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2011年3月 5日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #71 グノーシス文書の地位回復

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#71
2011/3/5(Sat) グノーシス文書の地位回復

 児童文学作品『不思議な接着剤』と微妙な関連性をもたせるために、『すみれ色の帽子』に瞳が秋芳洞を訪ねるお話を考えていた。

 時期としては、紘平が夜見た夢という結末になる以後のことで、この時点で瞳に異世界での冒険の記憶は失われている。

 しかし、名残はあるのだ。彼女は洞窟内の部屋のようになった空間で我知らず、マリーの面影を探し求める。「わたしはこの黄金柱と呼ばれる壮麗な柱のある部屋に、美しい貴婦人を置いてみたい気がしました」と瞳は綴る。

 マリーというのは、わたしの『不思議な接着剤』に登場する囚われの女性で、『マリアによる福音書』『ピスティス・ソフィア』などのエッセンスを造形化した女性(という試み)。それら哲学的なグノーシス文献に頻繁に登場するのはマグダラのマリアだから、マリーという名にしたのだった。

 また瞳は、灯りを浴びて、緑色に輝く竜のように見える巨大な岩を見ると、竜の背中をなでるところを想像してしまうが、『不思議な接着剤』の中で、実際に彼女は緑色のオーラを発する本物の竜をなでたのだった。竜の苔の色を反映していたかのような緑色のオーラは、終局部では美麗な真珠色となり、太古の動物はついに神獣として目覚めるのだ。

 マグダラのマリアのことを考え、グノーシス派についてもっと知りたいと思い、また竜が古代何をシンボライズしたものだったかを考え出すと、やはり頼りになるのはブラヴァツキーの文献しかない。

 そして、調べただけのことはあった。

 蛇と竜に関する象徴的な意味は夥しく存在するが、『不思議な接着剤』の竜に適切な意味を見い出して紙のノートに写した。

 その意味との関連から『不思議な接着剤』の中で、竜がなついていた老人がどんな存在であったかも、はっきりさせることができた。

 ところで、『ダ・ヴィンチ・コード』の商業的ヒットによる影響は大きいが、グノーシス文書におけるマグダラのマリアがフェミニズム的関心を集めたことなどもあって、一般的なブームともなり、グノーシス文書はようやく日の目を見たような感じを受ける。

 それまでは、翻訳書に頼るしかないわたしは一般のものとしては、ユング系の精神分析学との関連で触れられたものしか知らなかった。

 グノーシス主義に対するアカデミックな関心は、エレーヌ・ペイゲルスの研究発表が行われた1972年から高まったようだから、アカデミックな世界においてさえ、グノーシス文書にまともな地位が与えられたのは比較的最近のことといってよい出来事だ。

 しかし、神秘主義の世界ではグノーシス派の文書は、ずっと昔から正当な地位を与えられてきた。ブラヴァツキーは、「アレクサンドリアのグノーシス派の記録」について、それが秘伝の秘密を十分に明かしたものだと述べる。

 ブラヴァツキーは「キリスト教の最初の二、三世紀に書かれた『ピスティス・ソフィア』」からの引用を散りばめているが、彼女が引用できるグノーシス派の文献は乏しかっただろう。その頃はまだナグ・ハマディ文書は素焼きの壷の中で熟睡していたし、『マリアによる福音書』(ベルリン写本)も1896年に認定は受けたものの公刊は遅れ、1955年になってやっとというくらいだから。

 だが、ブラヴァツキーの言葉やグノーシス文書におけるマグダラのマリアの扱われかたから見て、マリアはやはりイエスから、公にされたものとは異なる秘密の教えを受けたのではないかと想像できる。その秘められた内容がグノーシス文書として残されたとしても不自然なことではない。

 ブラヴァツキーは1831年に生まれ、1891年に没しているが、それまで秘教とされてきた東西における諸哲学の集大成であり、精緻な研究書でもある『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子 ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)の中で、次のようにいっている。

“ コンスタンティヌス時代は歴史の転換期であった。つまり、西洋が古い宗教を絞め殺し、その死体の上に築かれた新しい宗教を支持することに終わった最大の斗争の時代であった。その時から、後世の者達が大洪水やエデンの園よりもっとさかのぼって、太古を覗くことは、公正、不公正なあらゆる手段をつくして、強制的に容赦なく禁じられはじめたのである。あらゆる発行物は妨げられ、手に入れることができる記録はすべて破り棄てられた。だがこのようなずたずたにされた記録の中にさえ、源となる教えが実際にあるということを示すに足る証拠が残っている。いくつかの断片が、その物語を語るための地質的、政治的な大変動に耐えて生き残って来たのである。そして生き残った断片はみな、今の秘密の智慧が、かつては唯一の源泉、絶えることなく流れ出る永遠の源泉であり、そこから流れ出る小川、つまりあらゆる国民の後世の宗教の最初のものから最終のものまですべてに水を与えるもとの泉であることを示している。仏陀とピタゴラスにはじまり、新プラトン派とグノーシス派に終わるこの時代は、頑迷と狂信の黒雲によって曇らされることなく、過ぎ去った幾時代もの昔から流れ出た輝かしい光線が最後に集まって現れた、歴史の中に残された唯一の焦点である。”

3日7日。

 イエスの時代に存在したとされるナザレ派やエッセネ派にかんするブラヴァツキーの論文を読んだ。

 ユダヤ教の聖典は、イスラエル人の間で行われた別個の崇拝、宗教を示しているという指摘は興味深い。当たり前なことであるといえるのに、なぜかわたしは単一のものと考える癖がついてしまっている。

 また、ナザレ派、エッセネ派、エビオン派など、後に異端とされたこれらをグノーシスと切り離して考える癖がついてしまっている。これらとは別の派に属する治療家たちもいた。こうした宗派の教えは多かれ少なかれカバラ(ユダヤ教の秘教)に基づいていた……

 それがどんなものであったかを、語源を探り、資料を駆使して次々とヴェールを剥がしていく。出典が一つ一つ記され、なぜそう考えられるかという根拠についても一つ一つ書かれている。だから疑問が生じる場合は、確認作業を行うことが可能なはずだ。

 『ダ・ヴィンチ・コード』の作者が参考にした『レンヌ=ル=シャトーの謎』はよく調査されていると思われ、興奮したが、ブラヴァツキーの調査は(昔の人なのに)もっと徹底していて、灯台もと暗しだったと呆れる。

 いや、イエスの時代のことが相当に書かれていることはわかっていたのだが、前に読んだとき、わたしには基礎知識すらなく、何が何だかわからなかったのだ。

 『レンヌ…』を読んだあとでは、ずいぶんわかりやすくなった。『レンヌ…』がブラヴァツキーの『アイシス…』のこの章の入門書の役目を果たしてくれるとは。

 『レンヌ…』でエッセネ派がピュタゴラス的な思想を取り入れたことについて触れてあると、ブラヴァツキーの『アイシス…』では、エッセネ派はピュタゴラス派だったと書かれ、さらにいろいろと書かれていて、勿論出典が記されているという具合に。

 ナザレ派を作ったと伝えられている改革者イエスが厳密にはエッセネ派だったとはいえないし、どの宗派に属していたというのは不可能に近いとさしものブラヴァツキーも音を上げているのだが。

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