サッカーW杯、日本はPK戦で敗れる
うーん、残念。
ワールドカップ、決勝トーナメント1回戦の日本対パラグアイは、120分で決着がつかず、本大会初めてのPK戦へ。
そして敗れた。ベスト8進出ならず。延長後半戦に訪れたチャンスを生かせなかったことが、惜しかった。
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うーん、残念。
ワールドカップ、決勝トーナメント1回戦の日本対パラグアイは、120分で決着がつかず、本大会初めてのPK戦へ。
そして敗れた。ベスト8進出ならず。延長後半戦に訪れたチャンスを生かせなかったことが、惜しかった。
マダムN 2010年6月30日 (水) 01:59 ニュース | 固定リンク
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ベランダのプランターで育ったバジルの葉を、大きなボールに摘みました。
以下は、本やネット情報を参考にした材料です。
バジルの葉50枚、にんにく1片、松の実40g、パルメザンチーズ30g、オリーブ油100ml、塩小さじ1弱、こしょう。
アンチョビを加えたり、カシューナッツなどの他の木の実を加えたりしても、おいしそうですね。
ミキサーに材料を入れて、スイッチを入れたら、なめらかになるまで(あっという間)。
瓶に詰めたら、なかなか様になりました!
パンにつけて試食してみましたら、如何にもフレッシュという感じでした。写真ではうまく色合いが出ませんでしたが、シックな緑色が何ともいえない美しさです。
葉っぱのままだと少ししか食べられませんが、ペースト状にすると、ヘルシーなバジルを沢山食べられますよね。
マダムN 2010年6月29日 (火) 21:09 植物あるいは動物 | 固定リンク
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昨日から小さな胸痛があったりして警戒はしていたのですが、左腕がひどく痺れてきて、本格的な狭心症の発作が起きるのは時間の問題と思われ……迷わず、ニトロペンを舌下。
今日は、ベランダ栽培のバジルを収穫して、バジルペースト作りに初挑戦したところでした。
他は、普通の家事に、自作童話のための《Notes:不思議な接着剤》の記事59番を少し手直ししたくらいで……昨日の外出がこたえましたかね。
まだ横になってはいられません!
昨日、娘が購入したアナスイのネックレス。
手足の肉球が、紫色のガラス玉で表現されています。
お座りもできるところが凄いわ!
背景に豚さんを入れて、記念撮影。
何となく、わが家で以前飼っていたハムスターのポムに豚さんが、フレーズにくまさんが似ている気がします。娘もそう思ったとか。
一つ前になるのだったか、“Gothic Girl”というシリーズがありましたね。
それのくまさんは凄かったわね! 黒光りする顔。赤味がかった爛々たる目。ギザギザの歯をむき出しにした怖い口に、紫色の花を一輪。
すぐ前のサーカスをテーマとしていた“2010 SUMMER COLLECTION”も、檻に入ったライオンのネックレスが衝撃的でした。檻には王冠がのっかっていましたっけ。
次回はどんな動物が登場するのでしょう?
マダムN 2010年6月29日 (火) 07:59 文化・芸術, ショッピング, ぬいぐるみ・人形 | 固定リンク
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#59
2010/6/28(Mon) 冒険前の三つの課題をクリア/カバラと瞑想/異端審問と魔女裁判
◇冒険前の三つの課題をクリア
まだ子供たちは冒険を前に、お預けを食っている。何をぐずくずしていたかというと、メモ帳に殴り書きした部分を清書しているうちに、三つの課題が浮上してきたのだった。その処理に手間どっていたというわけだ。
1.
瞳にロウソクを持って行かせたいと思ったが、児童文学作品が火遊びの誘いとなってはいけないので、瞳がなぜロウソクを持って行く気になったかの動機を丁寧に描いておく必要があった。
これが思い浮かばなかったのだ。ようやく思いついて書いた箇所が以下。
瞳は、誕生日やクリスマスに家でともす、いろいろな美しいロウソクも、小さな箱入りのマッチといっしょに、持っていくことにしました。
火遊びがいけないことはわかっていましたので、ライトが使えない場合のピンチヒッターとして。停電のときに、瞳のおかあさんがいつもそうするように。
台風が接近するという情報が流れると、お店にある非常用ライトは、あっというまに、売りきれてしまいます。また、お店と家はべっこになっていましたから、瞳のおかあさんは、普通の家に住んでいる人間としての用心をおこたらなかったのでした。
瞳のおかあさんについていうと、おかあさんは電器店にお嫁にきましたが、育ったのは普通の家でした。そして、その家のある町というのが、よく台風がきて、よく停電になる町だったのです。
この文章を、続編のための伏線として使いたい意図もあった。瞳の父親はアルケミーグループと関係があるが、母親のほうは普通の人、という設定をここで盛り込めた。アルケミーグループというのは、時空を超えて商売の手を拡げている太陽系を代表する企業連合の一つ。アルケミーボンド株式会社はその一員。
瞳が持って行った美しい意匠のロウソク。蜜蝋のロウソクは、中世ヨーロッパでは貴重で、教会か儀式のときしか使用されなかった。瞳のロウソクは、子供たちが身を守るための財産(交換、取引の品)となるもので、彼らが文明圏(先進国)から来た使節との確信を、(悪徳裁判官が転勤したあとに来た)2人目の良心的な裁判官に抱かせる。その前段階の出来事として子供たちのライトは、鍾乳洞の中で電池切れになってしまう。
2.
以下。
「郊外の電器店なんかじゃ、高価なものがコードでつながれていたりするけれど、ここのは違うんだね」
と、紘平がいいました。
すると、瞳は、軽く笑って答えました。
「そう、うちの商品は、ぜーんぶ放し飼いよ。うちは小さな電器店で、お客さんも少ないでしょ。必要ないのよ、そんなものは」
瞳の両親が経営する電器店は、お客からの予約注文で成り立っていました。お客のなかには、遠方から電話をかけてくる人もいました。国際電話をかけてくる人だって、いました。じつは、瞳の家の――電器店――の倉庫は、アルケミーグループという企業連合によって生産された製品の宝庫だったのです。しかし、そのくわしいお話となると、長くなるので、また別の機会に、ということにいたしましょう。
3.
以下。
「これなんか、すごいや。連続120時間だなんて、まる5日間、ともしっぱなしにできるってことだよ。しかも、1,480円とは、うれしい値段だね」
紘平がいうと、瞳は電器店の娘らしい、うんちくをかたむけました。
「それは、LEDライトよ。白熱灯や蛍光灯とは違って、発熱せずに光を発するの。だから、消費電力が低くて、CO2の排出削減につながるため、地球にやさしいあかりということになるわ。ロウソク、電球、蛍光灯に続く、第四代あかりとして注目されているのよ」ところで、瞳のおとうさんはちょっと変わった人でしたが、おとうさんはよく、瞳にいうのでした。
「第五代あかりとして注目されるべきは、オーラだよ。この世界は遅れている」オーラというのは、生き物や物体から出ている、通常、人間には見えない放射物のことでした。それは、エネルギーの場をつくり出しているということです。
瞳は、おとうさんのその言葉を思い出しましたが、LEDの説明をつけくわえただけでした。
「LEDは、電気を流すと発光する半導体(はんどうたい)の一種で、発光ダイオードとも呼ばれているわ」
瞳が薀蓄を傾けすぎる気もするが、神秘主義者である瞳の父親のカラーをここで出すために必要だった。オーラの説明も、どの程度するかに迷いが生じる。
オーラの説明は瞳の父親のカラーを出すためだけではなく、竜のためにも必要だ。鍾乳洞の闇を、竜はエメラルドグリーンの光で輝かせる。その光の色合いは、物語の終局で乳白色に輝くものとなり、竜が聖獣となったことを証し立てる。こうした光の正体はオーラなのだ。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
◇カバラと瞑想、パウロの誤解。
#57のノートで、カバラの起源がエッセネびとに遡る可能性について書いたが、箱崎総一『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜 *改訂新版 』(1988年、青土社)頁180以降、盲人イサクの章を読むと、カバラと瞑想が密接な関係にあることがわかる。フィロンによると、エッセネびとは瞑想を実行していた。
185頁
「盲人イサクのカバラ思想の手稿断片にはしばしば神秘的な光と色彩についての叙述が認められる。」
これはオーラに関する記述だ。
「盲人イサクのカバラ思想は瞑想と深いかかわりを持っていた。彼は(精神的緊張)を伴った瞑想を特に重視している。さらに各種の瞑想のタイプにはそれぞれの祈りが必要であり、その祈りはセフィロトの系統に従って完全に構成されたものでなければならないと考えた。」
瞑想には緊張を伴っていなければ、霊媒(憑依)体質にレベル・ダウンすることになりかねない。下手な瞑想は危険で、むしろ行わないほうがよいと、もうお亡くなりになったわたしの神智学の先生はおっしゃった。
この盲人イサクは13世紀当時のナルボンヌ市周辺のカバラ思想研究の中心人物である。この時期ナルボンヌはユダヤ文化の最盛期を迎えていた。
イサクは『創造の書』についての註解を手稿の形で遺し、『輝きの書(バヒール)』の著者でもあるといわれているが、この点についての確証はないとのこと。
391頁以降
遡ってパリサイ派、フィロンの創世記・アダムとエバの創造に関する解釈。パウロの誤解。この辺りは抜書きしておく必要あり。
以下は、『カバラ』からアダム・カドモン説のアウトライン。
アダム・カドモンは一般に“原始の人”と訳されているが、アダムはヘブライ語で人間の意味であり、カドモンまたはカドモニは「第一」または「原初」の意味である。アダム・カドモン説にはグノーシス思想の立場からの解釈とユダヤ教神学からの影響が混合した形で認められ、さらにその背景にはオリエント神学やギリシャ哲学からの影響も認められる。
アダム・カドモンについて最初に記述したのは、エッセネびとについて書いたフィロンだった。古代ユダヤの思想化集団パリサイ派の見解に関する部分を、以下に抜粋。
パリサイ派では女性エバの創造に関してアダムははじめ男性・結合体として創られていたと思考した。
“男と女に創造された”(創世記1・27)
の部分は、“男性と女性とを創造した”と理解し、『創世記』2・22で記述された時点において、はじめて男性と女性は分離されたと解釈した。パリサイ派の解釈はフィロンにも影響を与ぼしており、天の人間が両性具有の存在であると規定した背景にはこのパリサイ派の思想がひそんでいると推定される。
パウロの誤解に関する部分を、前掲の『カバラ』より以下に抜粋。
このパウロの見解によれば、人間の存在は二つの形式よりなる。つまり、神はこの霊的な世界の中に天のアダムを創造し、地上のアダムを土くれから創りあげて物質的世界に生きるものとした。そこでこのパウロ神学には大きな矛盾が内包されることになる。だがこの矛盾はユダヤ教の聖書註解によれば直ちに氷解する性質のものであった。
ユダヤ教の聖書註解によれば、救世主とは第一のアダムのことである。これは世界の創造先立って存在していた原始の人間・天の人間である。さらに、第二のアダムは創造によって身体的外見を与えられた存在であり、その点から第一のアダムの後身ともいえる。
パウロの誤解はその点にあった。つまり、パウロはフィロンの抱いたアダム・カドモンの概念には忠実に依存せず、中心概念において食い違いを発生させている。フィロンにおいては最初の人間はイデアの具現したものであり、パウロにおいてはイエス・キリストの人格そのものであった。フィロンによれば、最初の人間は第一の人間と同一の存在であり、パウロにおいては最初の人間と第二のアダムとは同一視されている。
