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2010年7月19日 (月)

赤染晶子の芥川賞受賞で想った資本主義の行方

Link:赤染晶子『乙女の密告』を読んで

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 16日付朝日新聞の「ひと」欄に、『乙女の密告』で第143回芥川賞に決まった赤染晶子が採り上げられていたので読んだが、以下に抜粋した箇所に目が留まった。

15歳のとき「ベルリンの壁崩壊」を見て、ドイツ語に興味を持ち京都外国語大へ。

 変わった動機だという気がするが、赤染晶子は現在、ベルリンの壁崩壊をどう捉えているのだろうか?

 そのベルリンの壁崩壊で、あれは何というタイトルの番組だったろう――ベルリンの壁崩壊にかんするNHKのテレビ番組を思い出した。その前に、ベルリンの壁崩壊が何なのか、ご存知ないかたは少ないと思うが、以下にウィキペディアより抜粋しておく。

ベルリンの壁崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ベルリンの壁崩壊. (2010, 7月 5). Wikipedia, . Retrieved 07:36, 7月 18, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81%E5%B4%A9%E5%A3%8A&oldid=32910907. 

ベルリンの壁崩壊(ベルリンのかべほうかい)とは、1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して事実上の旅行自由化(実際には旅行許可書発行の大幅な規制緩和)を誤発表した事によって、ベルリンの壁が11月10日以後に東西ベルリン(東ベルリンと西ベルリン)市民によって破壊された事件である。略称として壁崩壊(独:Mauerfall)という。東欧革命を象徴する事件として有名である。

 壁を叩き壊している人々の映像は記憶にある。その人々の表情が、何となくわたしを複雑な気持ちにさせたことを覚えている。赤染晶子は15歳だったそうだが、わたしは31歳だった。そして現在、彼女は当時のわたしの年齢を超えた35歳。

 わが国の高度成長期は1955年から1973年までの18年間をいうから、1974年生まれの彼女は、それが終わった翌年に生を享けた。わたしは、終わったときに15歳。

 資本主義に翳りが見えてきた頃に乙女だったわたしと、拮抗状態にあった東西陣営が一面資本主義カラーに染まったことを象徴するイベントともいえたベルリンの壁崩壊時に乙女となっていた彼女。

 高度成長期が終わった頃の出来事として今でも忘れられないのは、「本を読む人間は暗い」というセリフが生徒たちの間で頻繁に使われ出したことだ。

 高度成長期に子供時代を過ごした者が浴した恩恵の一つといえるものに、世界の児童文学全集・ジュニア文学全集の出版があった。その頃の出版界は今とは全然違っていた。世界を視野に入れた大志……ともいうべきものが子供ごころにも感じられたものだった。

 勿論、その大志とは、経済的な野望という意味ではない。情操の発達に主眼が置かれていた。教養主義が生きていた時代だったのだろう。文学全集は、本を読まない一般家庭でも知的装飾品として存在した。

 それが、高度成長期が終わったとたんに、本――その中でも、文学書が煙たがれるようになってしまったのだった。文系の秀才に代わって、理系の秀才がちやほやされるようになった。あれは、片田舎の一現象にすぎなかったのだろうか?  しかし、その頃からわが国の文学はおかしくなっていった気がする。

 わたしはあまり本を読まない子供だったが、吉屋信子の格調高い少女小説との出合いによって文学に開眼し、文学少女となった。本格的に文学に熱中するようになった乙女時代にはわが国の文学は斜陽的ムードを帯び始めていた。出版界の動向にも、商業的な露骨さが目立ち始め、資本主義の欠点が出て来ていた。それが、もはや、恥も外聞もなく、といった醜悪ささえ感じさせるところにまで来てしまった。

 ここで、NHKのテレビ番組の話に戻ると、そのベルリンの壁崩壊をテーマとした番組の中で、東ドイツ在住の女性がそのときにどう思ったかを訊かれていた。知的そうな控え目に見える女性は答えた。記憶がぼやけているが、だいたいはこんな感じだった。

 物欲が壁を壊したと思った――と。西側の経済的豊かさに羨望を感じる人々の欲望のエネルギーが壁を壊したのだ、と女性は思ったそうだ。東西の統一前は、質素でも安定した暮らしと福祉があったが、今では仕事面も福祉面も不安定、風俗面での乱れも出て来て不安だという。

