シネマ『太平洋の奇跡 - フォックスと呼ばれた男 - 』
一昨日、下りのエレベーターに乗り、3階に止まったとき、エレベーターホールに白いものが散らばっていた。何だろうと思い、よく見たら、桜の花びらだった。
通路側から吹き込んで来たのだろうが、桜の木々は、同じ敷地内にあるとはいえ、そこからはかなり離れた場所の公園にある。風の悪戯だろうが、よくぞお越し遊ばしたと感心した。
桜を愛でる気持ちのゆとりも持てないまま、早4月も半ばだ。といいながらも、一昨日は、シネマ『太平洋の奇跡 - フォックスと呼ばれた男 - 』を家族で観に行った。
以下、ネタバレあり。
大場栄大尉を演じた竹野内豊が好きで観に行ったのだが、すばらしい映画だった。太平洋戦争末期のサイパン島を舞台とした戦争映画で、これまでになかった異色作となっていた。
日米監督の協同により、日米双方の視点で非日常的な戦場に置かれた個人を描くという意図のもとに制作されたようだ。
戦勝国=善・敗戦国=悪といったどちらかに偏った見方を極力排し、自虐史観、反戦思想からも離れたところから、物柔らかな視線で戦場の個人が見つめられていた。
両監督の試みが生きた、きめ細やかな戦争物に仕上がっていた。
しかも、これが実話であるというのだから、二重の驚きだった。
戦後の平和教育に馴らされた頭ではあるが、この年齢になってくると、そう単純には、太平洋戦争に突入し敗戦した当時の日本、日本人を断罪する気にはなれない。
まして、今回の原発事故を考えてみると、原発のリスクの大きさに気づきながらも原発を使い続けてこんな事態を迎えたわたしたちと、戦争のリスクの大きさに気づきながらも戦争に突入した当時の日本人は同類であることに気づかされる。
そこにはわが国の、また、わが国だけのこととはいえない諸々の事情が複雑に絡まりあっていたことも同じだ。
主因として、豊さを求めて(貧困からの脱却、列強と肩を並べるため)……ということが挙げられるだろうか。逆からいえば、わが国の資源の乏しさがある。
戦争しなかったら、原発をつくらなかったら……うまく想像できないが、別の国が出来上がっていたのだろうと思う。
戦争物には以前から興味があった(戦争が好きだからではない)。特に、兵站――戦場の後方にあって、食糧・弾薬などの軍需品を補給・輸送したり、連絡にあたったりする機関――がどう動いたかだ。
昭和19年6月19日のマリアナ沖海戦で、日本軍が航空機の主力400機を喪失したことにより、救援は望めなくなる。
サイパンでの絶望的な状況に追い込まれた大場がどうやって長期間、多くの民間人を餓死から救い得たのか……。平和で、食料も豊富な日本にありながら、被災地の人々を飢えさせてしまったりしているわたしたちとどうしても比較してしまう。
パンフレットにある「サイパン戦の略史」を見ると、洞窟などの隠し食料が米兵に見つかった後は、米軍基地からの盗品、パンノキ、パパイヤ、カタツムリなどに頼ったようだ。これが昭和19年11月のことで、民間人全員の投降が決定されたのは20年3月だった。
勿論、傷病との闘いもあった。
何より凄いのは、大場率いる兵47名で米軍に立ち向かい、彼らを翻弄するということまでやってのけたことだ。
大場がサイパンに到着してから3ヶ月後の昭和19年6月14日などは一日に3万発もの艦砲射撃があった。7月9日に米軍ターナー中将がサイパン占領宣言を行ったとき、米軍海兵10,437名、歩兵3,674名が駐留。11月15日の米軍による大掃討作戦には海兵隊5,000名が参加している。彼が相手にしたのはそんな圧倒的な敵だったのだ。
もっと早く投降すればよかったのに、というのは結果論にすぎない。投降して捕虜になった場合、その先の運命がどうなるかは当時の日本人にはわからないことだったからだ。
大場は、知恵を振り絞り、機敏に行動した。映画ではあまりユーモラスなシーンはなかったように思うが、原作では、米軍の野営地にパンを盗みに行くところなど、悪戯小僧か、ネズミのようで、その行為を楽しんですらいる様子が描かれている。
地理の教師をしていた大場の経験が、作戦を含む様々なシーンで生かされたのかもしれない。赤ん坊を救うシーンのみずみずしさ。背中一面に刺青を施し、任侠に生きていた堀内一等兵に対しては、いわば放し飼いにして、個性を生かしてやっている。唐沢寿明が堀内一等兵を演じており、スキンヘッドにして役作りしていた。大場の民間人に対するまなざしには、終始、保護者的な光が感じられた。
死者への思いを籠めた弔銃の後、高らかに歌いながら米軍の前まで行き、威儀を正した投降のシーンは凛呼としていた。
