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2011年1月27日 (木)

木陰の聖母子像 - 大分県立芸術会館にて

過去記事と重複する部分がありますが、すばらしい聖母子像との出合いを改めてご紹介したいと思います。

2011年1月21日

大分県立芸術会館で開催中の「アンコールワット展」を観た帰り、会館を出かけて、ふと視界に入った木陰のブロンズ像。

帰宅を急いでいたのですが、ブロンズ像には近づいてみたくなる雰囲気がありました。

20110121170740c_2

近寄り、少し顔を上げて、まじまじと鑑賞しました。力強い、理智的な表情の女性と、何とも立派な子供。女性の格好はシスターを連想させました。威風堂々たるブロンズ像です。

聖母子像だろうかと思い、解説を求めて台座のプレートを見ますと、

20110121170710c_4 

「聖母子像 1921 エミール=アントワーヌ・ブールデル」とありました!

ブールデルですって?

あのブールデル? ロダンに師事したフランスの彫刻家の?

半信半疑で帰宅し、ネットで調べてみると、エミール=アントワーヌ・ブールデルは、『弓をひくヘラクレス』とか『瀕死のケンタウロス』とか『両手のベートーヴェン』などで有名なあのブールデルに間違いないようです。

あまりにさりげなく置かれていたため、プレートを見るまではとても本物とは信じられず、有名な作品の複製かと思ってしまいました。

思わず近寄りたくなるだけの吸引力を持っているところは、さすがブールデルだけのことはありました。二つの美術展を観たような気さえしています。

「アンコールワット展」もよかったけれど、木陰で秘かに開催されていた「ブールデル単品展」(?)もすばらしかったと思いました。

2011年1月25日

木陰の聖母子像について知りたくて芸術会館に電話をかけたところ、学芸員のかたが親切に応じてくださいました。

学芸員のかたのお話では、あの作品は、最終的に6メートルにもなる記念碑「聖母子」を制作するために、いくつもの試作品が制作された、そのうちの一体だそうです。

そして、2007年発行の「所蔵名品図録」からブールデルの『聖母子』について解説されたページを、ファクスでお送りくださいました。許可を得ましたので、以下に写させていただきます。

アントワーヌ・ブールデル
Antoine BOURDELLE
1861~1929

━━━━━━━━━━━━

せいぼし
聖母子
Virgin and child
1921

ブロンズ

Bronze
250.0×70.0×87.0㎝
平成元年度購入

 

 ブールデルはフランス・モントーバンの生まれ。1876年トゥールーズの美術学校に入学し、彫刻を学ぶ。1884年にパリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)の奨学生となり、翌年からサロンへの出品を始めた。1886年に同校を退学し、1893年以後15年間ロダンの助手、協同制作者を務めた。1900年頃よりロダンの作風を離れ、1910年のサロン出品作「弓をひくヘラクレス」によって、ロダンの後継者、また改革者としての地位を確立した。さらに1914年のヴェネチア・ビエンナーレにて国際的な名声を得た。とりわけ記念碑的彫刻に多くの傑作を生み出し、ロダン以後の近代彫刻の展開に多大な影響を及ぼした。
 「聖母子」は、フランス・アルザス地方のニーデル・ブリュックの丘に建つ、高さ6メートルもの記念碑の習作として制作されたことから「アルザスの聖母」、あるいは幼子イエスを高く持ち上げる様子から「捧げものの聖母」とも呼ばれる作品。聖母の厳しい表情や堅牢なモデリング、深い襞を幾重にも重ねた着衣の様子などには、厳格な秩序と建築的な強さを志向したブールデルの特徴がよく現れている。縦長のS字曲線を描く聖母の姿勢は、崇高さと優雅さを兼ね備えており、両手を水平に広げた幼子イエスの様子は、後に十字架を背負うという運命を暗示するかのようである。

(大分県立芸術会館『所蔵名品図録』)

大分県立芸術会館
〒870-0152 大分県大分市牧緑町1-61
TEL.097-552-0077

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