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2011年2月13日 (日)

レビュー 044/汝/百年文庫(ポプラ社)

外部リンク⇒百年文庫|ポプラ社
http://www.poplar.co.jp/hyakunen-bunko/index.html

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  • ポプラ社「百年文庫」が素晴らしいので、読書ノートを作り、気ままにメモしていこうと思います。
  • まだ読んでいない作品については、未読と表示しています。
  • 一々「ネタバレあり」とは書きませんので、ご注意ください。


吉屋信子『もう一人の私』



 生まれおちると同時に亡くなった双子の片割れの幽霊か、あるいはドッペルゲンガーか?
 少女から大人の女性になる過程でそれが出現し、クライマックスが初夜に置かれていたことを考えると、二次性徴に伴う葛藤の外的表われと見ることもできよう。
 初潮を迎える頃の若い女性たちにぜひ読んでほしい。不安を共有することで、問題点を意識化し、この頃に訪れる内面的な危機をうまく乗り越えていただきたい。
 流麗な文章が乙女の遭遇した怪異を引き立て、人生の機微に触れさせてくれる。

 そういえば、大学時代、文芸部の男子がわたしを大学前のバス停で見たといって譲らなかったことがあった。その時寮にいたはずのわたしは、バス停から天神行きのバスに乗ったそうだ。彼があまりにいい張り、嘘つきを見るような目でわたしを見るのが薄気味悪かった。また、のちに幼馴染みから聞いた話だが、彼女はわたしと瓜二つな若い女性と交遊した一時期を持ったという。いずれも同じ時期の話で、わたしはその頃に処女を喪失した。
 中年になってこの街に暮らし出してからも、デパートの椅子に座っていたときに、見知らぬ上品な老婦人から違う名で呼びかけられたので、否定すると、その老婦人は「ああ……○○さんに似ている」とわたしを凝視してつぶやきながら、恐怖に駆られたように後退りしたのだ。その頃、わたしは夫からある危機意識をもたされていて、更年期障害なども意識されてくる頃だった……


山本有三『チョコレート』

 就職難の世相が描かれる。
 友人のためにコネを潔く払いのけたつもりが空回り。お坊ちゃまの独り善がりを嘲笑うかのような結末の小道具が見事。


石川達三『自由詩人』

 文芸作家であれ、画家であれ、音楽家であれ、芸術家であろうとする者はムーサ(ミューズ)の信奉者だろうから、世俗とは相容れないところがあって当然で、この作品に描かれる語り手の友人である詩人は、吉屋信子の作品のタイトルを借りて、作者の「もう一人の私」といってよいかもしれない。
 また、文学作品は大なり小なり哲学作品としての一面をもっているものだが、作者は詩人の人生をなぞることで芸術論を展開したのかとも思う。でなければ、謹厳な河童のような容貌で、女のような話しかたをし、時折ふらりと現われて巧妙に金品を無心する友人を詩人に設定しはしないだろう。

 しかし、わたしにはここで描かれる詩人が偽詩人に思えた。ムーサの徒というよりはディオニュソス(バッコス)の徒に思えたのだ。挙げられた何編かの詩が作者の作品かどうかはわからないが、それらにムーサ由来を感じさせる聖らかさ、透明感はない。加えて、生活態度はあまりにだらしなさすぎるし、いたいけなわが子を殺めた挙げ句は変な理屈をこねて死んでいくところなど、そうとしか思えない。
 本の帯にも紹介されている「信仰と無知とは同じかもしれない。毒を飲ませた父にむかって、この子は救いを求めたのです」という詩人の言葉は信仰というものの一面を衝いているにしても、大仰にソクラテスまで匂わせて、社会派作家・石川達三がこの作品で結局は何がいいたかったのか、わたしにはよくわからなかった。

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