アダム・カドモン説は、マニ教に採用され、グノーシス思想ではアダムと最初の人間は同一視されていた。
カバラについて以下に抜粋し、復習しておこう。
広義の意味でカバラという場合は、第二神殿期以降の総てのユダヤ神秘思想を含むことになる。カバラはその内容の豊かさのために神秘思想そのものと同義的に扱われることが多い。
カバラには二つの潮流がある。神知論系(Theosophy)と神秘論系(Esotherism)である。前者は瞑想によって身体的恍惚感を体験し、そのなかで神秘的体験と洞察を得ようとするもので、後者は瞑想と伝承による口伝『秘儀の書』などの知識を通じて神の本質と神秘の根源に関する理解に到達しようとするものである。
神知論系のカバラ思想の大系である『光輝の書(ゾハル)』。『光輝の書』に関して、以下に抜粋。
人間の創造に関して、天の人間のイメージは宇宙のイメージそのものと対比されると『光輝の書』では考えられた。そこにはプラトンやフィロンが抱いた、人間は小宇宙であり、自然界は大宇宙であるとする考え方が内臓されている。
もはや自作童話の舞台作りのための下調べをしているのだか、神智学の研究をしているのか、自分でもわからなくなってきた。
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◇異端審問と魔女裁判
異端審問と魔女裁判については、地域により時代によりまちまちであるため、捉えにくいところがあるが、もう少し丁寧に見ておく必要がある。
以下は上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社学術文庫、1998年)からのノート。
「魔女裁判が本格化するのは、12世紀以降の異端審問が漸く鎮静化した15世紀からであるといわれる。ヨーロッパの魔女裁判は、異端審問を経ずしては成り立たない。魔女裁判は異端審問の延長上に生まれた。
異端審問以前、つまり11世紀までは、教会による民衆信仰の取り締まりは、教会への贖罪という形で行われていた。1000年頃を転機として初めて異端に対する処刑が登場する。異端審問から魔女裁判へ移行した数世紀のあいだに、教会側の行政管理のあり方に大きな変化が起り、教会ヒエラルキーが確立して異端集団に対する教会裁判所が整序された。」教会裁判所の管轄権の拡大。
「異端審問を実行するには、手続きを正当化しなければならない。そのためグレゴリウス9世は、審問官にドミニコ会修道士やフランチェスコ会修道士を任命するとともに、異端審問の手続きを布告した(1231年)。」
「13世紀に始まる異端審問が、15世紀から17世紀にかけて荒れ狂った魔女迫害の水先案内人の役割を果たしたことは間違いない。異端審問が、北イタリア、南フランス、バイエルンにかけてのヴァルド派、カタリ派、シュテディンガー・フリーゼンの一揆に対する残党狩りでもあったことから、異端審問は南欧を中心に展開した。そして、13世紀の異端審問の段階で、夜間飛行、狂宴、姿体の変容など、キリスト教によって定型化された魔女が異端とつながった。そこには異端審問と魔女裁判の境界は見られない。ただ、異端審問では、裁かれる被告が反キリストに限定されている点が違うのである。」
「南フランスの場合、異端審問が教皇庁の下で厳格に遂行されていたのに対して、魔女裁判の指揮は世俗権力の高等法院にあった。北イタリアでも教皇の異端審問が多かったのに対して、魔女裁判が教皇指揮下にあることは比較的少ない。
ところがドイツのような北方に移行するにつれて、教皇権指揮下の裁判所の力は弱く、影響力は小さくなる。ゲルマン本来の異教の呪術師の摘発にもとづく魔女裁判では、異端弾圧の性格は弱い。しかも、フランスの高等法院のような統一世俗裁判所が確立していないので、ドイツでは宗教裁判所と世俗の領邦裁判官とが入り乱れていた。」
マダムN 2010年6月28日 (月) 14:29 文化・芸術, 神秘主義, 歴史, メモ帳Ⅰ, Theosophy(神智学), 思想, Notes:不思議な接着剤, Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | 固定リンク
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マダムN 2010年6月26日 (土) 21:19 クッキング | 固定リンク
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実は、ひっくり返せばわかりやすいです。
ワッフル好きの娘が、スタンプを貯めて貰ったワッフルの生地。
箱の中に、こういうのが何枚も入っていて(10枚くらいだったのかなあ?)、小さなカップにトッピングがバター、和三盆蜜、苺ジャム、ピュアメイプルシロップ、粒あん。
トーストして、そのままでも充分美味しくて、バターとメイプルシロップをのせれば、ホットケーキの味わい。
これが商品として売られていればいいのに……と思いますが、あくまでスタンプを貯めたご褒美の品であるようです。
マダムN 2010年6月26日 (土) 15:33 グルメ | 固定リンク
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以下の過去記事で、足に優しいarco joyの靴をご紹介しました。
2009年4月28日 (火)
arco joyの靴
https://elder.tea-nifty.com/blog/2009/04/post-c08a.html
1年以上、arco joyの靴を履いてきましたが、膝や股関節にトラブルを生じがちなわたしの脚(足)にも本当に優しくて、そのarco joyの靴ばかり履きたくなるのですね。
秋芳洞の冒険コースにも、高崎山にも、そのarco joyの靴で行きました(そういえば、お猿さんの記事をまだ書いていなかったわ!)。
1年以上酷使してきたにも拘らず、そのarco joyの靴はまだ充分に履けるのですが、1足を履き潰す前にと思い、もう1足買うことにしました。
前掲の写真が、新しく買った靴です。ベルトは引っ掛けタイプになっているので、すばやく履けます。
オバサンの足なんか誰も見たくないと思うので、靴だけを何枚か撮りましたが、たぶん撮りかたが未熟なこともあるのでしょう、ありきたりの地味な靴に見えてしまい、履いて撮ったほうが靴のよさが伝わる気がしてそうしました(椅子に座り、短い脚を無理に組んで撮りました。家の中で靴を履くのはやめましょう!)。
見ただけでは、もう一つかなと思ったのですが、履いてみると、光の下で美しさを増すウォーキングパンプスで、履き心地のよさはさすがだと思います。
ウォーキングパンプスを作るメーカーが他にもあるようで、そちらも試してみましたが、わたしはやはりarco joyが好きです。
ネットでのお取り寄せもできるようですよ。「アルコジョイ」または「arco joy」で検索すると、いろいろと出てきます。
マダムN 2010年6月25日 (金) 20:01 パソコン・インターネット, ショッピング, 健康 №5(お役立ち情報etc) | 固定リンク
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過去記事で、サイト『作品発表広場http://www.sakuhin.jp/』に作家登録をしたことをご報告したが、ここ数日、行っていなかった。
お試し登録の段階であり、事態の推移を見守る必要があると思っているので、1日1回はサイトに行ってみることにしているのだが、午前中、「忘れていた」と思い、パソコンを開いてアクセス。
ところが、どういうわけかアクセスできなかった。「サイトが消えたの!」と娘にいうと、出勤前で忙しい娘は眉をひそめ、「ちょっとアクセスできなかったくらいで……。何らかのトラブルからアクセスできないんだろうけれど」と諭した。
そういわれてみると、アクセスが集中したために、特定のページに接続できず、「Internet Explorer ではこのページは表示できません」 というメッセージが表示されることもあるようだし、と思う。
過去、文学に関してはろくなことがなかったため、疑心暗鬼となりがちな自分がいる。この、何事も信じまいとする頑なな心は、この国の文学界との関わりから培われたものだった。いや、文学界に入れたとはいえないので、その周辺との関わりといったほうがよいかもしれない。
芸術には品位が保てなくては携わることが難しいというのに、賞狙い中心の関わりからは(純文系で世に出ようとすれば、強力なコネがない限り、この国ではそれしか手段がない)、残飯を漁ろうとする野良犬並みの扱いを受けてきた。
アレクサンドリア木星王さんが励ましてくださらなければ、方向転換した先の児童文学に対する意欲すら保ち続けるのが難しいくらいなのだ。アレクサンドリア木星王さんに書いたように、創作自体からもたらされる喜びは尽きないのだけれど……。
幸いスタッフブログ『作品発表広場のささやきhttp://ameblo.jp/yunoguchi/』にはアクセスできた。しかも、最新記事では何と、わたしの展示作品の1編である評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』が紹介されているではないか。以下に抜粋。
2010-06-24 19:11:26
テーマ:レビュー
レビュー【村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち】
http://ameblo.jp/yunoguchi/entry-10572230758.html皆さんこんにちわ、作品発表広場運営スタッフです。
貴重な梅雨の晴れ間、有効に使えましたでしょうか?
このブログを書いている今この一瞬に、茜色が空に消えて、やがて藍が広がり紺碧へ。空はきれいですね。作品タイトル: 【村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち】(クリックすると新しいウィンドウ/タブを開いて作品をご覧いただけます)
作家情報:NAOMI 様昨今では【1Q84】を大ヒットさせた村上春樹氏に関する批評です。
村上春樹氏は非常に面白い作品を書く一方、読中・読後に違和感のようなものを感じられた方も少なくないのではないでしょうか?
その原因を探り、また村上春樹氏の影に埋もれてしまっている海外の名作を掘り起こし、比較分析するとともにレビューもされている評論文です。
レビューはこうやってやるんだという意味で、とても参考になりました。
非常に読みやすく書かれているため、村上春樹氏の謎を知りたいと思う方なら一度読まれてみても良いかもしれません。辛口の批評が鋭く切り込んでいます。それでは皆さん、またお会いしましょう。
淡々とした紹介文に心が和むものを感じる。スタッフのツイッターにもアクセスできた。午後には、サイト『作品発表広場』にもアクセスでき、ホッとする。今後も推移を見守っていこう。
マダムN 2010年6月25日 (金) 19:02 評論・文学論 | 固定リンク
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午前中行けば、代診の先生がいらしたようですが、午後は休診でした。
睡眠中に一度、喉が痙攣してヒュッ!と閉じたことをご報告したかったのですが、明日出直すのも面倒なので、薬だけ出して貰いました。メプチンエアーはまだあるので、フルタイドだけ。
帰りにデパ地下のカフェでアイスコーヒーを頼み、喉の渇きを潤しました。
異様に疲れた昨日の通院でした。胸の圧迫感にたった今ニトロを舌下したところ。これで一件落着となるかしら?
