お盆に見た夢
ココログに障害が発生していたようだ。昼下がり、携帯から記事を投稿しようとして自分のブログをチェックしようとしたところ、アクセスできなかった。この記事を書く前に携帯から再度試みてみると、アクセスできた。復旧した様子。
で、何の記事を投稿しようとしていたかというと、午後1~2時にうたた寝していたときに見た個人的な夢の記録。
お亡くなりになった神智学の先生の夢を見ていた。先生はまだ生きていらして、小康状態であり、小集会が開かれ、そこでお目にかかっているという夢の設定だった。
お亡くなりになったのは1995年のことだったから、15年も経っているわけだ。ほぼ毎日先生のことを考えているので、15年も1年くらいにしか感じない。
亡くなった母のことは時々しか考えないのに、他人である先生のことは毎日……。
別に、自身にノルマを課して思い出そうとしているわけではなく、美的刺激がなければわたしは生きられないので、この世でわたしが出会った美しいものの一つとして、先生を……というより、先生の美麗だったオーラを一日のうちのどこかでふと思い出すのだ。
花瓶に百合があれば、一日のうちの何度か、ふと目をやるのだが、その行為に似ている。
ただ勿論、先生は美的刺激以上の存在でいらした。
会長だった先生を含めて、会員は対等な関係にあったのだが、わたしの感覚としては師弟の関係で、教わったことは多い。というより、先生の影響を抜きにして自身は語れず、そういう意味からいえば、母より母的存在だった。
今思えば、神智学にかんする稚拙な質問の手紙を頻繁に出し、ご迷惑だっただろうと思う。が一方では、質問してよかったという思いはある。
夢のなかで、高齢だった先生は中年くらいに若返っていらした。素敵だった。紫色の帽子も素敵だった(実際には、先生の帽子姿を知らないけれど)。わたしは先生にお目にかかったときはいつも子供に返ったようにはにかんでしまっていたが、夢のなかでもそうだった。
夢のなかで、あまりに幸せだったので、目覚めてから、ちょっと哀しかった。
父夫婦との変な齟齬のため[※カテゴリー:父の問題、参照]、母の御参りにも行けないが、母自体は彼の世であまり変わらず、この世のわたしたちのことをちょこちょこ心配しているという感じの伝わってきたことがあった。
実は、昨日まで、お盆であることすら忘却していたくらいなのだが、やはりお盆だった。亡くなった人々のことを思い出したのだから。そう、縁があってこの世で出会い、そして別れた人々の全部を次々に思い出したのだった。
亡くなった人々の人柄や当時の状況を、今になってようやく吟味できると思うことも多い。
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