神出鬼没の指揮官・大場は「フォックス」と呼ばれ、最後には敵の米軍からも賞賛された。そして、終戦後もほとんど語られることのなかった大場の物語を本にしたのは、元米海兵隊員であり、わたしが観たのはその物語の映画化だったわけだ。
太平洋戦争の中でも最悪のサイパン戦という土壌から、こんなに美しい花が咲くとは。
ところで、わたしは、地元福島に対する愛情や技術者としての責任感から、志願して原発に赴く多くの人々があることを知ったとき、不謹慎かもしれないが、特攻隊を連想してしまった。
そんな志願者がいなければ、原発事故の終息が望めないのだと思うと、複雑な思いに駆られる。
菅首相は、昨日の記者会見で、戦後の復興に今の日本の状況を重ねるような発言をしていたが、原発においてはその前の真っ只中の状況にあるといってよいだろう。
原発事故が招いた状況はあまりに過酷で、そこへ赴く人々をこちらは後方にあって、まるで戦地に赴く兵隊さんに希望を託すかの如く見守るのみ。
そういえば、福島第一原発の事故評価は、チェルノブイリに並ぶ「レベル7」になったという。事態は長引きそうだ。
打ち明けていえば、被災したわけでも、原発で働く家族や友人があるわけでもないのに、鬱に近い1ヶ月を過ごしていたと思う。この映画でいくらか救われた気がした。わたしの中でバラバラだった戦前と戦後がつながったような、不思議な感じも芽生えた。
原作本を読みたいと思い、書店勤めの娘に頼んだ。ドン・ジョーンズ「タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日」(中村定訳、祥伝社、1982年)の文庫版を。
まだ読み始めたところだが、刊行に寄せた1982年当時の大場栄の文章があるので、その中から一部分を、また、「著書あとがき」から一部分を抜粋して、映画及び原作本の紹介に代えたい。
以下に、「『タッポーチョ』刊行に寄せて」より抜粋。
“〔略〕実際のわれわれの洞窟抗戦の生活は、もっと暗く、不衛生きわまりなく、陰惨で、こんなに勇ましく米軍を手玉にとったようなことではなかった。しかし、米軍基地からパンを盗んできたことも、大掃討があったときのことも、堀内一等兵の活躍や数々の戦闘も、野営地の中で神がかりになる兵隊が現れたことも、すべて事実である。
その意味では、われわれのゲリラ戦の経過がこれほど具体的に描かれたことも、今までない。われわれが書いたら、自分のことはもっと控えてしまうだろうし、他の人のこともこうは書けなくなる。そういう意味では、アメリカ人だったからこそ、そしてサイパンでもわれわれと戦った敵だったからこそ書けた小説、ということになるのだろう。〔略〕”
著者ドン・ジョーンズは1924年、米国中西部生まれ。海兵隊員としてサイパン戦に参戦。戦後、GHQ民間要員として日本に3年勤務。米国帰国後、新聞記者、NBC放送広報マン。その後、再び国務省報道担当官として、日本、ブラジル、パキスタンに駐在。
以下に、「著者あとがき」より、前半部分を抜粋。日本人に対する貴重なメッセージなので、実際に本にあたって全文読んでいただければと思う。
“私は、今日の日本で、一九四五年(昭和二十年)以降に生まれた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、私は、そういう年代の人たちに、戦争についてどういうことを知っているか尋ねて、個人的に調べてみました。ほとんどの人たちは、私は何も知らないとか、日本が敗けたことを知っているというだけでした。もっと重要なことは、多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や伯父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことには、その人たちがしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵隊たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかし、この本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカの双方で、多くの人たちは、自分たちが作ったわけではない恐ろしい状況に、どのように反応したか、ということを書いた物語です。〔略〕”
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