あれくらいの待ち時間はレッドクロスでは普通のことですが、建物が古い割には室温・湿度の調節がよくて、その点では過ごしやすいのです。
入院中も体調がよく、発作知らずで過ごせたのも、その調節に負うところが大きいと思います。同室の人たちも、その点の快適さはいっていました。どの病院も、こうとは限らないんですよね。
昨日のクリニックは微妙に暑く、数年前、同じ時期に県立の待合室も蒸し暑かったのを覚えています。
昨日は、わたしが待っている間に心臓の検査を受けた人が3人。
そのうちの2人は若い女性で、わたしは若い人が来るとつい嬉しくなってしまうのですが、どちらも検査で異常がなかったのか、もう来なくていいみたいでした。
待合室には、自宅感覚でテレビのリモコンを扱い、始終チャンネルを替えていた老人がいました。
わたしの左横に座っていた団塊の世代くらいの年格好の女性は、体が大儀だったのでしょうが、たえずストレッチ紛いのことをやって首を回したり、脚を動かしたり、大きなため息をついたり。
大音響で携帯を鳴らす老婦人もいました(電源、切っとかなきゃいけないのに)。
血圧と体重の測定は、受付してから30分後くらいにはあったので、血圧の下が高かったのは待ち時間のせいではありません。
このクリニックに通うまでは血圧の下が90~100くらいになることは珍しくなかったのですが、今は低くコントロールされています。
それでも、梅雨時は高くなってしまいがちです。血圧の下が高いときの自覚症状としては、疲れやすさです。突然の胸痛に見舞われるのも、こんなときですので、梅雨時はわたしには要注意の季節です。
わたしは、トイレで小用を足そうと座ったとたんに強烈な胸痛の発作に見舞われたことを、先生にご報告。
「いつもニトロを持ってなきゃいけないね」と先生。「ジャムの空き瓶に入れて、トイレにも置いているんです」 とわたし。「使用期限を確かめなきゃいけないよ」と先生。「定期的に、そうするようにしています」とわたし。
心臓病だった伯母はトイレで倒れて意識不明となり、そのまま亡くなりましたが、どんな状況だったか想像できます。
わたしの場合、これまでで、トップスリーの強い発作は、いずれもトイレに入ってすぐに起きました。
よく、寒いときに大便をしようといきんだときに起きやすいといいますが、わたしは、いずれもオシッコしようと便座に腰かけたときに突然起きました。
冠攣縮性狭心症の場合、最もリラックスしたときに発作が起きやすいといいますから、そのことと関係があるのかもしれません。
あのときオシッコはどうしたのか、なぜか思い出せません。
「わあ、薬、もう全然ないんじゃない?」と、カルテを見ながら先生。「はい、ぎりぎりです」とわたし。
薬はいつもと同じ。ニトロペンも出していただきました。
「先生、少し小顔になられましたね」とわたし。
前回の受診時に「Mくんは最近、マラソンしているせいで、顔が小さくなってね」といいながら、ある期待感をこめてわたしを見つめられたのですが、そのときは増える原因不明の腫瘍のことで頭がいっぱいで、気が回らなかったのです。
「マラソンを続けているんだよ。顔が大きすぎて、鉄仮面みたいだと嫌がられるからね」と、微笑みを浮かべて先生。
わたしはご馳走さま、と思いながら、「ああ奥さまがね。鉄仮面だなんてそんなことはありませんが、お顔は本当に小さくなられましたよ」と力をこめて、わたし。
「最近ずっと、忙しくもあってさ。少しも暇がないよ」と先生。「窶れないでくださいね」とわたし。
娘にこの話をすると、「骨格が変わったわけじゃなかろうに、何で顔が小さくなるん?」といいました。
ほっそりとなられたことは、事実です。顔色は悪くありません。先生に何かあっては困るので、患者のほうでもお医者さんを「経過観察」しているのです。
ただ鉄仮面というのは、奥さまの愛情の一表現で、ハンサムな先生をちょっぴり貶めて女性を近づけまいとする策略だと、物書きの見地からは想像するのですが、真相はわかりません。ロマンスグレーのよい感じになってこられたように見えますが……。
圧迫感がもう一つ消えないので、もう1錠舌下しようかと迷いながら記事を書いてきましたが、どうやらよくなりました。
もう朝に近い時間です。また少し寝ます。
マダムN 2010年6月24日 (木) 04:10 健康 №2(体調) , 健康 №3(受診) | 固定リンク
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携帯からです。
近所の病院に出かけただけなのに、前の記事を送信したあと寝てしまい、疲労感がひどくて起き上がれません。
朝、洗濯と掃除機は済ませていましたが、こんな時間なのに記事を書くのがやっと。
今日使うはずの肉、冷凍しておけばよかったわ。現時点では、夕飯作りは無理です。疲れているだけなのですが……ああ情けないったら。
前の記事なんか書きかけてはやめて寝てしまい、3度目かにようやくアップしたんですよ。
本当は『循環器クリニック受診』という受診ノートを書くつもりで……。
明日は呼吸器クリニックの予定なのですが、中心街に出かけなくてはならないので、明日は明日で疲れます。
この体力の乏しさ……情けないですよ。病院に行ったせいで、寝込むなんて。
ああああツカレタッ……寝ていてもツカレル。どうにでもなれだ、また寝ますわ。
循環器クリニックは思ったより混んでいず、のびのび座れましたが、心臓の検査を受ける人が3人いたので、クリニックで2時間半、薬局で30分待ちました。
血圧は下が高いといわれ、測り直しでした。でも、これは待ち時間とは関係なく、梅雨のせいだと思います。
午後、呼吸器クリニックに行こうと思っていましたが、無理だわー! ツカレタッ……
両書は姉妹篇であり、弟子たちがブッダの教えに帰依した喜びとそれまでのいきさつが詩の形式で語られる。「実際の作者は多勢いたが、それらがある時期に一つに集成編纂された」そうである。
中村元先生の訳で読む、調べの美しさ、みずみずしさ、凛々しさ、力強さは比類ないもので、かつてこのようなものが存在したのだとすれば、人類はなぜこのような調べをなくしてしまったのだろう、と不思議な想いに捉われた。
『仏弟子の告白』解説によると、
この両書は、どちらもパーリ語でのみ伝えられ、全体としての漢訳、チベット訳などは存在しない。正確な成立年代は不明である。個々の詩はブッダ時代につくられたもののあることは疑いないが、全体として現形のように成立したのは、アショーカ王時代(西暦前三世紀後半)または少しく遅れた時代できなかろうか。
尼僧の教団の出現ということは、世界の思想史においても驚くべき事実である。当時のヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、東アジアを通じて、〈尼僧の教団〉なるものは存在しなかった。仏教が初めてつくったのである。
仏教が出現してから百年あまり(一説によると二百年ほど)経ってから、シリア王の大使でギリシア人であるメガステネースがインド王のもとに来て、その見聞記をギリシア語で残しているが、その中で言う、インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者たち(philosophoi)がいて、男性の哲学者たちに伍して、難解なことを堂々と議論している!と。
マダムN 2010年6月23日 (水) 09:03 文化・芸術, 日記・コラム・つぶやき, 書籍・雑誌, 神秘主義, 歴史, 文学 №1(総合・研究) , 思想 | 固定リンク
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最近、過去記事「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2010」へのアクセスが増えました。ははん、暑中見舞い用をお探しですね!
わたしは暑中見舞いをほとんど書きませんが、近況が気になる何人かには出す(かもしれない)と思い、検索してみました。お陰様で、今日も湿気のある一日ですが、さわやかな気分になることができました。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
マダムN 2010年6月22日 (火) 18:54 おすすめサイト, パソコン・インターネット, 文化・芸術, イベント・行事 | 固定リンク
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よく閲覧させていただいていたブログの主がお亡くなりになったことを、昨日知りました。コメントをしたいと思いながら、できないままでした。
更新の尽きしブログや梅雨ふかく
黴も死も無き世に今は住みぬらん
マダムN 2010年6月21日 (月) 18:05 ウェブログ・ココログ関連, パソコン・インターネット, 文化・芸術, 俳句 | 固定リンク
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循環器クリニックが今日は多そうだったので行かず、木曜日までに行けばぎりぎり薬があるので、またクリニックに確認の電話。
すると、木曜日の午後は学童検診。水、金、土の午後は手術。
午後ない日の午前中は当然混み、明日は午後もあるけれど、午後ある日が今週はもう明日だけのため、どちらにしても混みそう。何か行く前からめまいがしてきました。
床にゴザでも敷いてくれないかな?
今日は午前中に循環器クリニック、午後に呼吸器クリニックに行く予定だったけれど、循環器クリニックは急な手術(先生は心臓血管外科医で、開業後は透析のためのシャント、静脈瘤の手術をなさっています)や学会で休診ということも多いので、確認の電話をしました。
すると、今日は凄く多いそうで……。先週の中2日、お出かけで休診だったそうです。それで、特に多いのだとか。
椅子に座れなかったら、嫌だわー!
わたしは52歳ですが、循環器科はお年寄りがほとんどなもので、あそこでは若者(少女といってもいいくらい)になるんですよね。
立っているお年寄りがいると、席を譲らなくては……と思うし、混雑している日は薬だけ貰って帰る人も結構いますが、わたしは40日に一度の受診なので、次回までに日が空きすぎるのです。まあ、行こうと思えば、いつでも行けるのですけれど(まず、行かない)。
今回は特に、消化器内科で飲み始めた薬の報告もしなくてはならないので、診ていただかなくては。
「午後も多いと思いますので、時間に余裕を持っていらしてください」と、いわれました。
下手したら、待っている間にめまいがしたり、苦しくなったりして、笑い話みたいですが、受診したために具合が悪くなることもあるんです。
そんなときは、「あら、今日は血圧が高いですよ。待ちすぎたからかな?」と看護師さんにいわれたりします。
(と、ここまで携帯で書いて疲れ、横になりました。)
明日行けばよいようなものですが、今日は娘が休日なので、デパートの裏手にある呼吸器クリニックを受診するにはいい日なんです。
わたしが循環器を受診している間に、掃除を娘がしてくれて、呼吸器を受診している間、娘はデパートにいます。わたしが終わると一緒にショッピングしたり、お茶したり。
受診はなるべく一まとめにしたいし、病院の日って、あとで気晴らししたくなりません? わたしは、あとの楽しみがないと、病院なんて行きたくありません。
午前中に行く気は失せてしまったので、今日は午後の二つの受診だけで暮れることになりそうです。
梅雨時は、洗濯物が乾きにくくて嫌ですね。家にいると、この時期は、暇さえあれば、洗濯物に構っている気がします。最愛の洗濯物というわけじゃないけれど……。
昨日は、自作童話『不思議な接着剤』の下書きの清書の続きをし、ライブドアブログを増やして、文学界にかんする記事の専用ブログを作りました(どれだけ増やせばいいんだか……)。
ソネットブログで作ることも考えましたが、エッセー専用ブログと紛らわしいので。
まだお知らせとはいきませんが、ブログ名は『文学界にかんする考察』です。
文学界に興味のある人自体が少ないのでしょうが、今のままで日本がいいとは思えず、文学の影響力というものを考察するために、まずはそれだけを考察した自身の記事を一所に集める必要を感じました。
また、今の文学界に疑問を抱いている人には、ささやかながら、何かお役に立てるかもしれないと思ったのです。
エッセー専用ブログには、ちょこちょこコピーして収録しているので、最近開設した割には結構入っていますよ。
一方、小説専用ブログへの収録は進みません。ホームページのほうも、どうしても手がかかるものとなると、なかなか……まあ、ぼちぼち。
明日はまた病院なので、疲れて数日潰れそうですが、のろのろとながら自作童話は進んでいますので。
体調ブログには書きましたが、一昨日の出血についてははっきりしません。昨日も少しだけ。痔かなあ。小さなポリープからだと、もっと黒いよね?
おなかが切り傷みたいな痛みで少し痛かったりしたから、よけいに紛らわしい……。
おなかが鈍く痛かったり、圧迫感があるのはいつものことだけれど、変でした。
女性の場合、婦人科系ということもあり得るので、ますます混沌としますわね。
話は変わりますが、昨日の朝窓を開けたら、ベランダで鳩が休んでいたらしく、わたしを見てギョッとし、バタバタと狂ったようにあちこち飛び回ったあとで、フェンスの隙間から出て行きました。
近頃、鳩の糞が朝落ちていると思っていたら、あの子だったのね。
そういえば、春はベランダで繁殖しようと占拠にくる鳩に悩まされるはずなのですが、その気配もなく、もう梅雨。
春らしい春ではなかったからでしょうか?
芥川龍之介賞・直木三十五賞の選考と授賞を行っているのは、日本文学振興会で、所在地は文藝春秋ビル内です。
芥川賞・直木賞の他にも、日本文学振興会は、「文芸の向上顕揚を計ることを目的」として、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞、菊池寛賞の選考と授賞を行っています。
つい忘れがちなのですが、この日本文学振興会は文部科学省所管の公益法人なのですよね。
ところで、公益法人について、深井行政書士事務所http://www.fukai-office.jp/のサイトから、以下に抜粋・紹介させていただきます。
新公益法人制度についてQ&A
⇒http://www.fukai-office.jp/category/1244208.html
Q1.社団法人・財団法人に関する新しい法律ができたと聞きましたが?明治以来110年振りに公益法人の制度が見直され 平成20年12月 1日に施行されました。
今回の大改革により全国で25,000の社団法人・ 財団法人は公益性を証明して税優遇を受けるか、公益性を否定されて課税されるか 5年間の移行期間に何も しないまま解散させられるかの大転換を迫られています。
選考と授賞を行っている日本文学振興会が公益法人であることを考えれば、文学に関心のあるかたもそうでないかたも、芥川賞・直木賞にもっと関心を寄せて、これらの賞が公益性に適っているのかどうか、考えてみてもいいはずです。
ちなみに以下は、 日本文学振興会の平成21年度収支予算書へのリンクです。
⇒http://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/pdf/h21shushi.pdf
芥川賞・直木賞にどれくらいのお金が使われているのかを、知ることができます。
● 関連記事:文学界の風穴となるだろうか?
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-9dc1.html
マダムN 2010年6月19日 (土) 22:48 文化・芸術, 経済・政治・国際, 文学 №1(総合・研究) , 創作関連(賞応募、同人誌etc), 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 | 固定リンク
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メインディシュは『銀だらの蒸し物』で、既にご紹介済みです。レシピは、わたしの外部サイトになりますが、こちら。
⇒http://noix-n.blogspot.com/2010/03/blog-post_24.html
サイドディッシュその一は服部先生のレシピ『さつまいものマヨネーズサラダ』を参考にして作りました。レシピを、「週刊 服部幸應のしあわせクッキング91号」(デアゴスティーニ・ジャパン)からご紹介します。
[材料・4人分]
さつまいも160g,セロリ60g,粒コーン(缶詰)35~40g,
マヨネーズ,塩,こしょう.
[作り方]
さつまいもとコーンの甘味が、セロリのさわやかさによって強調される感じです。塩でしんなりさせているせいか、セロリが苦手なかたにも抵抗感なく食べられると思います(わたしは以前、セロリが苦手でした!)。すぐにできて、美味しい一品。おすすめ!
