山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想
以下、ネタバレを含みます。
テレプシコーラ第2部が、第30回で最終回を迎えた。
母親がバレエ教室を主宰する家庭に育った六花は、幼い頃から姉の千花と一緒にバレエの練習に励んできた。
第1部は、自身のコンプレックスと姉の死という二つの人生の山を乗り越えた六花が、コリオグラファー(振付家)に対する適性を自覚したところで終わっていた。第2部は、高校1年――16歳――になった六花がローザンヌ国際バレエコンクールに参加し、風邪のために途中棄権を余儀なくされたにも拘らず、振付奨励賞を受賞、六花にその賞を出したN氏のHバレエ学校へ入学しようとするところで終わった。
第1部が六花のコリオグラファーへの予感を描いた激動編だったとすれば、第2部はコリオグラファーへの門出を描いた飛翔編だったとでもいおうか……。
『アラベスク』連載時にロマン主義的だった若き山岸凉子は、年月を経て開始された『テレプシコーラ』連載時には実証主義的となっていて、第1部には時事問題がふんだんに盛られていた。
その一つが児童ポルノの問題で、須藤空美はその問題と絡んで出てきた少女だった。第2部に登場したローラ・チャンは、中国系アメリカ人ということになっているが、第1部で一家蒸発して姿をくらました空美を連想させる点が多々あった。
第2部の主役ははたして風邪だろうか――と思えたほど、ローザンヌ国際バレエコンクールへ日本から向かった一行のうち、行動を共にする3人は、茜、六花、管野先生の順に風邪に見舞われた。
しかし、それが第1部のような悲劇に重なることはなく、ストーリーはさして緩急をつけないまま、もたもたと進行し、そのもたつき加減がどこかユーモラスですらあった。
結局、第2部では舞台がローザンヌ国際バレエコンクールに限定され、六花のコリオグラファーへの道筋をつけることにのみ目的が絞られていたかのようにして終わった。
緊張感に満ち、危険を孕んで、読者に息つく間も与えなかった第1部から、第2部へと移行したとたんに、風向きが変わったといいたくなるくらいにムードが一変していたのだ。
第1部で張られていた様々な伏線は放置され、ローラが須藤空美だったのかどうかさえ、杳として知れないままだった。
ローラはゴールドメダルを獲得し、パリ・オペラ座バレエ学校への入学を選択する。彼女は将来、振付家となった六花とコンビを組んで活躍するバレリーナとなるだろうことが充分予想されはするのだが、空美か否かという真相は藪の中だ。
第1部で前面に出て死闘を繰り広げた、強烈な個性と競争力を秘めた登場人物たちは第2部では背景へと退けられ、ユニークでどこかおっとりとした3人――六花、管野先生、茜――にスポットライトが当てられていた。してみると、彼女たちこそが「春の海ひねもすのたりのたりかな」ともいうべきムードを招いていたのだろう。
なるほど、そのムードはローラの過去を暴き立てることとは相容れない。
一読直後は、もし『テレプシコーラ』が第2部で完結を見たのだとすれば、竜頭蛇尾の感は否めないと思ったのだが、いくらか時間が経ってみると、第2部のよさが感じられてきた。
弱肉強食ともいえるような冷厳な世界から、ケ・セラ・セラとでもいいたげな世界へ連れ出されて、この世というものの裏表を見せられたかのようだ。不思議な味わいの第2部だった。
そして、第2部は、まぎれもなく第1部が産み落とした子供と読める。
第1部では、ともすれば、自殺した姉の千花と一緒に宿命の渦へと呑み込まれそうだった六花は、試練のなかで力をつけ、自分の人生を支配できるまでに成長していたのだ。他者の思惑の錯綜する混沌とした世界は、六花の柔軟な意識がおいらかに包み込む世界へと変容していたわけなのだった。
『アラベスク』第1部・第2部、『テレプシコーラ』第1部・第2へと続いてきた山岸凉子のバレエ漫画は、各部それぞれが趣の異なる花を咲かせて見事だったと思う。
関連記事
2006年10月19日 (木)
『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/10/post_f4b1.html2007年11月16日 (金)
いよいよ山岸凉子『テレプシコーラ』第2部が始まった!
