シネマ『借りぐらしのアリエッティ』を観て
『借りぐらしのアリエッティ』
スタジオジブリ作品
公式サイト:http://www.karigurashi.jp/index.html
原作:メアリー・ノートン「床下の小人たち」(林容吉訳・岩波少年文庫刊)
企画&脚本:宮崎駿
脚本:丹羽圭子
監督:米林宏昌
2010年/日本/94分/配給:東宝
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
以下、ネタバレ注意。
原作であるメアリー・ノートン著『床下の小人たち』との違いは際立っていたけれど、ストーリーは原作を踏襲してあるので、原作のストーリーのほうを、『床下の小人たち』(林容吉訳、岩波少年文庫、1956年)の解説(猪熊陽子)より抜粋、紹介してしておきたい。
『床下の小人たち』の主人公は、父親のポッド、母親のホミリー、一人娘のアリエッティの三人です。この核家族は生活必需品はすべて上の屋敷に住んでいる人間の世界から「借りて」暮しています。冒険心に富み、そろそろ思春期に近づいているアリエッティは床下の生活に飽き飽きして、外の世界に憧れており、やがて、病気療養に上の屋敷にやってきた男の子と知り合いになります。人間から物を借りても、人間そのものとは絶対に関係をもってはいけない、というのが、借り暮らしの小人たちの生活を守る鉄則であるにも関らず、アリエッティは大胆にもそれを破るのです。こういう彼女の向こう見ず行動が災いとなり、この一家はそれまで安全に暮していた屋敷から出ていくはめに陥ります。そしてそこから安住の地を求める一家の受難の長い旅が始まるのです。
原作では人間から借りてきたものだけで暮しているという自然さがあるのに比べ、映画では変に小人たちの暮しが近代化されている。父親が小さな工場のようなものを持ち、電気や水道まで完備しているのはやりすぎだろう。
だから、原作にあるような人形の家を出してきても、豪華さが一向に映えない。
小人たちが人間の暮らしから借りてきたこまごまとしたものを如何に工夫を凝らして使っているかに作品の醍醐味があるのに、作者のそうした独創性は映画では消されてしまっているばかりか、映画制作者には原作者の意図がわかっていないと感じさせるところがある。
原作の小人たちはなるほど湯にも水にも不自由はしていないが、その仕組みといえば、台所の湯わかし器から出ている管に穴を開けて湯が出るようにしてあり、普段はその穴に香水びんのふただったゴムのせんがしてある。
居間の壁紙は、人間の屑籠から持ってきた古い手紙。壁にはヴィクトリア女王の肖像画がかかっているが、それは郵便切手。うるしぬりの宝石箱は開けたまま、ふっくらとつめものをした内側が利用され、長椅子となっている。マッチ箱で作った箪笥。チェスのこまから馬の形をした頭をとり去り、彫刻した土台に錠剤の入っていた木箱の底をとりつけて円テーブルに。馬の頭のほうは部屋の奥まったところに据えられて彫像の趣を添えている。
蔵書は、ヴィクトリア女王の頃の人々が好んだ豆本シリーズ。このシリーズには、世界地理事典(最新の国勢調査付き)、科学・哲学・文学・産業などの分野の事典、シェイクスピア喜劇集、日記格言集、伝記が入っており、アリエッティが文字を覚えるのに役立った(壁紙に使われている手紙の文字も字を習うのに役立った)。鉛筆は舞踏会の手帳についていたもの。
暖炉の燃料は粉になった石炭と細かいロウソクのかけら。金色の辛子入れの壷に入れてあった。古いリンゴ搾りに使われていた歯車を使って暖炉は作られており、暖炉の上には小さな真鍮の漏斗が逆さにつけてあって煙の吸い込みとなっていた。マッチのじくが薪となり、それに細かい粒の石炭をくべる。キャップ状の銀の指抜きは鍋となってスープをあたためる。キッド皮の手袋を材料にして編み上げ靴を作る。爪切り挟みの片割れの柄のついた刃が包丁。アリエッティの櫛は、小さな銀の18世紀風の眉毛用の櫛。
人形遊びを髣髴させる小人たちの工夫は、子供たちの興味を惹きそうな、児童ものにはぴったりの楽しさに満ちているのだ。イギリス人の骨董趣味も思い出させる。
何より、原作にはあって、映画にはなかった、男の子の注目すべき言葉がある。以下は、小人たちの暮しがばれて、その協力者であった男の子が問い詰められる場面。前掲の『床下の小人たち』より引用。
「おまえさんは、じぶんがなんだか、知っているかい?」ドライヴァおばさんは、男の子を間近に見ながら、ききました。「おまえさんは、こそこそ歩きの、かっぱらいの、わるの、やくざの、ちびすけさ!」
男の子が、顔をぴくぴくさせて、「どうして?」と、いいました。
「どうしてだか、じぶんでわかっているだろうさ。おまえさんは、性わるの、腹黒の、ひまつぶしの、こそどろさ。それが、おまえさんさ。そいで、あいつらもそうさ。こにくらしい、ちっぽけな、ずるっこい、ろくでなしで、キイキイいう、ちびすけで――」
「ちがうよ。そんなことないよ。」と、男の子が、いそいで、さえぎりました。
「しかも、おまえさんは、あいつらとぐるなんだ!」ドライヴァおばさんは、男の子のほうへやってくると、腕をつかまえて、ぐいと、ひっぱりました。「どろぼうてものは、どうされるか、知ってるかい?」と、ききました。