サイドディッシュその二は、キッコーマンのサイト「ホームクッキング」のレシピ『卵と小松菜のオイスターソース炒め』を参考にさせていただきました。
もう一品というときに重宝しそうなレシピですね。
マダムN 2010年6月19日 (土) 00:46 クッキング | 固定リンク
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家族で映画、という日が結構増え、今日も『プリンス・オブ・ペルシャ』を観に行きました。
平日は映画館が空いているし、夫婦のどちらかが50歳以上は半額となるため(わたしたちはどちらも50歳以上)、お得感もあり、買い物、食事を済ませて、よほど映画がつまらなかった場合を除けば、まあまあだったわね……と満足して帰宅します。
写真は、映画のあとで買った縄こしょう。
服部先生のレシピを参考にして料理をするようになってから、香辛料、ハーブの類をよく使うようになりました。
赤唐辛子もよく使うので、キッチンにぶら下げておくことにしました。魔除けにもなるそうで。
『プリンス・オブ・ペルシャ』は、古代ペルシャを舞台としたアクション・アドベンチャーで、そこそこ楽しめました。
アクション場面の連続にはへとへとになりましたが、元ネタがゲームと知り、納得。
古代ペルシャ帝国の御家騒動(ホームドラマのスケール)に侵略戦争(運動会的ムード)を絡ませ、SF趣向(小細工的)を挿入した映画でした。
蛇と手裏剣(?)を使う暗殺集団は、あれは何? 盗賊村の駝鳥レースに使われていた駝鳥が可愛かったわ。お目めパッチリで。
秘宝を狙われて侵略される聖都アラムートの女王は巫女でもあるという設定なのだから、体育会系健康美よりも神秘的なムードを漂わせてほしかった気がしました。
マダムN 2010年6月17日 (木) 23:23 シネマ, ショッピング | 固定リンク
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サイト「作品発表広場」に作家登録したことは過去記事でご報告したが、迷いがないわけではない。
2010年1月20日に公開を開始したばかりの新しいサイトです。
現在はベータ版としてのテスト運営中です。
真剣にものづくりをされている方の作品を通じて、さまざまな出会いやつながりを作っていくサイトです。
こうした説明を読んだあとで、サイトに展示した作品が売れると30%、仕事の依頼があると30%支払う仕組みになっていることを知ったら、何だ、商売か、仲介業者か、と一抹の胡散臭さを感じないわけではなかった。でも、何となく新しい形態に思われ、好奇心もそそられた。
わたしはカテゴリ「文芸の作品」で登録しているので、文芸に限って話を進めたい。
2016年8月25日の追記:その後、アマゾンの日本進出があり、KDPでセルフパブリッシングが可能となったので、Kindle出版へと移行し退会。
2015年1月30日 (金)
「作品広場」(旧「作品発表広場」)からリニューアル中のメールあり。メールで退会手続き。
https://elder.tea-nifty.com/blog/2015/01/post-62c7.html
作品発表広場に作家登録する以前から、わたしは文芸作品の展示、及び仕事の依頼を希望する旨の意思表示を自身のサイトで行ってきた。
しかし、素人の個人的な、趣味的なサイトでこのようなアピールを行ったところで、どんな依頼者も現われはしないだろうことは予感された。時々好意的なメールをいただくことはあるけれど、それが仕事に結びつくとか、スポンサーが現れるということは夢物語のようなことだ。
それなりにサイトの訪問者はあるにしても、そのほとんどがわたしの記事から何らかの情報を引き出すために訪れるだけ。わたしもそんな利用の仕方をしているのだから、お互いさまといえる。
それに、胡散臭さという点でいえば、大手出版社の牛耳る文学界は、本当に胡散臭い。
純文系の作家として世に出ようと思えば、悲劇だ。
伝手があれば別かもしれないが、大手出版社の新人賞をゲットするしかない仕組みになっている。運よく賞がとれたところで、飼い殺されている作家(であるような、ないような人々)がどれだけいることか、想像できないくらいなのだ。
わたしが某賞で最終候補になったときに賞をとった男性は、作家になれるつもりで会社をやめたと聞いた。奥さんが働いていたからそれができたのだろうが、賞の発表誌がわが国を代表する文芸雑誌だったのだから、その気になるのも無理はなかった。
彼の作品は、エッセーがその雑誌に一度だけ載った。数年後に、わたしが別の作品で最終候補になったとき、授賞式に彼が来ていた。
依然として、せっせと担当編集者に作品を提出していたようだった。その後、彼がどうなったのかは知らない。そこと接点を持ち、飼い殺されている人々の話は、何度となく聴いた。
わたしはアレクサンドリア木星王さんに手紙で打ち明けたように、純文学狙いに限界を感じ、昔から好きだった児童文学に方向を変えた。イギリスにあるような良質の児童文学作品が日本にはないと思ったことも理由の一つだった。
特に近年、小ぢんまりとまとまったものか、エンター系のものばかりが目につく。以前は、素人を育ててくれる児童書専門の出版社が複数あったが、代表的だったところは素人の作品の持ち込みを受付なくなってしまった。
過去記事を参照していただければわかると思うが〔※続きを読む、以下に全文のコピーあり〕、児童書は厳しい――だが大手出版社の怠慢が目立つ――状況にあることは間違いない。
もう自費出版しかないと思っていたところへ、ひょっこり舞い込んだ前掲の「作品発表広場」からのメール……。
純文学の話に戻ると、作風は濃いが、内容は薄くて、じっくりと読みたいという気を起こさせない作家の純文学作品が文芸雑誌を独占しており、評論といえば護教的とでもいいたいようなシロモノばかり。
もっとずっとましなものか、少なくとももう少しはましなものが書けるはずの人材が埋もれている。日々埋もれてゆく。純文学の修練を積み、実力を培った人材の多くが棄てられて行くこの現状は、惜しい。
純文学が社会の価値観に与える影響は大きいが、潜在的だから、この事態が見過ごされてきている。わが国の純文学は自然にこうなったのだろうか? 勿論、そんなはずはないのだ。
わたしのパソコン歴は6年くらいのもので、ネットをし始めた頃に、たまたま平野啓一郎の『日蝕』について検索した。一頃話題になった、佐藤亜紀の『鏡の影』との関係が気になったからだったと思う。その頃、交際のあった女性編集者はわたしにそのことについて、佐藤亜紀の嫉妬だろうといった。
事の真偽はともかく、神秘主義に親しんできたわたしの『日蝕』に対する感想としては、呆れたシロモノだというしかない。神秘主義的な事柄を玩具にしているように映る(いずれきちんと感想を書いてみたいと思っている)。
悪趣味で幼稚、どこといってとりえのなさそうな、純文系作品ともエンター系作品ともいえそうにないこの作品が天才的と評されて芥川賞を受賞した。
純文系作品ともエンター系作品ともいえそうにない――といったのは、昔の作家の例になるが、泉鏡花の小説や戯曲、吉屋信子の少女小説のように、どちらの資格もあるという意味でいったのではない。どちらの資格もないといっているのだ。佐藤亜紀の作品はエンター系だが、まぎれもない文学作品であり、作風はスタイリッシュだ。
ところで、平野啓一郎のデビューの仕方を、ウィキペディアから以下に抜粋。
平野啓一郎. (2010, 5月 7). Wikipedia, . Retrieved 19:09, 6月 16, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B9%B3%E9%87%8E%E5%95%93%E4%B8%80%E9%83%8E&oldid=31979233.
デビューの経緯
啓一郎の特色の一つとしてその「投稿によるデビュー」が挙げられることがある。啓一郎がデビューした文芸誌『新潮』の巻末には、現在まで毎巻欠かさずに「御投稿作品は、全て「新潮新人賞」応募原稿として受付けます。」との記述がある。啓一郎自身がインタビューで答えた情報によれば、デビュー経緯は以下の如くである。1997年、21歳の啓一郎は1年(資料収集半年、執筆半年)を費やしデビュー作となる『日蝕』を書く。投稿先を『新潮』に決める。年末、『新潮』編集部に自分の思いを綴った16枚の手紙を送る。手紙を読んだ編集部からは「とりあえず作品を見せて欲しい」と回答。編集者の出張先が京都であったこともあり、会って食事をする。1998年、『新潮』8月号に『日蝕』が一挙掲載される。「三島由紀夫の再来とでも言うべき神童」などという宣伝と共にデビューする。翌年芥川賞受賞。
含みのあるようなエピソードだが、出版社も商売だろうから、作品がよいものであれば、そんなことはどうだっていいと当時わたしは思っていた(よいものとは思えなかったから、そのことが問題だと思った)。だから、ネットで平野のデビューには瀬戸内寂聴が関与しているという記事を閲覧したときも、ちょっと意外に感じただけだった。
平林たい子と円地文子が好きなので、そのついでにという感じで、瀬戸内寂聴の作品を何編か読んだことがあった。岡本かの子が好きなので、『かの子繚乱』も読んでいる。『かの子繚乱』についてはよく取材がなされており、労作と思われた。
しかし読後、わたしは一抹の疑問を覚えた。『かの子繚乱』で描かれた天衣無縫というよりは幼稚な、それでいて色欲に衝かれたような生臭いかの子像が、ぴんとこなかった。かの子の作風は高雅で知的であり、性をテーマとしていても、生臭さがない。
一方、お坊さんなのに、瀬戸内寂聴の作品はどれもこれも生臭いとわたしには感じられた。これまでにわたしの知るどんな作家のものよりも、生臭い。
一般的には、瀬戸内寂聴は、文学界と仏教界の権威を帯びた文化の顧問的イメージ、おおらかさのシンボル、といったものではないだろうか。
現に昨日――6月16日付――の朝日新聞朝刊の文化欄にも、88歳になった寂聴が慎ましやかな表情で出ていた。以下は記事からの抜粋。
携帯電話にはハート形のストラップも付け、若い作家との交流もある。「芸術は新しい世界をひらいていかないとダメです。こつを覚えれば小説は書けますが、それではつまらない。私もまだ書いていない、新しいものを書き続けていきたいと思っています」
新しい世界とは何だろう? この生臭いお坊さんを悦ばせる小説とは、どんなものなのか? わたしは彼女が影の影響力を発散し続ける限り、わが国の純文学に新しい世界は拓けないだろうと思う。
生臭くて内容に乏しい、変な技巧を凝らした作品でないと、賞がとれない純文学界の雰囲気は、一体誰がもたらしたものなのか?
