シモーヌ・ヴェイユの姪が書いた『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』
シモーヌ・ヴェイユに関する暴露本? いやはや、暴露本といえば、暴露本だ。赤い処女といわれたシモーヌには生涯一度だけ、レジスタンスの男性と肉体関係があったというのだから。
しかも、その情報源といえば、シモーヌの幽霊ということになるのだ。その幽霊は2度出現したという。シモーヌ・ヴェイユの後半生に特徴的なキリスト教的神秘主義の傾向と、そこから出た格調高い霊的表現に比べれば、姪のシルヴィの表現は心霊的としかいいようのないムードを伴っているように思う。
いずれにしても、これで、実存主義を支えたふたりのシモーヌに関しては、どちらも暴露本が出たことになる。シモーヌ・ド・ボーヴォワールに関する暴露本を書いたのは、教え子だ。
実は、『アンドレとシモーヌ』は、昨日入手したばかりで、読み終えていない。読み始めたばかりの昨日の時点では、何だか嫌気がさしていた。上に書いた部分を拾い読みしてしまったのがいけなかったのだろうが、なにしろ下記のような出だしなのだ。
“今までに一度ならずとも、叔母のシモーヌ・ヴェイユを否定するという事態に陥ったことがある。私はこの叔母との血族関係を、あたかも一族にいる薄弱児を厭うように恥じていた。このことを知って傷つく人もいるだろうし、ひどく馬鹿げていると思う人もいるだろう。しかし事実なのだ。”
わたしはどうしても、シモーヌ・ヴェイユの明晰かつ繊細な――まさにノーブルといってよい文章と比較してしまうのだった。それに比べたら姪シルヴィの文章は通俗的に思えた。評伝的筆致になるかと思うと、感傷的なモノローグ風の表現になったりし、回想が時系列で書かれていないことから来る読みづらさもあって、翻訳ももう一つかと不満を覚えた。
パラパラと本をめくって拾い読みするわたしの悪い癖は、弁解になるが、時間のなさに原因がある。つまらない本に関わっている暇がないので、手っ取り早く内容を知る必要からついそんなことをしてしまうのだった。
しかし、今日読み進めたところでは、意外に奥行きのある、バランスのよいシモーヌ・ヴェイユに関する評伝とも思えて来た。
シモーヌ・ヴェイユには欠けていたユダヤの伝統にシルヴィは詳しく、シモーヌのように自らのユダヤ系の血筋を否定するような偏見はシルヴィにはない。
また、ときにあくどい書きかたをしながらも、彼女が父アンドレと叔母シモーヌを誇りに思い、どこか絶賛しているようにすら思えるところのあるのが何だか微笑ましい。サリンジャーの娘も暴露本を出して父親を告発しているが、シルヴィはむしろパパっ子という印象なのだ。
要するに、著名人を持つことから来る様々な迷惑を被ってきたため、シルヴィは防衛的になっていると思われる。大衆は――やっぱりというべきか――シモーヌ・ヴェイユの哲学に興味を持つより、シモーヌの死にかたや聖女伝説に拘ったようだ。
聖女伝説をつくりあげるのに熱心だったのは、他ならぬシモーヌの母親、つまりシルヴィの祖母セルマだったということも明らかにされる。
だがシルヴィは、フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイが『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』で母親セルマとシモーヌの癒着現象に鋭くメスを入れ、シモーヌを拒食症と断じたような書きかたはしていない。
度の過ぎた子煩悩、といった捉えかたで済ましている。祖母の作るお菓子の味を知っている、身内の書きかたといってよい。
シルヴィ自身、小さな頃はシモーヌの再来とばかりに祖母セルマに可愛がられたようだが、そうした母親の傾向を嫌うシモーヌの兄アンドレの存在がこの家族における自浄作用となって、シルヴィは祖母の餌食とならずに済んだようだ。
シモーヌの親友であったシモーヌ・ペトルマンによって書かれた詳伝、シモーヌの信仰形成に寄与したぺラン神父と農民哲学者ティボンによる回想記、そして前掲のシモーヌの問題点を追及したグレイの研究書に、今度また姪シルヴィの貴重な著作が加わって瑞々しい光が当てられたわけだ。
シモーヌ・ヴェイユは、シルヴィの誕生の約1年後に亡くなったという。ペトルマンによる詳伝を読んだ人間であれば、シモーヌがシルヴィにミルクを飲ませる姿を思い浮かべることができるだろう。わたしもそうで、あの赤ちゃんが……という不思議な気持だ。
関連記事
パラパラと本をめくって拾い読みするわたしの悪い癖は、弁解になるが、時間のなさに原因がある。つまらない本に関わっている暇がないので、手っ取り早く内容を知る必要からついそんなことをしてしまうのだった。
しかし、今日読み進めたところでは、意外に奥行きのある、バランスのよいシモーヌ・ヴェイユに関する評伝とも思えて来た。
シモーヌ・ヴェイユには欠けていたユダヤの伝統にシルヴィは詳しく、シモーヌのように自らのユダヤ系の血筋を否定するような偏見はシルヴィにはない。
また、ときにあくどい書きかたをしながらも、彼女が父アンドレと叔母シモーヌを誇りに思い、どこか絶賛しているようにすら思えるところのあるのが何だか微笑ましい。サリンジャーの娘も暴露本を出して父親を告発しているが、シルヴィはむしろパパっ子という印象なのだ。