「ううん。」と。男の子がいいました。
「とじこめるのさ。どろぼうには、そうするんだよ。だから、おまえさんも、そういうことになるのさ!」
「ぼく、どろぼうじゃないよ。」男の子はさけんで、くちびるをふるわせました。「ぼくは、借り暮らしだよ。」
「なんだって?」ドライヴァおばさんは、腕をとった手をきつくして、男の子をこづきました。
「借り暮らしだよ。」男の子は、もいちどいうと、目にあふれた涙を、おとすまいとしました。
人間はまるい地球の上で、土地や動物や植物や仲間の人間に至るまで、我が物顔で自分のものにして暮している。が、実際には全部が自然からの借り物で、わたしたち人間の暮らしは借り暮らしというのが本当のところなのだ。叡智の表現であるかのような男の子の言葉。彼は、小人たちに学んでそのことを知っていた。
ノートンは1903年に生まれ、92年に没したイギリスの作家で、翻訳者によると「ノートンは、近代文明の行く末に大きな危惧を抱いていた作家」だったそうだ。
イギリスという国は産業革命を起こし、植民政策による大英帝国を繁栄させた国として知られている。近代化という点で、世界のリーダーシップをとった国だった。床下の小人たちシリーズは、そのことに対するノートンの深い省察を感じさせる作品だ。小人たちに中世の暮らしまで遡らせることによって、近代の暮らしにおける問題点を炙り出そうとしたともいえる。
一方映画は、観客に小人たちの家を絵画的に楽しませ、アドベンチャー的場面でハラハラさせ、男の子を心臓手術を控えた少年にし、アリエッティを美しい少女にして、ロマンティックなムードに惹き入れる。
原作の意義をほぼとり落とした映画となっているのは残念だが、映像は綺麗だから、これはこれとして楽しめばいいのかもしれない。
しかし、原作に忠実な作風であれば、小人たちシリーズは『床下の小人たち』から『野に出た小人たち』『川をくだる小人たち』『空をとぶ小人たち』『小人たちの新しい家』と続くのだから、シリーズもの映画として大作を成すこともできただろうにと残念な気がする。
ちなみにメアリー・ノートンには『魔法のベッド南の島へ』『魔法のベッド過去の国へ』という魔法のベッドものがあり、それでは魔女らしくない清楚な普通の人っぽい魔女と子供たちとの冒険が描かれている。魔法のベッドものでは、未開な部族と魔女裁判をとり挙げて、文明開化以前の闇と中世の闇に潜む問題点を炙り出そうとしているかのようだ。
そして、『床下の小人たち』についてつけ足せば、原作における借りぐらしの小人たちは慎ましく暮しているとはいえ、その意識までが慎ましいかといえば、なかなかに意気軒昂なところもある。なぜならアリエッティは人間――インゲンと呼ぶと思っている――と小人の関係について、男の子にこういうのだ。
人間(インゲン)ってものは、借り暮らしやのためにあるのよ――パンが、バターのためっていうのと、おんなじよ!
こうした意識から考えても、アリエッティたち小人の意識が中世風であることがわかる。ノートンは先史、中世、近代と、人間の暮らしにかんする省察を重ねながら、理想とする人間の暮しかたを探っていたのかもしれない。
ところで、わたしはこのところ、世界最古の啓示宗教といわれるゾロアスター教を解説したメアリー・ボイス著『ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史』(山本由美子訳、講談社学術文庫、2010年)を読んでいた。
自作童話『不思議な接着剤』の舞台を中世ヨーロッパ風の世界にとったことから、下調べは異端カタリ派、グノーシス、原始キリスト教へと遡ってしまったが、結局ここまで行き着いた。
ゾロアスター教はグノーシス、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、また仏教にも影響を与えたといわれる。
読み始めてすぐに、動物の生贄の儀式に触れた箇所があり、その儀式についての解説でわたしは早くも目から鱗の知識を得た。
わたしは生贄の儀式を人柱の儀式などと混同して残酷な儀式だと考えていたのだが、それには大きな思い違いがあったようだ。
ゾロアスター教を生んだ印欧語族の一枝族である原インド・イラン語族は南ロシアのステップ地帯で牧畜をしていた半遊牧民と考えられている。したがって、主食は肉だった。
彼らは、手ずから生命を奪うことに畏怖及び危惧を感じていたため、動物を犠牲式によって聖別することで初めて動物の肉を食することができたのだった。家畜が殺されるのはこうした祭式のときに限られた。また野生の獣を狩るときには、簡単な聖別の祈りを唱えなければならなかった。
彼らはあらゆる肉は草であると考えていた。それは、人も動物も動植も同族であるという認識から出た考えだという。
借り暮らしの小人たちに『ゾロアスター教』の読書が重なり、物質文明を生きる人間の所業を改めて考えさせられたわけだ。
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