出したあと、夫はハローワークに用事があり(失業保険を受けるには、4週間ごとにハローワークに行かなくてはなりません)、そのあと休日の娘も加え、家族で『ハリー・ポッター』を観に行きました。

 おっと思う場面はありましたが、全体に残酷で、魔法ならではの夢がありませんでした。イギリスは偉大な児童文学大国(?)で、魔法物、妖精物の宝庫ですが、ボストン『グリーン・ノウの魔女』、マクドナルド『黄金の鍵』『かるいお姫さま』、ホールデン『魔法つかいのリーキーさん』、トラヴァース『メリー・ポピンズ』、ノートン『空とぶベッド』、ファージョン『銀のシギ』、ロフティング『ささやき貝の秘密』などを思い浮かべ、『ポッター』はそうした伝統を汚しているとさえ思えます。

 『ポッター』では、普通の武器があれば解決(?)しそうな場面ばかり。ストーリー自体、悪魔的人物の分霊が主人公に入り込み、主人公が犠牲になって世を救うといった話は、既に存在したパターン。なぜか(よみがえりの石のお蔭か?)ポッターは助かりましたけれどね。

 映画の後、つい指を棒代わりに、「火炎放射器! あっ、線香花火になっちゃった」なんて悪ふざけしたくなりましたが。 

 予告で観た『三銃士』はちょっと面白そう。倹約が必要なわが家ですが、たまには映画にくらい行きたいと思っています。

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