Notes:不思議な接着剤 #67 描写について
#67
2010/10/24(Sun) 描写について
表情、服装、動作を細かに描くようにしている。例えば、冒険前に出てくる以下の瞳に関する描写。
あのことを話すとしたら、瞳とふたりきりでここにいる今だ――と、紘平は思いました。
そして、紘平は、思ったことを実行しました。不思議な接着剤、すなわち、アルケミー化学工業製品の超化学反応系接着剤クッツケールがひき起こした事件の一切合切を、瞳に話したのでした。
瞳は、竹ぐしとパレットナイフをもちいて、ケーキを型からとり出す作業をすすめながら、しずかに話を聞いていました。
ですが、翔太に起こったこと――いえ、弟に自分が仕出かしたあやまちを紘平が話したとき、瞳は身をふるわせて作業をやめました。
「ねえ、紘平くん。それって、夢とか、ゲンカクとかじゃないの? わたし、信じられない」
瞳は、賢そうな目をすずしげに見開いて、それ以上、紘平が話し続けることを拒否しました。「夢でも、ゲンカクでもないんだ」
といい、紘平はちょっと言葉につまりました。
「嘘だと思うのなら、翔太を泣かせてみればいい」瞳の顔が、かげりました。
「夢でも、ゲンカクでも、嘘でもないってわけだ」
と、かのじょは男の子のようにきっぱりといいました。そのあとで、思いやり深く、ささやきました。
「泣くときの翔太くんの口にくっついたのが、音大生のピアノの音色でよかったわね。わたしの下手なピアノの音色だったりしたら、もっと大変だったわ」
以下は、瞳が冒険の扉(倉庫のドア)を開けたときの描写。
瞳が、笑っていいました。
「なんだか、きんちょうするわね」かのじょは、体操教室に着ていく赤のウインドブレーカーの下で、おしゃれをしていました。
こい青色のカボチャパンツに、うす紫色をした7分そでのティーシャツを着て、その上から、ふんわりとした、うす桃色のキャミソールチュニックを着ていました。ポニーテールにした髪には、カボチャパンツと同じ、こい青色のリボンがむすばれていました。
兄弟に向かって、うなずいてみせると、瞳は倉庫のドアのかぎを開けました。そして、なかに入る前に、身をのり出すようにして左腕をのばし、ドア近くの壁にある電灯のスイッチを入れました。
優れた児童文学作品を読むと、わたしの描写には余分なものがあるけれど、足りていないものがあると痛感させられる。余分といえば、さすがに瞳のTシャツがアナ スイの総ロゴプリントTシャツとまでは描かなかったが。
あとで削ったり、つけ加えたりの集中作業が必要となるだろう。
ところで、リンドグレーン『おもしろ荘の子どもたち』(石井登志子訳、岩波少年文庫、2010年)の描写で、小冒険に出かける前のマディケンを描いた秀逸な場面がある。マディケンは夕方、家を抜け出すために妹が寝てしまうのを、じりじりしながら待っている。以下に抜粋。
夕方、気持ちのいいベッドにはいり、おかあさんがおふとんをかけてくれて、窓の外では白樺の木々のなかで小鳥がやさしくうたっているようなときは、自然に、「心やさしく」なってしまいます。
けれどこの日の夕方、マディケンは、「心やさしく」どころではありませんでした。この日はいつもとはちがいます。これからしようとしていることを考えると、身ぶるいするのですが、じつのところは、きらいなふるえではないのです。マディケンには冒険ずきなところがあって、この緊張がたまらなくいいのです。いまでは、すっかりニルソンさんの洗濯小屋へいって、自分に天眼通があるかどうかをたしかめる気になっています。それはまるで、歯医者さんにいこうかどうか迷ったあげく、いくことを決めたときのようなものでした。歯医者さんへいく決心というのが、マディケンにとっては、いままででいちばんおそろしい決心だったのです。決めてしまうと、そんなにこわくないのと同じでした。今夜もアッベといっしょだからできそうです。マディケンはずいぶん長いことベッドにもぐっているような気がしました。おとうさんもおかあさんも、とっくにおやすみなさいをいって下へおりています。いまはただ、リサベットが眠るのをまっているだけです。このことはリサベットにもしられてはならないひみつですから。
