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2010年12月29日 (水)

ちょっとメモ。お礼。

明日、カウントダウンと元旦に必要な食品の買い物に出かける予定なので、カウントダウンのメニューを考えていたが、迷う。

こんなとき、役に立つのが自分のブログなんだから、嬉しい。夜にでも、今年のカウントダウンメニューをパソコンからアップしよう。

3人なので、大ご馳走を作る必要はないが、いつもよりはお洒落なメニューを考えたい。それに、家族の気分にもよるが、年が変わってすぐの深夜に初詣を考えているので、カウントダウンメニューはそれを考慮しなくてはならない。元旦の雑煮は、前回は初レシピにチャレンジしてみた。今回は馴染みのものに戻そうかしら。

初詣に関して。
宇佐神宮に夫が誕生日を迎える前……できたら1月中にでも厄祓いに行きたいけれど、初詣には遠いので、近くの春日神社になりそう。厄祓いは陰陽道から来ているのだろうが、ということは起源は中国の道教だろう。
宇佐神宮の厄祓いは迫力のある演奏(?)ですばらしく、『源氏物語』の生霊退散のシーンを連想したりした。それにしても、宇佐神宮の後継者争いには片がついたのかどうか。
邪馬台国を舞台とした歴史小説にも着手したいが、資料集めにまだまだ時間がかかりそう。これは昨年の話になるが、わたしの母方の家系が『やまとのあや』と関係がありそうだとわかったことは、渡来人の立場や働きを意識させてくれたという点で収穫だった。聖徳太子も書きたくなった。
(※カテゴリー「Notes:卑弥呼」参照)

それにしても、病気をしていると、まるで行いが悪いから、人間として劣っているから、そうなったようなことをいう人がいるけれど、わたしは人間の体は所詮機械なので、壊れてしまったり故障したりして当然と思っている。

神智学の基礎知識の一つとして、進歩した人間は病気にかかりやすいと教わったけれど、これも精密機械がデリケートなゆえに壊れやすいことと同じだと解している(別にわたしがそのケースです、などと自惚れるつもりはないが)。

また神智学では、病気になったときの心得として、第一に、「よい医者にかかること」を挙げている。これが案外、難しいですわね。

もし来年、入院しなければならなくなったら、しっかり記録をとって同じ症状を抱えた人々の参考になりたい。何でもないことがわかれば、持病とつき合いながら、自作児童文学作品『不思議な接着剤』でGo!

ところで、当ブログに就活中の表示をしてから、なぜか、わたしをただ働きさせようという輩がやたらと近寄ってくる。わたしの方向性に合ったことであれば、協力させていただきたいが、何かこちらの適性や状況を無視したやりかただ。

そうした輩の中に、旧い知り合いまで含まれるとあっては、閉口する(これまでに4名はお越しになった)。一体、どういう……。彼らのこれまでのバランスを欠いた生きかたが透けて見え、腹が立つより、もの哀しい。

しかし反面、当ブログは今年も、温かく見守ってくださる多くの方々に恵まれ、恩恵を受けてきた。

☆ブログの開設当初から愛媛(?)からアクセスくださっている方はじめ、沢山の皆さん、本当にありがとうございました。
来年もどうか、「マダムNの覚書」をよろしくお願い致します。

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