https://elder.tea-nifty.com/blog/2007/11/post_78c1.html2008年8月10日 (日)
山岸凉子『テレプシコーラ』第2部・第9回を読んで
https://elder.tea-nifty.com/blog/2008/08/post_f2a9.html2006年4月25日 (火)
レニングラード国立バレエ
https://elder.tea-nifty.com/blog/2006/04/post_b8af.html2010年5月 1日 (土)
シネマ『パリ・オペラ座のすべて』を観て~芸術に関する国家的制度の違いに目から鱗
https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-c3d8.html2011年2月 8日 (火)
山岸凉子の新連載『ケサラン・パサラン』がスタート!
https://elder.tea-nifty.com/blog/2011/02/post-ac34.html
| 固定リンク
「アニメ・コミック」カテゴリの記事
- 「ESMA Movies」チャンネルの素敵な CG アニメ作品の数々(2020.07.02)
- 山岸凉子『レベレーション(啓示)3』(講談社、2017)を読んで(2018.01.12)
- 発表に気づかなかった「芥川賞」「直木賞」。山岸先生『レベレーション』第2巻の感想はまだ書きかけ。(2017.01.29)
- 正月気分の体調。ジャンヌ・ダルク。キャベツと焼豚のからし酢和え。(2017.01.09)
- 正月に読む楽しみ、山岸先生の『『レベレーション』第2巻、政治情報誌『ジャパニズム34』。(2016.12.27)
「文化・芸術」カテゴリの記事
- 日本色がない無残な東京オリンピック、芥川賞、医学界(またもや鹿先生のYouTube動画が削除対象に)。(2021.07.20)
- 芸術の都ウィーンで開催中の展覧会「ジャパン・アンリミテッド」の実態が白日の下に晒され、外務省が公認撤回(2019.11.07)
- あいちトリエンナーレと同系のイベント「ジャパン・アンリミテッド」。ツイッターからの訴えが国会議員、外務省を動かす。(2019.10.30)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その17。同意企のイベントが、今度はオーストリアで。(2019.10.29)
- あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その16。閉幕と疑われる統一教会の関与、今度は広島で。(2019.10.25)
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- Mさん、お誕生日おめでとうございます(2023.11.07)
- 新型コロナはヘビ中毒で、レムデジビルはコブラの毒ですって? コロナパンデミックは宗教戦争ですって?(12日に追加あり、赤字)(2022.05.11)
- 萬子媛の言葉(2022.03.31)
- 姑から貰った謡本(この記事は書きかけです)(2022.03.15)
- クリスマスには、やはり新約聖書(2021.12.25)
「評論・文学論」カテゴリの記事
- (再掲)イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(2020.10.17)
- 中共によって無残に改竄された、「ヨハネによる福音書」のイエス(2020.09.29)
- 「原子の無限の分割性」とブラヴァツキー夫人は言う(2020.09.15)
- 大田俊寛『オウム真理教の精神史』から抜け落ちている日本人の宗教観(この記事は書きかけです)(2020.08.28)
- 大田俊寛氏はオウム真理教の御用作家なのか?(8月21日に加筆あり、赤字)(2020.08.20)
「山岸凉子」カテゴリの記事
- 正月に読む楽しみ、山岸先生の『『レベレーション』第2巻、政治情報誌『ジャパニズム34』。(2016.12.27)
- 山岸凉子「レベレーション―啓示―」第1回を読んで(2015.01.03)
- 気になる『ケサラン・パサラン』第5回、欄外のコメント(2011.06.10)
- 山岸凉子の新連載『ケサラン・パサラン』がスタート!(2011.02.08)
- お知らせ:音楽専用ブログ開設。ここ数日アクセスの多いノーベル文学賞、山岸凉子関係の記事について。(2010.10.11)