「もう、寝た?」マディケンは聞いてみました。
「まだだってわかるでしょ。マディケンは?」
「まあ、なんてぐずなの。」
マディケンはしばらく音をたてずに、息をひそめていました。そして声をかけました。
「もう寝た? リサベット。」
「そんなにうまくいかないわ。マディケンは?」とリサベットはうれしそうです。まったくなんて子かしら。マディケンはもういらいらしてきました。
「夜どおしおきているつもり?」
「じぇったいそうする。」
けれど、それから何分もたたないうちに、リサベットはくるりとうつぶせになって、寝息をたてていました。
よくありそうな出来事ではあるが、それを物語にとり込むところまでは、なかなか思いつかない。冒険に出かける前の子供の迷いのある心情と、出かけることを決めてからのワクワク、ハラハラ、ドキドキがよく伝わってくるではないか。ちなみに、天眼通という馴染みのない邦訳語が出てくるが、これは幽霊が見える霊媒能力のこと。
メアリー・ノートン『空とぶベッドと魔法のほうき』(猪熊葉子訳、岩波少年文庫、2000年)にも、大冒険前の子どもたちを描いたすばらしいやりとりがある。以下に抜粋。魔法のベッドで出かける予定の子供たちは、夕食を運んできたお手伝いのエリザベスが出ていってくれるのをじりじりして待っている。魔法のベットのノブをまわしてベッドを動かせるのは一番下の子供ポールだけという物語の設定。
それから、エリザベスは遠ざかっていきました。するとみんなはスリッパをぬぎすてて、おどりだしました。音をたてず、むちゅうになって息をひそめ、ぐるぐるまわったかと思うと、とびはね、とうとう息ぎれがしてきたみんなは、ポールのベッドの上にどさんとたおれました。
「ねえ、まずどこへいく?」ケアリイはささやきました。ケアリイの目は、きらきらひかっていました。
「南の島にいってみようよ。」チャールズがいいました。
ポールは、パンをあんぐりほおばりました。あごはゆっくりうごいていました。ポールは、三人のなかでいちばん冷静でした。
ロッキー山脈、南極、ピラミッド見物、チベット、月……と興奮する上の2人の子供たちをよそに、ポールは自然博物館の大ノミを見たいという。風邪で寝ている間に、自分ひとりをおいてきぼりにして、彼らがおじさんと一緒に博物館に行ったことをポールはよく覚えていたのだった。他の場所を提案されたポールは、おかあさんに会いに行くといってきかない。夏休みに彼らはおばさんのところに預けられていたのだった。
上の2人の子供たちは、弟を説得して他の場所を選ばせようとするが、ポールは頑としてきかない。
ポールの顔はまっかになり、なみだがほおをころがり落ちました。
「おかあさんか、大ノミかどっちかだよう。」
ポールは、がまんして泣き声をもらすまいとしていました。口はしっかりとじていましたが、胸が上下にはげしくゆれていました。
「やれやれだな。」ケアリイは、やけになったようにいうと、つまさきを見つめました。
「いいじゃないか、ポールの好きにさせようよ。」チャールズがしんぼう強い声でいいました。
「ぼくたち、あとでほかのところへいけばいいんだから……。」
「でも、チャールズ……」ケアリイはいいかけましたが、気をかえて、「まあ、いいでしょう。」といいました。「みんな、ちゃんと手すりにつかまって、毛布はたくしこんどいたほうがいいわよ。さあポール、ノブをつかんで……そうっとよ。ほら、はなをかんであげるわ。さあ、用意はいい?」
最終的にポールの気持ちに添う、姉と兄らしいケアリイとチャールズの決心は、カッコいい。冒険に入るまでの障害がちゃんと描かれるのが優れた児童文学作品の特徴の一つだ。わたしの子供たちには、わりとあっさり、そこのところを通過させてしまったけれど。