若い作家と交流があるということは、その作家たちが彼女の後押しでデビューしたということを意味するのではないだろうか。もしそうだとすれば、彼女の影響下でデビューの機会を奪われたその他大勢の作家の卵がいるということを意味する。
わたしがそんな疑問を持ち出したのは、半年ほど前に、美容院で『婦人画報 1月号』(アシェット婦人画報社、2009年12月1日発売)の《寂聴先生、米寿のおしゃれ説法》を読んだときだった。
寂聴のブランド趣味を披露した特集……。カルティエ、ティファニーの腕時計。シャネルのバッグは「清水の舞台」的に高かったそうだ。ロエベ、エルメスのバッグ。以下は、愛用品につけられた説明。
①数奇屋袋はブランドバッグと同様に大好きで、粋な意匠のものが好み。ちょっとした散歩などに持ち歩く。
②アンティークの籠バッグ。レザーバッグは耐久性に優れるが、和のやさしさも捨てがたいという。
③寂聴先生のお酒好きは有名で、猪口や片口のプレゼントも増えた。艶やかなガラス製は金沢のもの。
④時間ができると、愛用のピンクの携帯電話で自らのケータイ小説をのぞく。PV数が増えるのが楽しい。
⑤携帯電話に映えるキラキラストラップは、平野啓一郎夫人でモデルの春香さんからの贈り物。
⑥「平野啓一郎さんはプレゼント魔」と嬉しそうに話す寂聴先生。
⑦驚くなかれ、尼寺「寂庵」には秘密のバー「パープル」がある。仲良しの編集者たちと過ごす部屋。
⑧バー「パープル」のカクテルは、すべて紫色。祇園の芸妓さんがレシピをたくさん考案してくれた。
尼寺にバーがある? ステーキとお酒とブランド品が好きな僧侶。わたしは、めまいを起こしそうになった。
これではもはや、瀬戸内寂聴は、坊主のコスプレをした贅沢なマダ~ムにすぎない。プレゼントが多いようだが、それは彼女が僧侶兼作家という立場を利用した、巧妙な仲介業者でもあるということを意味しているのではないだろうか。
宗教の本質は神秘主義である。神秘主義が禁酒、禁煙、菜食を勧めるのには、秘教科学的な理由があるからで、その一つは、肉体より精妙な体にダメージを与える可能性があるからだ。〔※以下を参照されたい〕
H・P・ブラブゥツキー著『実践的オカルティズム』(田中恵美子、ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、1995年)の用語解説より、その七本質を紹介しておく。
神智学の教えによると、人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも〈七本質〉という七つの要素からなっている。人間の七本質は、(1)アストラル体(2)プラーナ(3)カーマ(4)低級マナス(5)高級マナス(6)ブッディ(7)オーリック・エッグ
アストラル体はサンスクリット語でいうリンガ・シャリーラで、肉体は本質というよりは媒体であり、アストラル体の濃密な面にすぎないといわれる。物質界に最も近い目に見えない世界をアストラル界というが、アストラル体はそのアストラル界の質料から構成されている。カーマ、マナス、ブッディはサンスクリット語で、それぞれ、動物魂、心、霊的魂の意。ブッディは高級自我ともいわれ、人間の輪廻する本質を指す。ブッディは全く非物質な本質で、サンスクリット語でマハットと呼ばれる神聖な観念構成(普遍的知性魂)の媒体といわれる。
ブッディはマナスと結びつかなければ、人間の本質として働くことができない。マナスはブッディと合一すると神聖な意識となる。高級マナスはブッディにつながっており、低級マナスは動物魂即ち欲望につながっている。低級マナスには、意志などの高級マナスのあらゆる属性が与えられておりながら、カーマに惹かれる下向きのエネルギーも持っているので、人間の課題は、低級マナスの下向きになりやすいエネルギーを上向きの清浄なエネルギーに置き換えることだといえる。
飲酒や肉食は、カーマに惹かれる下向きのエネルギーを強めるといわれる。他にも、いろいろな理由から、神秘主義は清浄な生活を勧めている。
一般人には、一足飛びにそのような清浄な生活を送るのは難しいが、誓いを立てた僧侶はその難事業にチャレンジし、世の模範になろうとするわけである。彼女は僧侶とはいえないが、前掲の雑誌から以下に抜粋する彼女の意味をなさない言葉からすると、良識ある大人ともいえない。
「女子高生が援助交際なんかしちゃってブランドバッグを手に入れて喜んでいる一方で、ブランドものなんて虚飾!と言わんばかりに頭から否定してしまう大人がいる。いったい日本はどうなってしまったんでしょうね。戦時中の“贅沢は敵だ”じゃあるまいし、モノのもつ価値をきちんと理解できる大人が、大切に慈しんで使えば、それでいいではありませんか。ねぇ」
わが国を覆う物欲と性欲。この風潮に彼女が一役買っていないとは思えない。
世に出る手段の見い出せないわたしのような作家の卵にとって、サイト「作品発表広場」は変則的な、ちょっと面白い仲介業者に映る。ただし、まだ正体の掴めないところがあって、お試しで作家登録している――といったところ。
わたしは文学革命を夢見ていた。しかし、価値観も作風も多様化した今のわが国で、物書きが足並みを揃えることは無理だとも感じていた。
価格破壊という言葉がある。デジタル大辞泉の解説によると、価格破壊とは「ディスカウントショップの躍進、安い輸入品の増大などによって、それまでのメーカー主導型の価格体系が崩れ、消費財の価格が下落すること」をいう。
物書きは決して安売りしてはならないが、「作品発表広場」のようなサイトに優秀な作家がどんどん登録して繁盛すれば、大手出版社主導型の純文学界の価値体系を崩すことが可能かもしれない。
関連記事:
●瀬戸内寂聴作『あしたの虹』を読んで
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2008/11/post-0d65.html
● 芥川賞の公益性
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-37d7.html
マダムN 2010年6月17日 (木) 06:28 パソコン・インターネット, 文化・芸術, 書籍・雑誌, 評論・文学論, 神秘主義, 文学 №2(自作関連), 文学 №1(総合・研究) , 村上春樹, 創作関連(賞応募、同人誌etc), 占星術・タロット, 思想, 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 | 固定リンク
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服部先生のレシピ『なすと豚肉のサッパリあえ』は、暑い日にいいですよ。
最近サボっていて、過去記事でレシピをご紹介したかどうか……ご紹介しておきますね。『週刊 服部幸應のしあわせCooking23号』(デアゴスティーニ・ジャパン)より。
[作り方・4人分]
味噌汁は何も入ってないみたいに見えますが、実はさつまいもです。焼き厚揚げには、ゆずごしょうとぽん酢を。
マダムN 2010年6月17日 (木) 01:09 クッキング | 固定リンク
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『風穴となるか?』という書きかけの記事を間違えて公開してしまい、あわてて下書きにしました。
いらしてくださったかたは、ごめんなさい。文学界を考察したものです。
出来次第公開しますが、もうしばらくかかります。
東漢氏(やまとのあやうじ)の血が数滴くらいは混じっているかもしれないというのに(傍系も傍系のため)、漢方薬とは相性が悪い気がして仕方がない。
といっても、出して貰ってすぐの5日間は、胃腸の調子を最高の状態にしてくれたのだけれど。
それで昨日、夕食のときには飲まなかった。夕食がドリアだったにも関わらず、朝はおなかが軽かった。
瞼はひどく腫れていた。これを書いている今も腫れている。といっても、いつからか、ごくまれに腫れていないと、びっくりするくらい、いつも腫れていて、うっとおしいのだが、今日は特に腫れている。
六君子湯には水分量を調整する作用があるそうなので、瞼のためには、飲んだほうがいいのかもしれない。
何にしても、おなかが普通っぽいので、気をよくして朝食をとることにした。
といっても、まともな朝食をとると苦しくなるに決まっているので、バナナかロールパンかで迷う。
バナナを選択。六君子湯をまたパスしてみた。バナナを食し、朝の薬を飲む。
胃腸のためにパリエットとガスモチン。心臓のためにインデラル、ヘルベッサー、アイトロール、シグマート。昨夜、喘息予防のフルタイドを忘れたが、何事もなかったので、今夜吸入すればいいだろうと思う。夜間に出やすいので。
家事をし、パソコンをし始めたら、昨夜の外出疲れか、猛烈な眠気と軽い腰の痛み。
何もかも放り出し、毛布をかぶって寝た。昼過ぎに目覚めたら、朝のバナナで胃が重かったが、おなかは張っていない。おなかがすっきりしていると、妊婦から普通人のスタイルに戻れたみたいで、嬉しい。
以前はいつもパンパンで、今のパンパンとは度合いが違い、凄いものだったらしく、その頃買ったパンツ(ズボンのこと)を履くと、お尻の半分までずり落ちるので、ベルトで不自然に締め付けなければならない。
他のパンツも、この街に5年前に引っ越して来てから買ったものは、どれもウエストが大きいので、その頃から胃腸がおかしかったのだ。
引っ越す前に通っていた福岡県の総合病院で何人か医師が変わり、最後の医師は胃腸薬を「なくてもいいでしょう。必要ないものをだらだらと飲むのはよくないから」といって、フォイパンと数種類の胃腸薬を切り、投薬をスリム化した。
わたしは薬が減って嬉しかったが、その頃から胃腸が見事におかしくなり始めた気もする。
そして、この街で通い始めた循環器クリニックと呼吸器クリニックで胃腸薬を出して貰ったりしたが、いつも単品で、これがよくないというと別のを……という風。
おなかは慢性的に膨れていた。我慢できなくなり、漢方内科クリニックに通い、劇的によくなったが、心臓が支離滅裂となり、湿疹が悪化。
わたしは逃げ出した。しばらくしたらまたおなかが膨れ上がり、レッドクロスの消化器内科に通い始めたというわけだった。
漢方内科クリニックの先生は以前、レッドクロスの内科部長をしていらしたみたいだから、消化器内科で出される漢方薬はその先生が導入されたのかも……。
わたしの胃腸は動きが悪くなっているだけなのだ。つまり弱っているため、刺激がないとまともに動かないのだが、刺激しすぎると、疲れてまた動かなくなるのだろう。
死にかけた虫をつついて、無理に動かしているみたいなものではないだろうか。
漢方薬はそんな虫を元気にしてくれるらしいから、続けたいのだが、弱りすぎた胃腸にはなかなか調子が合わない。
漢方薬を使うと、わたしは変に元気になると同時に疲れ、急に受けつけなくなったりするみたいだ。
胃は朝のバナナで今ももたれているが、張っていないので、苦しさがなく気持ちがいい。今夜まで六君子湯はパスしよう。
今日は創作は無理だが、昨日ジュンク堂書店で買った岩波文庫版、ディケンズの『イタリアのおもかげ』、中村元先生が訳された(ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』の邦訳には、中村元先生の推薦の言葉がある)『ブッダ最後の旅』『尼僧の告白』を少しずつかじった。
どれも美味。胃腸の負担になることもない。とくに『ブッダ最後の旅』を読んでいると、音楽に酔ったような心地になる。インドの昔のものは、大体どれもそうだ。
詩のような、言葉の繰り返しがある。
柔らかに、ブッダの微笑に包まれるかのよう。
でも、この書はブッダのこの世での死を伝える沈痛な書でもある。「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』」といって、亡くなる。
わたしは仏典を、あちこちかじり散らすような読み方をしてしまうのだが、大学時代に初めて中村元先生の訳で原始仏典に触れたときから、なつかしさに包まれる。清浄さという点において、仏典ほどゴージャスな気分にしてくれるものはない(変な表現になってしまった)。
東漢氏はこの日本に仏教を根づかせようとしたらしいから、先祖の血が囁いているところもあるのだろうか。
しかし、明日からはまた中世ヨーロッパに出かけなくてはならない。自作童話のために。
国会中継があっているので、朝からテレビをつけっぱなしにしている。
以上、携帯からでした!
マダムN 2010年6月15日 (火) 15:40 文化・芸術, 書籍・雑誌, 健康 №2(体調) | 固定リンク
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美容院になかなか行けないということもあって、外でも室内でもかぶっていられる帽子を探していました。
そして、軽くて、くしゃくしゃにしてバッグに入れられるものがほしかったのですが、見っけ!
マキシムのハンチング風帽子。洗えて、くしゃくしゃにでき、かぶって軽い。このタイプは、室内でもかぶったままのほうが自然だと店員さん。
耳を出してかぶるのがお洒落だそうで。
今日は病院から一旦帰宅し、夕方になってから再度街へ。
今、ジュンク堂書店にいるのですが、これから家族でロイヤルホストへ外ご飯。
期間限定で再現されている80年代のメニューが、全員気に入りました。
昔のロイヤルホストは、今より高級感がありましたね。
消化器内科の主治医の注意を守って、ゆっくり食べます。
自作童話が気になっていますが、明日は遊びすぎが祟ってダウンかな……。
マダムN 2010年6月14日 (月) 19:46 ショッピング | 固定リンク
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ひと月、同じ薬を続けることになりました。
よかったり悪かったりというわたしの訴えに、優しく「うんうん」と先生。
そして、飲む前に比べたら調子のよい日が増えたとわたしはいいました。
「どれも副作用という点では安心だから、ひと月続けてみよっか?」と先生。賛成でした。
油物に注意すること。食事をゆっくりとること。遅い時間には物を食べないこと。この三点に気をつけて過ごすように、とのことでした。
「U先生にも診て貰っているんだね?」と、物柔らかに確認をとられました。
体は大きいけれど、本当にソフトな感じの先生です。他の科で胃腸の薬を出して貰っても、ひどくなるばかりでした。
今は、薬が効いていない気がすることはありますが、飲む前よりひどくなったとは思いません。
先生に会って安心したせいか、ひと月が楽に乗り切れそうな気分です。
ところで、今日はびっくりするくらい、早く呼ばれて診察が、何と午前中に終わりました!
で、薬の待ち時間に、出かける前に書いた作品発表広場に問い合わせた記事のことを考えていました。
これまで大変な思いをして書いてきても、誰もわたしの作品や能力に値段をつけてくれる人はありませんでした。
一部の人間の価値観で決まる文学賞に落ち続けると、自分はマイナス円かしら……と思うようになるものです。
思いがけないことに、心に沁みる励ましをくださったのが、アレクサンドリア木星王さんでした。
たまたまですが、それと時期を同じくして、自分で値段の交渉をするようになる(かもしれない)んですからねえ……まあ、これに関しては期待していませんが、来年の出版に向けての心構えができていいかもしれません。
ここで呼ばれました。薬も、今日はあまり待たずに済みました!
