「マダムNの文芸作品一覧」に収録中の作品について
マダムNの文芸作品一覧https://elder.tea-nifty.com/blog/cat22027613/index.html
2010/4/24
記事数が増えるにつれ、自作文芸作品が埋もれてしまいがちとなり、そのことが気がかりでした。
自作文芸作品の収録は、主にホームページで行うつもりでしたが、ホームページというものは、オリジナルなページ作りの楽しさがある反面、迅速に収録を行う作業にはあまり適していないようで、遅々として進まず、沈滞気味でした。
その点、ブログサービスはありがたく、ページ作りの煩わしさがありません。また、ココログでは長い小説であっても一気に一記事として収録できることがわかりました。
収録済みの自作小説『台風』、当ブログから生まれた評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』などは100枚弱の作品ですが、一気に収録を試みたものです。
※『台風』『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は電子書籍にしたため、現在は非公開にしています。申し訳ありません。
いっそ利用プランを現在のベーシックからプラスに切り換えて、自作文芸作品専用のブログをココログで別に作ろうかと考えたりもしていて、現在、検討中です。
ただ、ホームページ作りの楽しさにも捨て難いものがあるので、それはそれで継続していければと考えており、増えた他のブログたちの今後も含めて、なかなか結論が出ず、逡巡しております。
とりあえずは、訪問者の便宜と、気が向いたときに自作文芸作品を収録できるようにしたいとの考えから、「マダムNの文芸作品一覧」を作成した次第です。
とはいえ、収録作業を考えると尻込みしたくなるのですね。そこで、長いものは始めの部分だけでも写しておこうと思い、昨日から今日にかけて、何編かそうしてみました。
写していると、作品執筆当時の自分が思い出されますが、昔の自分がまるで別人のようにも想われて、編集者のような視点で自作を再読できたのは一興でした。
中学3年生のときに書いた『小さなふれあい』という作品は、模倣の段階にあるもので、児童文学作品に類したものです。
中学1年生のときから盛んに詩やジュニア小説や児童文学作品に類したものを書き散らしていました。この作品は、リンドグレーンの『さすらいの孤児ラスムス』、西部劇『シェーン』の影響を受けて書いたように記憶しています。
『小さなふれあい』には、子供らしい設定上の重大な欠陥があり、笑ってしまいましたが、当時のわたしは文集になってからそのことに気づいたらしく、ページの余白にそのことをメモしています。
課外活動ではなく(課外では短期間ですが、バレー部に所属していました。もう少し本格的にバレーをしたのは、高校になってからでした)、授業の一貫として行われていたクラブ活動で文芸部に所属し、そこで創作集を編むことになりました。
パソコンなんてない時代。担当の女の先生が、実業高校で和文タイプを学んでいる女生徒に頼んでくださって、ガリ刷りではなく、豪華にも活字の文集が出来上がりました。
文集のトップに来ている作品は、2年生の女生徒Fさんのメルヘンですが、今読み返しても驚くほど完成度の高い作品です。よくこれだけのものを、中学2年生の段階で書けたものだと呆れます。
文章は、大人も顔負けに洗練された、ふくよかなもので、メルヘンといっても、豊富な知識をもとに周到に下調べがなされていることがわかります。
当時のわたしは、勿論ショックでした。Fさんは勉強もでき(確か早稲田に行きました)、担当の先生は明らかにそのFさんに夢中でいらっしゃいました。
そして、わたしの作品に対しては否定的でした。Fさんとは輝くような楽しさでおしゃべりなさるのに、わたしに対しては居心地の悪そうな、寡黙な接しかたでした。悪いことには、その先生は母の同級生でした。
自分でいうのもナンですが、わたしはどちらかというと先生に贔屓されやすいよい子ちゃんタイプでしたから、そんな扱いもショックでした。
