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2010年12月18日 (土)

マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』様、御到着。

マリオ・バルガス=リョサ『世界終末戦争』様、御到着。

書店勤めの娘が、マリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』(胆敬介訳、新潮社)を購入した。

娘の勤める書店には在庫がなかったそうで、わざわざ注文したらしい。

娘は購入しただけでも満足そうだが、わたしはたまらない。客人を迎えた気分になって、落ち着かない。

本は人と同じくらい影響力のあるオーラを持っているから、高級感のあるオーラを持っているような本が身近にあると、高揚させられるだけでなく、それなりの敬意を払わなければならない気がしてくる。

積ん読なんて申し訳ないのだ。でも、わたしには読みたいというより読む必要に駆られている複数の本があり、いっぱいいっぱいだ。

また、これは余談で、オーラとは関係ない話だが、わたしは5,000円札を手にすると、落ち着かない。皺があると、申し訳ない気がするし、綺麗なお札だと使えなくなる。

わたしは別に樋口一葉の愛読者というわけではないけれど、お札に作家の顔を載せるのはやめてくれといいたくなる。

『世界終末戦争』はぜひ読んでおきたい本であるだけに、傍にあることが恨めしい。

かつて、夫は泉鏡花選集、世界文学全集などをコレクションして楽しんでいた。いつ頃からか、夫は別のことに熱中し出して、本は自分の読みたい本しか買わなくなったので、わたしの興味とはリンクするところがなくなった。

わたしが興味を示さない本類を夫は部屋に溜めるだけ溜め込み、壁際にピラミッドが完成すると、ごっそり棄ててしまう。せめて売ればいいのに、とケチなわたしは思うが、面倒臭いといって、棄ててしまう。

今は娘が、かつての夫そっくりなことをやり出した。高級感のある本のコレクションだ。勿論、娘だって、気分や時間の許す限りはそれらを読む。

が、気軽に読める本を買う癖もあるから、娘にはコレクションした本を読む暇がほとんどないのだ。

読む責任はわたしに押しつけられるというわけ。嬉しい悲鳴!

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