芸術に属する児童文学作品とはかくも描写が詳細、丁寧なのだ。書き写しているとよくわかるが、これは純文学にもいえることで、優れた作品の多くが精緻な生きた描写を特徴としている。何でもないようなこと、よくありそうなことを描くというのは、簡単そうで、実はそうではない。作家として、芸術家として、自覚的に生活しているのでなければ、到底出てこない描写なのだ。
冒険だけが突出した舞台となっていて、そこから興奮をもたらすことが主要目的である嗜好品のようなファンタジー物に対して、芸術に属する児童文学作品における冒険は登場人物の生活と切り離されてはおらず、読者は登場人物と一体化しながらも、彼らを内から外から客観的に見つめる力を与えられ、冒険を楽しみながらもその冒険の質を吟味する力を与えられる。
そういえば、リンドグレーン『はるかな国の兄弟』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、2001年)と最近岩波少年文庫でリクエスト復刊されたリチャード・チャーチ『地下の洞窟の冒険』(大塚勇三訳、岩波少年文庫、1996年)に、洞窟に潜入する子どもたちを描いた場面がある。前者では一部分、後者ではそれが物語の主要部分となっている。
どちらも鍾乳洞ではなく、コンディションの悪い洞窟で、危険が大きい。やわなわたしの子どもたちには合わない場所だ。
リンドグレーンの洞窟の描写にはさすがだと思わされはするが、ただし、それは頭の中で作り出されたことを感じさせる大ざっぱさがある(彼女の細かさからすると、だ)。チャーチの洞窟はそれ自体が冒険の目的となっていて、洞窟の性格の違い、冒険のさせ方の違いからあまり参考にならないが、著名な児童文学作家の洞窟の描き方がどちらもそれほど参考にならないということが逆にありがたく、励ましになる。
わたししか書いたことのないものが書けるのだ!
むしろ近さを感じるのは同じく復刊されたバジョーフの銅山を描いた名作『石の花』(佐野朝子訳、岩波少年文庫、1981年)だ。
わたしは秋芳洞で、人工光を受けて緑色に輝く巨石から恐竜を連想し、またオーラを連想した。
『石の花』には、銅山の女王の君臨する石でできた森が出てきて、そこに存在するもののなかで一際印象的なのが、光を発する黄金色の蛇だ。これも石でできている。この蛇の光が何から来たものなのかはわからないが、わたしの描く巨石は同時に生きた竜でもあって、オーラの光を発散するのだ。『石の花』に出て来る光とはおそらく性質が違うものだ。
ここでもまた、わたしにしか描けないものを描くのだという意気込みが生まれる。
オーラを見たことのない人間に、オーラの描写はできない。わたしはいつもオーラを見ているわけではないが、オーラがどんなものかはよくわかっている。これはわたしがおそらく前世で獲得した能力で、この能力の特徴は、今生でそれを獲得しなおさなければならないということだ。それがひどく苦しかった。重態の母の枕許でのあの体験が必要だった。もしあのとき再獲得できていなかったとしたら、わたしは一生を忘れ物をしたような苛立ちのうちに過ごし、いささか不本意な一生を終えることになったに違いない。
せっかく再び身につけた能力なのだから、それを創作の仕事に生かしたい。
世間には嘘臭いオーラの描写が沢山ある。とはいえ、わたしには嘘と決めつけることはできない。わたしの見ているものとは違う層の、オーラの外皮のようなものを見ているのかもしれないから。ジョージ・マクドナルドの作品には、わたしのいう意味合いでのオーラを見ていた人特有の何かがある。
『あけぼの―邪馬台国物語―』では神秘主義小説を書きたいと思い、卑弥呼のオーラを描写した。必要な取材ができず、中断する結果となったが……。
子どもたちは冒険に出てしまったが、わたしには彼らが出会うはずの洞窟に囚われた女性マリーの顔が、すなわちマグダラのマリア(精確にいえば、『マリアによる福音書』をシンボライズした女性)の顔がまだ見えて来ない。遂に見えなかったとしたら、この熱を入れている作品は完全な失敗作に終わるだろう。
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