要するに、著名人を持つことから来る様々な迷惑を被ってきたため、シルヴィは防衛的になっていると思われる。大衆は――やっぱりというべきか――シモーヌ・ヴェイユの哲学に興味を持つより、シモーヌの死にかたや聖女伝説に拘ったようだ。
聖女伝説をつくりあげるのに熱心だったのは、他ならぬシモーヌの母親、つまりシルヴィの祖母セルマだったということも明らかにされる。
だがシルヴィは、フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイが『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』で母親セルマとシモーヌの癒着現象に鋭くメスを入れ、シモーヌを拒食症と断じたような書きかたはしていない。
度の過ぎた子煩悩、といった捉えかたで済ましている。祖母の作るお菓子の味を知っている、身内の書きかたといってよい。
シルヴィ自身、小さな頃はシモーヌの再来とばかりに祖母セルマに可愛がられたようだが、そうした母親の傾向を嫌うシモーヌの兄アンドレの存在がこの家族における自浄作用となって、シルヴィは祖母の餌食とならずに済んだようだ。
シモーヌの親友であったシモーヌ・ペトルマンによって書かれた詳伝、シモーヌの信仰形成に寄与したぺラン神父と農民哲学者ティボンによる回想記、そして前掲のシモーヌの問題点を追及したグレイの研究書に、今度また姪シルヴィの貴重な著作が加わって瑞々しい光が当てられたわけだ。
シモーヌ・ヴェイユは、シルヴィの誕生の約1年後に亡くなったという。ペトルマンによる詳伝を読んだ人間であれば、シモーヌがシルヴィにミルクを飲ませる姿を思い浮かべることができるだろう。わたしもそうで、あの赤ちゃんが……という不思議な気持だ。
関連記事
- 2009年3月13日 (金)
フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、岩波書店)
https://elder.tea-nifty.com/blog/2009/03/post-cb05.html
| 固定リンク
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 日本色がない無残な東京オリンピック、芥川賞、医学界(またもや鹿先生のYouTube動画が削除対象に)。(2021.07.20)
- 芸術の都ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」の実態が白日の下に晒され、外務省が公認撤回(2019.11.07)
- あいちトリエンナーレと同系のイベント「ジャパン・アンリミテッド」。ツイッターからの訴えが国会議員、外務省を動かす。(2019.10.30)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その17。同意企のイベントが、今度はオーストリアで。(2019.10.29)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その16。閉幕と疑われる統一教会の関与、今度は広島で。(2019.10.25)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- Mさん、お誕生日おめでとうございます(2023.11.07)
- 新型コロナはヘビ中毒で、レムデジビルはコブラの毒ですって? コロナパンデミックは宗教戦争ですって?(12日に追加あり、赤字)(2022.05.11)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- 姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)(2022.03.15)
- クリスマスには、やはり新約聖書(2021.12.25)
「文学 №1(総合・研究) 」カテゴリの記事
- ついにわかりました! いや、憶測にすぎないことではありますが……(祐徳院三代庵主の痕跡を求めて)(2023.07.04)
- 第29回三田文學新人賞 受賞作鳥山まこと「あるもの」、第39回織田作之助青春賞 受賞作「浴雨」を読んで (2023.05.18)
- 神秘主義をテーマとしていたはずのツイッターでのやりとりが、難問(?)に答える羽目になりました(2022.06.22)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- モンタニエ博士の「水は情報を記憶する」という研究内容から連想したブラヴァツキー夫人の文章(2022.02.20)
「シモーヌ・ヴェイユ」カテゴリの記事
- シモーヌ・ヴェイユと母セルマとガリマール書店の〈希望〉叢書(2018.10.10)
- 左派の源流となったイルミナティ ①創立者アダム・ヴァイスハウプトの天敵、神智学(26日に再加筆あり)(2017.04.25)
- ルネ・ドーマル(巖谷國士訳)『空虚人(うつろびと)と苦薔薇(にがばら)の物語』(風濤社、2014年)(2015.09.15)
- ルネ・ゲノンからシモーヌ・ヴェイユがどんな影響を受けたかを調べる必要あり(2015.09.10)