忘れないうちに薬剤師さんから教わったことをメモしておきますと、パリエットは便秘になりやすい。ガスモチンはゆるくなりやすい。六君子湯はガスが溜まることがある。
やっぱりね!
次回は7月12日、10:00~11:00枠。
作品発表広場に、貴社サイトを通じて執筆の依頼を受けた場合は30%貴社に支払うことになるのでしょうか、と問い合わせたところ、さっそく回答がありました。以下に、その部分を抜粋。
お問い合わせの件でございますが、当サイトを通じて作家様に
仕事の依頼がございましたら、ご契約された金額の30%を手数料と
して、弊社が頂戴するシステムとなっております。
そのため金額につきましては、手数料等を考慮されることを
お勧めしております。
となると、わたしのサイトにご訪問くださった方で仕事を依頼なさりたい場合は、なるべく直接わたしにメールしてくださるほうが助かります。高くついても、仲介業者を通したほうが安心という場合もあると思うので、どちらにとってもケース・バイ・ケースですが。
※左サイドバーのカテゴリーに「作品発表広場」を設けました。
マダムN 2010年6月14日 (月) 09:46 文学 №2(自作関連), 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 固定リンク
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昂揚のあとの落ち込みというべきか、単に梅雨のせいなのかはわからないが、今日はこれまで調子が悪く、家事をしては横になって寝てしまい、はっと目覚めては家事をして、すぐに疲れてまた横になる……の繰り返しだった。
同じようなことを最近書いたような気がするが、今日の不調の原因は心臓や喘息からではなく、明らかに胃腸。
おなかが張って苦しい。
パリエット、ガスモチン、六君子湯、どれも効いていない気がするが、飲まなければ、もっとひどいのかもしれない。明日は消化器内科の予約日だが、先生に何ていおう? 下手をすれば、匙を投げられてしまうかも。
メモ帳に書き殴った自作童話『不思議な接着剤』の続きの清書が、 3分の1残っている。Notesに書いておきたい情報や考えも書き散らしたまま、まとめていない。
アレクサンドリア木星王さんが、ものになるといってくださったのだから、頑張りたいが、今日は作業が進まなかった。明日は病院で潰れる。完成に漕ぎつけるまでは、こつこつやるしかないが、何だか今日は嫌になったわ。
不快指数高いせいだわね、きっと。
「作品発表広場」のプロフィールページにくっつけている例のもの。そのうち、仕事用として使えるものに交換したい。美容院に行き立てでお洒落した、もう少しはパリッとしたものに。いや、待てよ。それとも創作中の自然体に近い現在のもののほうが、いいだろうか?
あの〇〇は、真剣な顔つきには見えると思うが、寝起きのようで――実際、寝たり起きたりの生活――あまり元気そうには見えないのではないだろうか? 取材が必要な原稿は頼めないと思わせてしまいそう。が、現にそれは今は無理だから、そう思われたほうがいいかもしれない。
仕事希望の設定はまだだ。どんな仕事を希望するかで、どんな〇〇をつけるかが違ってくる。わたしの本を出したいというスポンサーが現れれば一番いいのだけれど(これは夢だわ)、仕事なら、書評なんかがいい(これもほぼ夢だわ)。
「作品発表広場」を通じて執筆の依頼を受けた場合、原稿料の30%を支払うことになるのか、問い合わせておきたい。ニックネームも、ペンネームとして使えるものを考えて、それと交換したい。
※回答は以下。
お問い合わせの件でございますが、当サイトを通じて作家様に
仕事の依頼がございましたら、ご契約された金額の30%を手数料と
して、弊社が頂戴するシステムとなっております。
そのため金額につきましては、手数料等を考慮されることを
お勧めしております。
何か依頼があれば、できることは引き受けるつもりだが、まあめったにないことだろうから、あといくつかの作品の展示が済めば、自作童話の完成に精力を注ごう。
「広場」に自作童話『すみれ色の帽子』も展示したいと思い、作業しかけて、今日は嫌になった。水曜日までには展示しよう。
占いの世界における第一人者、大御所といえるアレクサンドリア木星王氏に、自身の作家志望の行く末について、手紙での占いを希望してみました。
過日購入した『タロット教科書 第1巻 タロット・ワークブック』の巻末に、手紙で相談できるタロット特急占い宅急便という広告が出ていたのです。
アレクサンドリア木星王氏は、わが国の文化に神秘主義哲学の芳香をもたらし、特にタロット及び占星学の分野を高め、大衆層にまで専門知識を普及させた功労者でいらっしゃるので、感謝と尊敬の気持ちを手紙で伝えられれば……という思いもありました。
ただお弟子さんも沢山いらっしゃるでしょうから、ご本人に見ていただけるとは限らない、たぶんお弟子さんに見ていただくことになるだろう――と想像しました。
前掲の占い宅急便のコーナーには、様々なコースとその料金(1,000円~4,000円)が表示されていましたが、いわゆる商業主義的な書きかたではなく、どことなくフランクな雰囲気があり、その他のコースに「心の悩みについて……3,000円/あなたが悩んでいることをなんでも」という項目などもありました。
そこで、メッセージ、生年月日、以下のような悩みを書き、3,000円と共に現金書留封筒に入れ、魔女の家宛に送りました。
中学時代から作家志望の専業主婦です。純文学の賞などで、よいところまではいくのですが、卵のままです。
複数の病気を抱えています。再婚した父夫婦からは難題を持ち込まれがちで、家庭生活は波乱含みです。
こうしたことが文学のテーマともなってきましたが、純文学狙いに限界を感じ、昔から好きだった児童文学に方向転換してみたところです。歴史小説も温めています。
来年辺り、初めての本を出したいと思っているのですが、自己満足に終わるだけかもしれないと思うと専業主婦にとっては高すぎる買い物となるので、躊躇するところもあります。
創作の喜びは尽きませんが、今生では表舞台には立てないまま終わるのでしょうか?とりとめのない質問内容になり、申し訳ありません。
書きながら、表舞台に立てないほうが普通なのだから、どんな占いの結果が出たとしても仕方がない、いずれにしても書くことをやめることはできないだろう……と、自身の哀しきさがを思わずにはいられませんでした。アレクサンドリア木星王氏はジャーナリストとして出発なさったようですから、作家として世に出ることの難しさはご存知でしょう。
アレクサンドリア木星王氏が占いの研究家として一流であることは明らかでしたが、占い師としての腕前はどうなのかしら、と思い、ネット検索してみると、ホロスコープとタロットを組み合わせて占われることが多いようで、しかし、それらはアレクサンドリア木星王氏にとっては、霊感を発動させるための道具と考えたほうがよさそうでした。
返信がご本人からである場合、ホロスコープのみで占われているとか、文面が短く終わっているというようなときは、霊感がうまく発揮されなかった可能性がある……のではありますまいか(これは、ネット検索による情報を総合して弾き出した、あくまでわたしの勝手な想像です)。
月曜日に送り、昨日占いの結果が届きました。水曜日の夜だったでしょうか、今見ていただいているのでは――と感じたときがありました。
ご本人の直筆と思われる封筒の文字に何かしら圧倒され、また封筒の薄さに愕然となりました。というのも、ホロスコープが透けて見えていたからなのですね。
封筒の薄さからして、中にはそのホロスコープ1枚しか入っていないだろうことは明白でした。ホロスコープの余白に2~3行、「前途多難です」といった風の言葉が書き込んである内容を想像すると、開封できなくなってしまいました。
娘がしきりに「開けてあげようか」といいましたが、「駄目。ママが開けるの!」といい、結局、1時間くらいして衝動的な気分が高まって開封。
「えっ?」と、ホロスコープの円内に書き込まれた手書きの星々のマークに、またまた圧倒されながら、裏返して息を呑みました。ホロスコープ用紙の裏側が文字でびっしり埋め尽くされている……頭がクラクラし、同時に感動を覚えました。
占い師って、何て大変なお仕事なんでしょう!
「お便りありがとうございます。」という言葉から始まっていた占いの結果から、特に印象に残った文章を抜粋してみます。
今後のあなたの作家活動及び、プロとして表舞台に立つことが可能か等を占ってみました。
まずはじめに純文学の場から児童文学のジャンルを広げられたということについて、これは実に明るいきざしが感じられます。
〔略〕
本来のあなたの星は、そうした方向をコロコロと変える星ではなく、真面目に一つのことを深く探求してゆく、星であります。それはそれとしてあなたのよい特質でもありますがしかし、ともすれば才能のかたよりもおこりうることもあります。占いでは、これまでの純文学は純文学として、あたためてゆかれ、さらに児童を対象とした作品にとりくんでゆかれることが一つの幸運をよびよせるきっかけとなりそうです。
〔略〕占いましたところ、キーカードとして星と力の正位置がでていました。これはまさしく夢をあきらめずに継続して努力を続けるあなたの姿です。そしてあなたの現実の努力こそが夢を実現できるカギであるということです。
〔略〕児童文学というキーワードは、今後のあなたが作家活動の中でひとつの、きっかけとして未来への、扉を開いてくれることになるでしょう。結論から申し上げますと、出版が自己満足に終わるということはないでしょう。少しずつですが世間の注目をあつめることも期待できそうですし、あなたの記念すべき初版本と、なるでしょう。
〔略〕
占っていただく前の本音としては、もう来世に期待するしかないだろう、というものでした。そうしたところへ、これはまた思いがけなく、何て大きな励ましの言葉をいただいたことでしょう。
貴重な占いの結果を無駄にしないように、しっかりと書き、よい作品を完成させたいと思いました。そして、困難はあっても挫けずに初出版を果たしたい、それを次回の出版へつなげたい、との決意を新たにしました。
ところで、これはお知らせですが、占いの結果を読む前の昼間、過日お誘を受けて考えていた、サイト「作品発表広場http://www.sakuhin.jp/」に登録と作品の展示をしました。
興味がおありのかたは、こ訪問になってみてください。サイト名が表しているように作品を発表できる場で、以下は作品のカテゴリー一覧です。
絵画の作品
彫刻・オブジェの作品
建築・インテリアの作品
文芸の作品
音楽の作品
ソーイング・洋裁の作品
工芸の作品
クラフトの作品
その他の作品
作品の販売も行えるようになっていて、以下は『作品を販売するには』というページからの抜粋です。
作品の販売価格の30%を掲載・紹介手数料として弊社に支払っていただきます。
- 作品が購入された際は、掲載、紹介手数料として、販売価格の30%を「sakuhin事務局」にお支払いいただきます。
弊社への支払いは、作品代金を購入者から受け取った後になります。
支払い方法は銀行振り込みとなります。販売する作品について
- 売る作品は、原則として一点ものとしてください。
(※版画、デジタルイラスト、鋳造品などは、作品ごとにサイン/シリアルナンバーを直筆で記入することで一点ものとします。)- 作品輸送時などに、安易に壊れてしまうような作品は避けてください。
- 権利の譲渡が必要なもの(曲や文学など)は現仕様での販売はできませんので発表だけは可能ですが、売ることは避けてください。
他にも注意書きがあります。
文学作品の販売はできないとなっているのになぜ誘われたのだろうと思い、電話で問い合わせてみましたら、アピールの場として活用でき、仕事を依頼してほしい旨、表明することができるから、ということのようでした。
仕事の依頼にここを利用する場合の注意点があります。販売の場合と同様に30%を「sakuhin事務局」に支払う必要があるということです。詳しくは、以下の記事をご参照ください。
作品発表広場」に問い合わせた件
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-163c.html
わたしが既にサイトで行っているようなことでしたが、アピールの場は多いほうがいいかもしれないと思い、登録してみた次第です。
わたしのページは、ここです。
⇒http://www.sakuhin.jp/profile/id000061.html
現時点では、当ブログで公開中の評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』、純文学の中編小説『台風』を展示しています。電話をかけた際、サイトで公開している作品も展示可能かと問い合わせましたら、可能ということでしたので。
今後、展示数を増やしたいと考えています。ニックネームをマダムNではなく、とりあえずNAOMIにしましたが、これも気にいったワーキングネーム(ペンネーム)が見つかったら、変えたいと思っています。
仕事の希望については、まだきちんと設定していませんが、プロフィールページが履歴書代わりとなるようなので、目障りかもしれないと思いましたが、推奨されていることでもあり、〇〇をつけました。ざんばら髪だし、はれぼったいわ……もう少しましなものと交換したいと思っていますが、まあ普段はこんなものです。今更気取ってみたところで、始まりませんからね。
PDFで作品を保存したのは初めてだったので、フォントに関する迷いがあるなど、不慣れな部分があります。当ブログとあちらとでは、どちらが読みやすいだろうか、と考えたりします。
販売可能なカテゴリーの制作に取り組んでいらっしゃるかたで、発表の場や販売手段を持たないかたにとっては、「作品発表広場」は便利なサイトかもしれません。
※ といっても、サイトの信用度など、まだわたしにもよくはわかりませんので、あくまで参考まで……といった程度のご紹介とお考えください。
● 関連記事:文学界の風穴となるだろうか?