 統一後の女性の不安の原因の一つは、前掲のウィキペディア:ベルリンの壁崩壊のページにある以下のような事情によるものだろう。

1990年3月、東ドイツにおいて最初で最後となる自由選挙が行われ西ドイツのコール首相が肩入れした速やかに東西統一を求める勢力が勝利するとそれまでの社会主義統一党政権が主張していた東西の対等な合併ではなく、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を吸収する方式(東ドイツの4州を復活し、それを自発的にドイツ連邦共和国に加入させる)で統一が果たされることに決定した。

 自由の勝利、といった風の喜びの言葉が女性の口から出て来ると期待していたわたしは、ショックだった。が一方では、壁を壊していた人々の映像を観たときにわたしが漠然と感じた複雑な気持ちの原因がここにあったのだろうか、とも思った。

 で、わたしが何をいいたいかというと、今のわが国の文学のおかしさであり、そのおかしさの原因はどう考えても物欲の絡んだところから来ているのではないか、資本主義の欠点が文学という最もデリカシーを必要とするところに巣食ってしまったのではないか、という不安をいいたいわけなのだ。

 わたしは新聞で紹介された『乙女の密告』という変なタイトルとストーリーを読んだとき、作者は賞のためか、売り上げしか頭にない編集者のせいで、奇妙なストーリーを思いつかざるをえなかったのだろうと想像した。

 なぜなら、わたしはかつてK芸術祭文学賞で地区優秀作に選ばれた『ブラック・コーヒー』『女であることの可笑しみ』という賞狙いに染まった作品を書いたことがあった。どちらも、これくらい変な作品に仕立てなければ到底賞はとれないと踏んで書いた作品で、しかし、本当に書きたかったところは綺麗なままで、作品に散らした。

 その結果、狙った部分が評価されて地区選考までは通過できたわけだが、文学仲間のFさんから、「『ブラック・コーヒー』を読んだときに、この人は頭がおかしいに違いないと思った。お目にかかってそうではないことがわかり、ホッとした」といわれてしまった。

 そうした自身の経験があり、また文学界の裏事情をおぼろげに知ってもいるから、わたしは、新聞で紹介された『乙女の密告』のストーリーを読む限り、『アンネの日記』の冒涜に限りなく近い受けを狙った作品か、作者が壊れているゆえの壊れた作品しか想像できず、そこまでしなければならないところまで作者は追い詰められて書いたのではないだろうか、と思ってしまったのだ。

 「ひと」欄を読むと、「これからも小説で血を吐いていきます」と宣言したとあり、息を呑んだ。後者だろうか! 目が泳いでいた前首相に、結核を美化する時代でもないのに血を吐きたがる作家……。

 いや、新聞で紹介された『乙女の密告』のストーリーを読んだだけで、ここまで考えるのは早計だろう。総て、わたしのあくどい空想と思って貰いたい。文藝春秋が出たら買って読み、きちんと感想を述べたい。

 以下は、『アンネの日記』にかんするウィキペディアからの抜粋。

アンネの日記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アンネの日記. (2010, 7月 11). Wikipedia, . Retrieved 06:57, 7月 18, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E8%A8%98&oldid=32999116.

《各国語への翻訳》

『アンネの日記』は世界中でベストセラーになった。翻訳された言語は55言語、出版部数は2,500万部を超えるといわれている。

日本でも1952年に『文藝春秋』から皆藤幸蔵の訳で『光ほのかに - アンネの日記』のタイトルで出版された。その後『光ほのかに』という訳書が他に存在することが判明し、副題の『アンネの日記』が日本語での正式なタイトルとなった。2010年現在、同じく『文藝春秋』からは深町眞理子訳出のものがラインナップされている。しかし出版当初は、日本がこの書物を発行する事に対する風当たりが極めて強かった。なぜなら日本は、ナチスドイツの同盟国であり、アムステルダム市民からは「アンネを殺したナチスと日本は同罪だ」という考えを持たれていたからである。現に訳者の1人がアムステルダムの本屋でアンネに対する文献を探していたところ、市民連中から「お前ら日本人に、アンネの事が分かってたまるか!」と店からつまみ出されたり、本屋によっては「日本人にはアンネの書物は売れない」と拒否されたりしている。

 翻訳に対する風当たりの強さから考えても、『アンネの日記』を題材とするには、細心の注意が払われなくてはならない。今のアムステルダム市民がどうであるかは知らないが、『アンネの日記』を題材とするには、資格が問われる気がする。

 そういえば、オランダといえば、スナイデルの国ではないか!

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