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2011年5月21日 (土)

自己責任において行う、今日からのウォーキング。

 昨日、循環器クリニックを受診し、先生にウォーキングを始めたことをご報告したが、これに対する先生の許可らしきものはいただけなかった。今のわたしの病状にウォーキングは益するより、むしろ障るという先生のご意見だろう。
 自らスポーツマンでいらして、スポーツのメリット・デメリットを知り尽くした、思慮深く、心臓の名医でもおありの先生のお考えなのだ、従わないわけにはいくまい。

※これは、あくまでわたしにしか当てはまらないことだから、同じ病名のかたであっても参考にはしないでください。一人一人、合う薬も病状も違いますので。

 しかし、やめる前にわたしは自己責任において、もう少しだけ実験してみたい。

 確かにウォーキングは今のわたしには、容易に癒えない疲れと体調の異変をもたらしがちだ。が一方では、家で体をいたわりながら過ごしていた日々にはなかった力強い明るさ、前向きの感じをもたらしてくれた。

 先生が海外旅行に賛成してくださったのは、精神的なメリットを重視してくださったからだと思う。でなければ、博多辺りに出るのでさえ懸念をお示しになる先生の許可がいただけるはずもなかった。

 そして、家に籠もるわたしの精神状態が、先の見えない、浮かばれない創作の現状、神秘主義者としての不甲斐なさの自覚とから、鬱々とした生産性の低いものであったことを知るのはわたしと、このブログの閲覧者だけだ。

 ウォーキングすることによって得られる、明るい前向きのエッセンスとは何かを解明してから、これをやめるなり続けるなりしたいのだ。
 極力無理はするまい。歩数は4,000から6,000にとどめよう。うっかり歩きすぎたときは充分に休養をとろう。

 本音を洩らせば、家に籠もる生活でついてしまった贅肉が、ウォーキングするごとにとれていく楽しみがあるのだ。
 体重はほとんど変わらないのに、体形が変わっていく。腰回りがすっきりしてきた。娘も同意見。ウエスト55に戻るのは無理だろうが、腰回りの贅肉には本当に本当にうんざりして死にたいと思うくらいだったのだ。

 上に書いた精神的に明るくなった理由には、このことも含まれる。勿論、それだけではなく、外部、自然とのふれあいがもたらす大きなメリットがあるわけなのだ。
 歩くことで始まる、自然を含めた外部的作用というものをもう少し解明したい、というのはわたしの神秘主義者としての側面から出た動機といえる。

 では、無理しないようにして今日も歩いてきますね!

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