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/06/post-9dc1.html
自家製バジルで作ったカプレーゼ。『なすとトマトのスパゲッティ』は、山田宏巳シェフ「おいしい基本のイタリアン」(世界文化社)より。
どちらもさっとできるところが、ありがたいです。
マダムN 2010年6月11日 (金) 23:19 クッキング | 固定リンク
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ロフトへ行くたびに、ついミニマーカー(付箋紙)を買ってしまいます。これでミニマーカーの記事は、3回目だったかしら?
少し貼りすぎかも。創作資料は特に、マーカーだらけになりがちです。
本を傷めずに済むのはありがたいのですが、貼りすぎると、逆に大事なところがわからなくなりますし、目的を果たしたあとで剥がすのが一仕事。
と思いつつ、今日も買ってしまったのは、ビスケットとキー。
ちなみに、以前はシールを集めていました。よく手紙を書いていたからですが、今はめったに……。
マダムN 2010年6月11日 (金) 00:05 ショッピング | 固定リンク
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買い物に出なきゃいけないけれど、眠くて眠くて。
午後1時すぎ、薬を飲みかけたときにちょうど電話がかかってきて長話したせいで、半分残った薬が飲む前のものか後のものかわからなくなり、首をかしげながら飲みました。
そのあと、襲ってきた眠気。家事の合間に座ると、眠りこけそうになります。間違って2錠ずつ飲んでしまったのかも。そのせいで、血圧が下がりすぎて眠いのかもしれません。
眠気で買い物に行く道で遭難したら、どうしよう。
異様に眠いわ……
(_ _).oO
「これ、観て! 可愛いよ~!」と、娘に教わりました。ホント、あまりのかわゆさに、何度も観てしまいました。
TheLiakatz さんのチャンネル
YouTube - Cute dreaming kitty
25秒 - 2010年5月10日
http://www.youtube.com/watch?v=CVmGBoPx6Ms
マダムN 2010年6月10日 (木) 01:28 パソコン・インターネット, 文化・芸術, 植物あるいは動物 | 固定リンク
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時間のないときは、これに限ります。幸い、家族は三色ご飯が大好き。
ベランダのバジルが育ちすぎたので、トマトとモッツァレッラチーズを買っていました。
カプレーゼとパスタをする予定でしたが、童話の執筆に時間をとられたので、素早く出来るものに変更。
鶏ミンチを解凍し、娘は仕事が遅くなったので、夫にスーパーから絹さやを買ってきて貰いました。
夫には、まだ肉と魚と果物は難しいようですが、野菜は頼めるようになりました。
あまり嫌がらずに行ってくれるようになり、娘に頼めないときのピンチヒッターです。
味噌汁の具は、いずれも半端で使い切りたかった豆腐、椎茸、こんにゃく、白ねぎ。
作品が仕上がるまでは、夕飯作りも予定が狂いがちになりそう。
マダムN 2010年6月10日 (木) 00:09 クッキング | 固定リンク
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今朝の朝日新聞によると、福井県立恐竜博物館は8日、勝山市の白亜紀前期の地層で発掘した大型草食恐竜の化石が新種とわかり、「日本産の福井巨人」を意味する「フクイティタン・ニッポネンシス」との学名をつけた、と発表したそうです。
まるで、わたしの童話の子供たちを出迎えに来てくれたみたいだわ。
フクイティタンは、「長い首や尾を持つ四足歩行の『竜脚類』のうちブラキオサウルスなどと同じティタノサウルス形類」だそうで、わたしの作品に出て来る恐竜のモデルにぴったり!
ああ、なんて素敵なんでしょ。もうラブラブなの。愛しのフクイティタン……!
マダムN 2010年6月 9日 (水) 21:41 植物あるいは動物, メモ帳Ⅰ, Notes:不思議な接着剤 | 固定リンク
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今日は朝から体が変に疲れきっていて、ちょこっと家事をしては眉を顰めて横になり、ちょこっと家事をしては眉を顰めて横になり……の繰り返しでした。
こんなときは大抵、ニトロ舌下でこの繰り返しが終わるのですが、今日もそのよう。
午後5時半くらいに胸の圧迫感。数分後に胸のど真ん中、深いところからジワッとくる嫌らしい痛み。
迷いなく、ニトロペンを使いました。
これでよくなって、夕飯作りに突入できるかも。もう少し横になって、様子見です。
社会人ドクターとして大学院の博士課程に在籍しながら会社に勤めている息子は、最近スランプのようだった。
会社の仕事がハードかと思わせたが、話を聴いていると、会社の仕事と研究との板挟みになっているというよりは、スランプの原因は、どちらかというと研究のほうから来ているのではないかと感じられた。
息子にとっての研究は、わたしにとっての創作に該当するもので、仕事(わたしの場合は主婦業)が生活を支えるパンであるとすれば、研究は人生における恵みの水なのだ。仕事が団子なら、研究は華。
二重生活の利点というものはあるにせよ、それは時間的にも、精神的にもつらい。
専業主婦を看板としてきたわたしだが、本当は家事が専業であったことはなく、むしろ創作というワークのほうが主たる仕事だった。家にいながらにして不在という主婦ぶり、母親ぶりで、仕事をしている女性と酷似した――それでいてお金は一銭も入れない――暮らしを続けてきており、家族には密かにすまないと思ってきた。
息子にとっても、わたしにとっても、パンと水を同じところで得られる一重生活が理想なのだが、それには時間が必要であるようだ。わたしは作家になりたい。息子は、ゆくゆくは独立した一研究者となるのが目標だろう。
5月に一緒に別府旅行したときから、何となく焦燥が感じられた。直前に大学に寄った息子は教授と研究の話を詰めたかったようだが、教授は旧知の呑み友達が訪ねたように歓迎してくださったらしい。
ドクターコースに進学したばかりの息子を気遣ってくださってのことだったかもしれないとわたしは思ったが、時間を遣り繰りして大学に出向いた息子には物足りない訪問と終わった様子だった。
テーマはあるらしかったが、何となく研究にうまく入りこめないまま、会社の仕事で一日が暮れる生活。わたしは息子の焦りがピークに達しているのを感じ、やばいと思っていた。
石橋を叩いて渡る息子のことだから、会社の仕事と研究との両立ができないような選択はするはずがなかった。大変になることは承知での進学だったはずで、そう簡単に音を上げるはずがないとわたしは考えていた。
研究のほうがうまくいかないのかしら、と思いつつ、わたしもスランプというか、創作のゆっくりとした進行に焦りを覚えていた。
シリーズ物にできるだけの作品には丹念な下準備が絶対に必要だとの確信がありながらも、それ自体が一つの研究であるかのような、当初に計画した以上の膨らみを持ってしまい、望外の悦びと苦痛をもたらしていた。
が、お話の続きを書いた時点で確かな手応えが感じられ、わたしは一つのスランプを脱した感触を得た。息子も昨夜の電話からすると、一つのスランプを脱した様子だった。
息子の場合は、急遽、論文を書かなければならなくなったようだが、それが負担どころか、「全く、こんな急に……」と愚痴を装いながらも隠しきれない、とろけるような嬉しそうな声。
研究に入るためのウオーミングアップには、ぴったりのワークであるようだった。
一度お電話をいただいたことがあるので、お目にかかったことはないながらも、教授のお人柄はそのときに充分に伝わってきた。理系の優秀な研究者にありがちなことなのかどうなのかはわからないが、人間としてのたぐい稀な純粋さとある種の不器用さが同居して感じられた。
研究者を目指す学生にとって、担当教官は頭上に燦然と輝く導きの星であり、一方では生殺与奪の権を握る権力者とも感じられるのではないだろうか。
修士課程の間は大学に入り浸れたので、話の通じにくい教授とのコミュニケーションも比較的とりやすく、研究関連の情報も入手しやすかったのが、遠く離れていると、それが思うようにいかず、研究の停滞や気分の低下につながることがあるようだ。この点が、今後の課題でもあるだろう。
念のために、息子に訊いてみた。「転職を考えるくらい、会社の仕事が大変そうだけれど、今、論文なんて大丈夫なの?」とわたし。すると、息子はこともなげにいった。「ああ会社の仕事? 別に。もう慣れたよ」
研究者としての独り立ちを目指す限り、芸術家を目指すのと同じような困難に、今後も幾度も見舞われるのだろう。同じ茨の道を歩く者として、粘りという点では負けないわよ。幸か不幸か、その遺伝子がおまえにも伝わっているのだろうね。
マダムN 2010年6月 7日 (月) 13:30 文化・芸術, 創作関連(賞応募、同人誌etc), 息子関連, 家庭での出来事 | 固定リンク
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明日の夜、夫は飲み会。夫の飲み会は数種類のタイプに分けられるが、明日の飲み会は仕事関係のものではあるけれど、同じ地域の新旧とり混ぜ、気の合う仲間内のものとして比較的最近になって形成された、肩の凝らない飲み会。
わたしも、こんな飲み会に夫が出かけるときは気が楽で、あれこれしたいことが頭のなかを駆け巡る。なぜ、夜暇になるだけなのに?
