朝吹真理子『きことわ』(第144回芥川賞)における日本語のおかしさ
[材料]
お好みのサガンの文庫本1冊。
どんぶり。
熱湯。
[作り方]
お好みのサガンの本を、どんぶりに入れます。
熱湯を注いで待ちます。
充分にふやかしたら、『きことわ』の出来上がり。
いや、冗談ですよ、冗談。言葉に対する好奇心についてサガンが語っていた断片を思い出したもので……。最初から最後まで真面目に、『きことわ』の感想を書くつもりだったのが、どうしたことかしらん。
言葉に対する好奇心という点では、朝吹さんにも旺盛なものがあるようですが、『きことわ』には、言葉の使い方のおかしなところが随所に見受けられます。
かくいうわたしも、日本語の正しい使い方となると、自信がないのですが。
例えば、「生きることはとどまりようがないから心音は新しい脈拍を打ちつづけ、余韻を残さない」という文章。
生きることにとどまりようがなければ、皆仙人でしょうが、人間が生きているのは心臓が打っている結果であって、この言い方はおかしいと思います。
「春子が『私が死んでもまた朝が来る』ととつぜん言ったときの声の名残が立つ」という文章で、「声の名残が立つ」という使い方が妙なら、それに続く「春子が急逝した翌日、たしかに死者にも朝が来ると貴子は思った」という貴子の認識の仕方にも、ずれがあるのではないでしょうか。
春子は、諸行無常ということをいいたかった(たとえわたしには朝が来なくなったとしても、そんなことには関係なく、生きている人々には朝が来るという恨み節が感じられる)のに対し、貴子のほうでは、そんな春子の気持ちには寄り添わず、朝という自然現象に視点を移してしまっていて、自然礼賛の感じがあります。
「本は湿気て頁がふくらんでいる」は「頁」が余計。湿気った本は頁数が増えて、短編も長編になるような印象を与えかねません。
「一文字の記憶も思い出せない」は「一文字も思い出せない」か「一文字も記憶にない」でしょう。
「テレビからきりなく花火がうちあげられていた」というと、テレビが花火を打ち上げる装置みたいですよ。「テレビでは」でしょう。
「何本かの切歯の痕が赤みを帯びてへこむ」「切歯」が何だかわかりませんでしたが、直前に子供たちが甘噛みし合う場面があるので、切歯の痕というのは歯形のことでしょうね。「痕がへこむ」というと歯形がさらに地盤沈下を起こすみたいです。(Wikipediaで調べたところ、切歯とは、人間の場合、前歯を構成する歯をいうようです。非常な怒りを表す切歯扼腕という四字熟語があるとか。)
「乳を出すためにもつれあいからがりあう器官」というのは乳腺のことかしら?
「かつての幼い自分のことまでもが懐かしく胸にこみあがる」は「こみあげる」にしませんか?
「欠けのでた食器」というのは「欠けた食器」でよいのでは?
「自分の脈管の流れが速くなるのを感じ」というのは「動悸を覚えて」ではいけませんか?
春子という人は頻繁に狭心症の発作を起こして倒れますが、止められていた煙草を隠れて吸います。「心臓に巻き付いて走る脈をすこやかにしておけば少々の喫煙は問題ないのだと、薄い唇から煙をいきおいよく吐いては喫い、二枚の肺をふくらませた」わたしも狭心症ですが、春子の言葉は意味不明です。
作者が物や現象に重きを置いているのはわかりますが、こうした言い回しは不自然で、読者にとってはそれがストレスとなります。技巧的と呼ぶには、あまりに稚拙な印象です。
加えて、作品全体に漂う幼いといいたくなるような意識と、描写力のなさからして、この作品が初歩的な段階にあることは明白だと思われます。また、構成を学ぶ以前に、崩すことを覚えてしまっているような危うさが見受けられます。
この、まだ文学作品と呼べるだけのレベルに達していない猫踏んじゃったを、おべんちゃらな大人たちが褒めそやす……本気で褒めているのだとしたら、空怖ろしいことですわ。
時間、夢、宇宙といった壮大なテーマに挑みたい気持ちはわかりますが、その前に、文章の書き方を学びましょう、といいたいです。このかたは帰国子女なのでしょうか。
夢といえば、シネマ『インセプション』はなかなかでした! 設定がきっちりとしていて、人物描写、背景もしっかりしていました。
『きことわ』の場合は恣意的で、科学への憧憬は感じられますが、むしろ非科学的な印象を受けます。
最後に。
睫毛が貴子の目によく入って困っているみたいですが、それは単に睫毛が長いからではなくて、逆さ睫毛だからだと思いますよ。わたしがそうです。麻婆豆腐にウイスキーを振りかけるレシピって、本当にあるのですか?
『苦役列車』を読む気力がなくなりました。〔後日:読みました。こちら〕
本当は、ポプラ社から出ている百年文庫が素晴らしい感触だったので、3冊買おうとしたのでした。が、芥川賞受賞の2作品を読まなければと思い、仕方なく、そちらは2冊にして……百年文庫にすりゃよかったわ。百年文庫については改めて。〔こちらに書き始めました。〕
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