ドラマ「JIN ―仁―」完結編、ついに最終話!
村上もとかのコミックのパラレルワールドともいえる、ドラマ「JIN ―仁―」が終わった。
アクセス解析を見ると、「JIN ―仁―」の検索ワードでお見えになるかたが増えてきていた。感想を書きたいと思いながらも、外出や家事やうっかりで、なかなかちゃんと観ることができなかった。
ということもあるし、毎回ドラマで「神の計画は」というキリスト教史観から出てくる――という意識は脚本家にはないのかもしれないが――言葉が繰り返され、そのことに神秘主義テイストのわたしは鼻白んでしまった……ということがあったのかもしれない。
それが最終回になると、「パラレルワールド」という言葉が出てきて、一気にSFめくといおうか、科学めくといおうか、それに伴い、仁も江戸に行った仁、江戸から帰ってきた仁、そのどちらでもありどちらでもない仁……と混乱を極めながら、皆――仁、咲、赤ん坊の安寿まで――が「白い巨塔」化したかの如く、天に手を差し伸べたりした揚句、脚本家の懸命な辻褄合わせを感じさせて終わった。
村上もとかの原作に比べてまとまりが悪いように思えたし、ワタクシ的には一抹の寂しさを感じさせられるドラマの終わりかただった。原作では、江戸時代にタイムスリップした仁の生きた痕跡が歴史として残る。しかし、ドラマでは、江戸時代に仁が及ぼした影響は残るのだが、そこで彼が生きた痕跡は跡形もなく消えてしまうという設定になっていた。
ドラマでは、江戸時代の仁がなした医学的貢献は仁友堂のメンバーの手柄となっていた。ペニシリンは歴史通りフレミングによって発見される一方、仁友堂のメンバーによって土着的に開発されてもいた。そして、後に内科には東洋内科という科ができたりしている。
また、仁が最も信頼した有能な助手の咲は、仁友堂の正式な一員とはならなかったようだ。日本初の女医でありながら、橘医院という小さなクリニックの助産婦、小児科医として慎ましい人生を終えたあたり、何んとなく研究中のマグダラのマリアを連想してしまった。
咲はさらに、野風の遺児である安寿を引き取って育てていた。その子孫が橘未来で、野風及び友永未来にそっくりだ。彼女は医学史を研究している。その橘未来の手術を仁が――友永未来のときとは違い、今度は自信に満ちて――手がける場面でドラマは幕が下りた。
江戸時代に生きる咲の記憶に仁の面影は残っていないのだが、咲は仁の残り香を忘れず、現代社会にタイムスリップして帰ってしまった仁に宛てて手紙を書く。咲の清廉な哀愁を帯びた表情は、祈りにも似た純度の高い恋情を物語っており、すばらしい一場面となっていた。
原作より多感で軟弱な南方仁(大沢たかお) も、隠れダンディーの坂本龍馬(内野聖陽)も、凛として婀娜な野風[友永未来、橘未来](中谷美紀) もよかったが、橘咲を演じた綾瀬はるかの可憐さ、健気さには、毎回心を打たれた。何歳なのだろうと思い、ウィキペディアで調べてみると、息子と同じ1985年3月生まれとあった。
胎児のかたちをした腫瘍や龍馬の影響については、原作でもドラマでも一応の医学的な説明がなされていたけれど、あれはどう考えたって、オカルト現象――憑依だろう。憑依霊というより、守護霊の部類だろうが。
原作では、仁と咲はめでたく結ばれている。子供はなさなかったが、明治の世になって医学の発展に尽くし、夫婦で大病院『仁友堂』を創立した。江戸時代から戻った仁はそこで治療を受けたのだった。
回復した仁は、「わしらあは……同じ船にのっちょるがじゃき」という龍馬に応え、「そういうことか龍馬さん…この体…この脳が我々の船。ならば…帆を上げよう…このわたしを必要としてくれる人が住む国へ」と決意する。
仁は国際機関の要請に応え、アジア・アフリカの医療過疎地へ医師として派遣された。GM(総合医療)を目指す仁は訪れた国々で江戸時代の経験を生かし、それらの国々で江戸時代の人たちの底抜けの笑顔と同じ笑顔に出会う。
10年後、仁はパリ大学医学部のGMドクターと面会する。そのドクターこそ、海外に渡った野風の子孫だった。
ストーリーの比較からいえば、わたしは原作のほうが馥郁としてスケールが大きいように感じられて好きだ。ドラマの魅力は俳優たちの個性と演技力に負うところが大きいように思う。
それにしても、村上もとかの「龍―RON―」にしても、この「JIN ―仁―」にしても、なぜか本妻的な女性と妾的な女性が出てきて、主人公は両手に華だ。
実は、わたしには前世の記憶が(彼の世の質感に関する記憶を交えて)一つだけごく断片的にあり(これは当然新しくなった脳の記憶ではない)、それによると、前世のわたしは修行者として高齢で死んだ精悍な男だった。が、今生では女だからか、両手に華で嬉しいというような心理は今はわかるようでわからない。わたしは一つの華だけでいい。
ただ、わたしは外見上も生活上も男性的といわれたことはないにも拘らず(自分でいうのもナンだが、若い頃は可愛いといわれたほう)、書くものでは男性的といわれることが多い。書くときは前世の自分が顔を出す気がしている。
こんなことを書くと、初めてご訪問になったかたは「とんでもないブログに来てしまった」と驚かれるだろう。まあ常連のかたがたは「また始まった」とお見逃しくださると思うが。この「「JIN ―仁―」のようなドラマを観ると、わたしはせつないのだ。多くのかたがたが置いてきた記憶の欠片をこの世に持ってきてしまったばかりに、仁の苦悩が身につまされて。
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