まる一日自由時間を確保できる気がするからだろう。
現実には、主婦業が全くなくなるわけではない。夕飯作りをパスできるだけ。それに、飲んで帰宅した夫の世話……というか、そういうことはほとんどしないといっても、遅くになって洗濯物が出るので、ワイシャツの首周りと袖口だけはハイターを塗って、汚れを落としておかなくてはならない。夫の気分の高揚次第では、おしゃべりにつき合う必要も出てくる。飲みすぎていると、不快な気分になって思わず愚痴をこぼしたり、心配したり。
自由な気分に、このささいな残業が水をさす。結局は、締め括りのよくない一日が終わるだけのことが多いが、夕飯作りをしなくて済む開放感は大きい。
料理は好きだし、健康状態が低下したここ数年は外食や弁当に頼ることも多いのだが、やはり夫がいるときは、全ての中心に夫がいて、外食も弁当も常に夫の好みや気分を窺いながら……ということになる。
夕飯は、娘と好きなところへ行って食べられる。でも、その前に買い物をして……となると結局は家事と外出で一日潰れることなるわけで。それを避けようと思えば、宅配カレー、ピザなんかを頼むのもよし。サンドイッチを買ってきて貰って、夕パンもいいなあ。買い物はどうする? 葛藤。
何より、わたしは今、自作童話『不思議な接着剤』のための時間がほしい。
今日はここまでは概ね、家事雑用で終わった。一昨日から昨日にかけて、童話の続きを書き殴ったのはいいけれど、それの清書に数日かかりそうだ。とにかく深夜から明日にかけて、そのための時間をなるべく確保しよう。Notesに進行状況を書くのは、そのあとになりそう。
数日前に、ソネットブログ「マダムNのエッセー」を開設しましたので、お知らせ致します。アドレスはこちら。
⇒http://essay2010.blog.so-net.ne.jp/
前に、当ブログで誕生したお気に入りのエッセーが、記事数が増えるにつれて埋もれてしまいがちなので、エッセー・セレクションを作りたい旨、書きました。
それ専用のブログを作っておけば、当ブログで気に入ったエッセーが書けたときに、そちらにも収録できると考え、作っておくことにしました。サイドバーにINDEXが付いていて、もう40くらいは入っています。
ずっと前にソネットブログで「マダムNの神秘主義的作品」を作り、当ブログの記事中、神秘主義的色彩の濃い作品を収録してきました。
ソネットの無料のブログサービスは、5つまでブログが作れます。少し前に作った「マダムNの純文学小説」も同じサービスで作りました。
わたしが利用させていただいている無料サービスでは、他にシーサーと忍者が複数作れます。
シーサーブログは夢の記録に使っていますが、わたしにはやや使いづらいです。
サイト作りにも試行錯誤があり、今回の「マダムNのエッセー」の開設に伴い、『マダムNのサイト総合案内』の内容を一部変更しました。
保管庫及びINDEX機能を持たせる目的でJimdoサービスで開設したホームページ「マダムNの図書館」は、記事数が増えるにつれ、動作が悪くなり、作業しづらくなって放置気味となってしまいました。従って、削除はしていませんが、案内からは外しました。
この「図書館」が使えなくなったために、「マダムNの純文学小説」「マダムNのエッセー」を開設したいうこともあります。「図書館」が気に入っていただけに、ちょっと残念です。
フリーメモとして使ってきた忍者ブログ「Notes pour N」は、別に見られても構いませんが、見せるブログではないので、案内から外していました。
当ブログのサイドバーにつけた「Nの手帳」がフリーメモとして使えるので、「Notes pour N」はNotes類の専用ブログに改装しようかな、と考えたりしています。忍者ブログは、わたしには使いやすいほうです。ちょと微妙なところはありますが……。
ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」で連載していた主要作品『不思議な接着剤』を非公開としてしまったので、このブログも改装の必要があります。
ジオシティーズのホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に付属のジオログも、使い道を考えあぐねています。しばらくは創作ノートとして使用していたものの、1回の記事のアップに字数制限があるため、字数オーバーが気になり、創作ノートとしては使えなくなりました。「Nの手帳」を作る前にフリーメモとすることも考えましたが、わたしには使いづらく感じられました。
が、何かに使えそうで、考えているところです。
昨日から今日にかけて、自作童話『不思議な接着剤』の続きをかなり書きました。メモ帳に何十枚か殴り書きした段階なので、しばらくは整理に時間がとられそうです。
殴り書きしながら、Notesとしてきちんとした形にプラン、資料、思いついた断片をまとめておいてよかった心底思いました。ブログで見せるものとしてまとめていず、自分だけのものとしてまとめていたら、おそらく自分にもわかりづらいものとなっていたでしょう。
あとになって、前にまとめた資料が必要となることが結構あります。そのとき自分にだけわかる内容としてまとめたものは、結局自分にもわからないものとなりがちなのです。昨日から今日にかけて、わたしは何度もプリントアウトしたNotesの前のほうを見、その度に自己満足に浸りました。
Notesを作る以前は、そのたびに本棚を漁ったり、ネット検索したりしなければならず、結果的に書く作業を何度も中断しなければなりませんでした。今はそんなことが少なくなり、よどみのない時間の流れのなかで、インスピレーションが冴え渡ります。
下調べの作業をしていると、こんなことをしていないですぐに文章にしてしまったほうがいいのではないかという迷いが生じます。しかし、スケールの大きなしっかりとした作品を仕上げるには、やはりきちんとした下調べの作業が必要だと改めて感じました。
地味な作業を真面目に続けてこられたのも、おそらくブログとして公開してきたからで、これもブログサービスと閲覧してくださるかたがたのお蔭だと、ありがたく思いました。
インスピレーションのひらめきの下で、Notesを参考にしながら続きを文章にしていく作業中は、何といいましょうか、創作を続けてきてよかったなあ……という幸福感でいっぱいになります。
下調べが鉄道を敷く苦労の多い作業なら、文章にする作業は電車を走らせる楽しさに満ちているのですね。このやりかたで、わたしはいずれ、月にも金星にも作品というロケットを飛ばすつもりです。
これからも、『不思議な接着剤』の完成までは、下調べと文章化とを交互に続けていくことになります。文章にしたものは非公開としてしまいましたが、これからもどうか、温かくお見守りくださいますようお願い致します。
マダムN 2010年6月 5日 (土) 18:38 ウェブログ・ココログ関連, お知らせ, マダムNの他サイト情報 | 固定リンク
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月曜日に、レッドクロスの消化器内科で出していただいた漢方薬、六君子湯エキス顆粒。
何だか頭のよくなりそうな薬名ですが、昨日辺りから効果を感じなくなり、今日になると、飲んでも飲まなくてもいいような気さえします。
というと、パリエット、ガスモチン、六君子湯と、相次いで沈没……かと思わせてしまうでしょうが、前は食後に横にならずにはいられないほど気分が悪くなっていたことを考えれば、今はこうやって平気でパソコンをやれるくらいですから、張りや吐き気は出てきたものの、以前ほどではなく、明らかに体調の改善が見られるようです(と思いたいわ。三食に戻るのは無理だけど)。
心臓の薬も、今の薬に落ち着くまでは、相当に試行錯誤がありました。それでも、発作を完全にシャットアウトとはいきませんものね。
体調の改善は創作に即影響するみたいで、ここ数日、かなりの創作作業を行うことができました。
理想としては、三食にもどせるくらいよくなり、おなかパンパンもなくなって元のスタイルに戻り、さらには薬を減らせることですが、欲深にすぎましょう。
ネットサーフィンして、良性腫瘍がホルモンに影響を及ぼし、物凄い高血圧その他重大な病気をもたらしていたのが、腫瘍をとったら嘘のようによくなった――などというサイトを閲覧すると、羨ましくて、つくづくと見入ってしまいます。
そんなサイトの中に、金色の素敵なリボンをつけたうんこが(尾籠な話をあからさまに失礼)、泣きながら画面を走り去る動画があり、笑ってしまいました。検査のために流してはいけなかったそれを、うっかり流してしまった後悔を表現しているようでした。
マダムN 2010年6月 5日 (土) 16:43 健康 №2(体調) | 固定リンク
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昨日から今朝にかけて、自作童話の続きを沢山書きました。進行状況はのちほど、Notesに。
下書きは、相変わらずメモ帳に走り書き。時間が経つと、自分でも解読できなくなります。
φ(._.)メモメモ
プリントアウトした『Notes:不思議な接着剤』が大活躍していますよ。
レタスと一緒にお皿にのっているのは、ホタテを梅肉衣で和えたものです。
土井勝先生のレシピを参考にしましたが、塩と酒で炒りつけたホタテは、レシピではゆり根と和えてあります。
わたしは解凍した冷凍ホタテを使い、梅肉衣で和え、レタスと組み合わせました。
レシピから簡単にご紹介しますと、ホタテ4個に、梅肉衣は《梅干し(30g)大2個、しょうゆ小さじ、砂糖大さじ1/2、みりん・酒各大さじ1/2》です。
ホタテと梅肉衣が合うので、よく作ります。
昨日は、自作童話の執筆と過去に書いたエッセーの整理とで忙しい一日でした。
夕方にはぐったりとなりましたが、気持ち的には充実していて、ご飯もしっかり作ろうと思いました。
そろそろ梅雨の気配が感じられ、洗濯物の乾きの悪いのが嫌ですね。
会社員とドクターコースの学生とを掛け持ちしている息子は、緑の乏しい東京暮らしにやや疲れを覚えている様子。
寮には食堂がありますが、家庭的なご飯を食べさせてあげたいなあ、と思います。
マダムN 2010年6月 5日 (土) 01:02 クッキング | 固定リンク
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ドライブがてら、宇佐神宮へ行ってきました。
もっと早い時間に行って、お祓いして貰えばよかったな。
宇佐へ入る前に、山々の重なりが本当に優美で美しく見えました。
空が黄昏前の光を帯びて真珠色に輝き、それがまるで山々のオーラみたいに見えました。
勿論、木にもオーラはあり、山は木々のオーラに満ちているわけですが、空の色があまりに山々に似合っていて、山々のオーラのように見えたのでした。
お神籤を引いたら、娘もわたしも大吉!
「いつも、真ん中の御殿は閉まっているのですか?」とおふだ・おまもり売り場で尋ねましたら、「はい、あそこはいつも閉まっています」とのことでした。
一昨日の夜、久しぶりに強い胸痛の起きたことが気になっている。飲み出した漢方薬が影響しているということはないだろうか?
最近、疲れていたので、そのせいかもしれないが。
胃腸の調子は快適。喘息にも効いている気がする。前に漢方内科クリニックで出していただいた漢方薬は二種類で、今は一種類しか飲んでいないからかもしれないが、作用は穏やかに感じる。
が、前ほどではないにしても、体が元気になった一方では疲れもする――という感じは同じ。
六君子湯の構成生薬を調べてみた。
人参・朮・茯苓・半夏各4.0、陳皮・大棗各2.0、甘草1.0、生姜0.5
内臓を温めて、胃腸の働きをよくし、余分な水分を排出する作用もあるようだ。悪心、嘔吐にも効くらしい。実際、吐き気がしなくなった。
体も、いつもは冷え性のわたしが温まりすぎるくらいで、昨夜、「暑い、暑い」といったら、家族が「えーっ!」と驚いた。
ただ、甘草。これがわたしは気になる。漢方薬では薬間の調整のためにも使われ、スーパーで売っている普通の食品にもよく使われているというから、あまり気にしなくていいのかもしれないが、甘草は偽性アルドステロン症を起こすことがあるという。
ネット検索で、偽性アルドステロン症について、わかりやすい解説を見つけた。
昨日は、朝から夕方までニュースを見なかったので、勤めから帰った娘に教わるまで知らなかった。
そのあと、テレビをつけてニュースを見た。鳩山首相の顔を見る。首相になったときから辞意表明のときまで、目が泳いだままだった。
あの目は何だろう、とずっと異様に思っていたのだが、過日、息子が「人間は、追い詰められたらあんな目になるらしいよ」といったので、ああそうなのか、と思った。
最初から、荷が重すぎたということだろうか。小沢氏を道連れにするようだが、それについては一幕物の舞台劇のように映る。
どうなるのかなあ、この国は。派手なことをやると大衆は喜ぶけれど、手術ばかりじゃ体力が底をつく。地味な修復を重ねながら、少しずつでもよい方向へ行くように頑張ってほしい。そんな実務肌、専門家肌の慎重な政治家が昔は沢山いたような気がするけれど……。
カーペットの上で撮影したニトロペンの殻。
前のふざけた記事をアップしたあと、夫と駄洒落をいい合って、そのあと陽気にトイレへ。
小用を足そうと腰を落ち着けたとたん、胸のど真ん中に強烈な痛み。
何の前触れも感じませんでした。
ジャムの空き瓶に3錠のニトロペンを備えていて、よかったと思いました。
トイレでは案外起きやすい狭心症の発作。備えあれば憂えなし、ですよ。
丸ごと茹でたジャガイモに、悩まされた夕方だった。
わたしはお焼き風ポテトにすることに決めていたのだが、ジャガイモたちは全員一致でコロッケになると決めていたからなのだ。
全員一致ということには人間的危うさが潜んでいる可能性があるのではないか、とユダヤのサンヘドリンの規定のことなど考えてみたりもしたが、やつらは人間ではなく、ジャガイモなのだった。絶句。
ああ、わたしの消化器内科の主治医は、油物には気をつけろといったのに、やつらったらもう、コロッケになりたいだなどと!
マダムN 2010年6月 1日 (火) 21:14 | 固定リンク
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今年、社会人ドクターとなった息子。
入社して2年目になり、仕事も面白くなってきて、上司の期待も大きくなってきたことが、ドクターコースにいる息子にとっては、逆に負担となる一面があるみたいだ。
研究に専念する道をあれこれ探って迷いも生じるようだが、いずれにしても、気長を心がけ、速断は避けたほうがいいのではないかという気がする。
物事を成し遂げること、いや、それ以前にライフワークを持続すること自体が本当に容易ではない。
わたしなども同じ葛藤を抱えてきて、社会的に見れば、一専業主婦以上でも以下でもないが(以下にはならないように頑張っている)、一人の人間としてはわたしなりに毎日が闘いで、その闘いとは、創作する時間を作るための闘いといってもいいすぎではない。
創作に関しては、誰も強要する人がいないだけに、自分がやめようと思えば、それで終わりなのだから、その自分との闘いともいえる。また、創作をやめたからといって、それが悪いとは限らない。全ては自分次第だ。
そういえば、継続は力なり、という言葉があった。フランシス・ベーコンの言葉だったっけ? と思い、調べてみたら、やはり彼の言葉で、元々は以下の言葉だという。
「知は力なり」(Ipsa scientia potestas est)
出典は 『聖なる瞑想。異端の論について』(1597年)。
二つの言葉は随分違う気がするけれど。尤も、知を育むには継続した努力が必要ではある。『聖なる瞑想。異端の論について』とは、如何にも面白そうなタイトルだ。わたしは昔、フランシス・ベーコンの本を図書館から借りてきて、熱中したことがあった。
マダムN 2010年6月 1日 (火) 15:30 ウェブログ・ココログ関連, 文化・芸術, 書籍・雑誌, 息子関連, 家庭での出来事 | 固定リンク
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