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2011年5月19日 (木)

レビュー 056/祈/百年文庫(ポプラ社)

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  • ポプラ社「百年文庫」が素晴らしいので、読書ノートを作り、気ままにメモしていこうと思います。
  • まだ読んでいない作品については、未読と表示しています。
  • 一々「ネタバレあり」とは書きませんので、ご注意ください。

久生十蘭『春雪』
チャペック『城の人々』

 夢野久作、久生十蘭、小栗虫太郎は夫がワンセットにして好んでいた。
 夢野久作からは極上の嗜好品のような感じを持たされるが、久生十蘭のこの作品からもそのような感じを受けた。

 若くして死んでいった姪にも秘められたロマンスがあったことを知る男の物語だが、姪とフランス系カナダ人の俘虜は見つめ合うだけで恋に落ち、結婚さえ決意する……いくら戦時中の出来事であったとしても、その性急で絵に描いた餅のような結末にはいささか鼻白むものを覚えた。
 日本の男性作家の書く恋愛物語の多くに、わたしはひとりよがり、いい気なものだと感じさせられるのだが(化粧品のポスターを連想させられる女性像)、次に読んだチャペックの作品との違いを改めて考えさせられた。

 城で家庭教師を勤める若い女性の様々な葛藤と生きることの困難さは、環境のまるで異なるわたしにも迫ってくるものがあったのだ。
 セクハラめいたミスター・ケネディーに対するヒロイン、オルガの心の動きには恋愛の要素があるような、ないような微妙さがある。駆け引きが執拗に繰り返される中で、あっと声を上げたくなる暗転する結末は救いがない。

 救いがないものを、救いのないままに取り出して描ける強靭さがヨーロッパの作家にはあるように思う。
 身分と性に拘束されたオルガの生き様は、時代が如何に変わろうと多かれ少なかれ、この世に生きるおおかたの男女が味わうものだろう。
 城を会社組織、オルガをサラリーマンの男性に置き換えても成り立つような普遍性が『城の人々』にはある。

 日本の小説の多くが風土をよく伝えてくれるが、チャペックの小説のような普遍的意義からくる迫力に乏しい。特に男女の関係を描いたものでは。
 男にとって女は他人事であり、女にとって男は他人事であるかのようだ。
 物事を読み解く知性と洞察力に欠け、苦悩を透視する力量に欠けるから、といってしまえばそれまでであるが、これを求めるものの違いと解釈すれば、なおのこと考えさせられてしまう。

 チェコの多才な文豪チャペックの『郵便屋さんの話』は、好きな児童文学作品の一つ。
 相思相愛ながら、ラブレターに宛名を書き忘れたばかりに壊れかけたロマンスが、妖精の透視力と郵便屋さんの辛抱強い努力を受けて成就する、希望に満ちた洒脱な物語。
 こうした理想世界が心の中に確固としてあったからこそ、チャペックは現実世界の病因をより鋭く見抜くことができたのに違いない。そして、それだけの洞察力を備えた作家であったから、優れた児童文学作品も書けたのだろう。

アルツィバーシェフ『死』

 お高くとまった医学士ソロドフニコフは、安定感のある暮らしをしている。退屈しのぎで、ちょっかいを出した男が観念論をふっかけてくる自殺志望者であったからたまらない。
 自殺志望者は念願を果たし、厭世的観念論に巻き込まれた恰好でこの世にとり残されたソロドフニコフは、精神の危機に直面する。

 宗教――ロシア正教だろう――が「軟らかい、軽い、優しい」効果をもたらしてくれるが、作用は長続きしなかった……

 結果的に朝日のすばらしさに救われるという汎神論的一件落着までが、重厚でありながらもユーモラスに描かれた、如何にもロシア物らしい一編だった。

 ちなみにわたしにも、朝日の描写で終わった一編があるので、親近感を覚えた。
〔『台風』。サイドバーからも行けます。〕

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