先生があからさまにおっしゃったわけではありませんでしたが、Fさんの作品に対しては最高級の賛辞のムード。わたしの作品に対しては、曇った顔つきで、納得がいかないというムード。
具体的にはペーズという地名がおかしいから変えるように、といわれました。
わたしは先生の顔色を窺いながらも、変えたくありません、といいました。作家の作品に架空の地名が出て来ることはよくあると思えましたし、作品には日本でない別の――外国の――ムードを漂わせたかったのですが、行ったこともない実際の地名を出すのは嫌でした。
Fさんの作品では、メキシコという実際の地名が出てきます。
メキシコの草原で育ったコスモスたちが、「おまえたちのおっかさんは、日本にいるんだろう、ね、そうだろう?」「おまえさんたちよりか小さいけど、よく似た形の花を百いや千だったかな? とにかく花をいっぱいつけた大きな木を春行った時見たんだよ。とってもきれいだったぜ。その木に咲く花は、毎年風に吹かれてどこかへ行っちまうんだ。おまえさんたちは、日本からここまで小さい時に飛ばされてきたんじゃないのかい。おいらの考えによると、その大きな木は、おまえさんたちのおっかさんで、小さい花びらは、おまえさんたちの妹や弟になると思うけどどうだろうか?」とそよ風にいわれ、日本に行く気になります。
ここでは、コスモス――秋桜――がメキシコ原産ということがモチーフとなっていると思われますから、メキシコという地名を出す必要があります。また、コスモスたちが桜を母親と思い込んで向かう先は日本ですから、メキシコの描写は最小限で済ませられるわけです。
わたしの作品では、そういうわけにはいかなくなります。旅をしている少年が主人公で、彼はペーズという町に向かっているわけですが、実際の地名を出せば、少年のいる町の描写まで正確にしなくてはならなくなります。
当時のわたしはそのように考え、X市という地名を妥協案として先生に示しましたが、先生は肩をすくめるような素振りをされただけでした。
この年齢になって当時を振り返って思うのですが、あの先生の態度って何なのでしょう? 母と親しく談笑される姿を目撃したことがあり、母と仲が悪かったからとは考えられませんが、単に作品やわたしが気に入らなかっただけなのだろうか、と今でも不審に思います。
最終的に先生が折れてくださったようで、町の名はペーズとなっています。わたしはあとで、ペーズを消して「X市」と訂正しています。創作活動を行う上での闘いは、このときから始まっていたというわけですね。
かんばしくない先生の反応から、わたしは自信喪失してしまいました。が、文集を読んだひとみちゃんが、あなたの作品が一番いい、何といっても内容に深みがある、あなたはすでに作家だと思う――と、真剣な目をしていってくれました。
ありがとうと感謝しながらも、正直いって褒めすぎだと思いましたが、慰められました。このひとみちゃんは、執筆中の長編児童小説『不思議な接着剤』『すみれ色の帽子』に出てくる瞳の初期のモデルとなりました。
なぜ、中学生のときに書いた作品を一覧に加えたかというと、そこに出てきた登場人物が今でもわたしのなかで生きているからです。真実のふれあいに生きようとする主人公ジョンの気持ちはわたしの気持ちを結晶させたものであり、そのなまなましい願いは当時も今も変わりません。
この最初期の作品でわたしが追究したかったのは、人間の内面性だと思います。
模倣の段階にありながらも、そうした内面性の表現という一点だけは、オリジナル性を伴っていると思われ、棄てきれませんでした。
『茜の帳』は子供の虐待を、『地味な人』はお受験殺人事件と称された事件を題材にとったものです。子育て中の人間にしか書けないものが表現されていて、貴重だと思っています。
『茜の帳』には構成上の飛躍があって、最終的に幻想譚となり、周囲の評価のわかれるところでした。『地味な人』は、受験、格差問題を核とし、アメリカ型商業主義、都市のドーナツ化現象などに取材した今に通じる時事問題を織り込んだ社会派めいた作品。3次落ちに、悔しい思いをしました。
『銀の潮』は、ヒロイン津世に魅力があるようで、流れを端折った粗筋めいた作風にも拘らず、周囲の評価は高いものでした。同じ欠陥と人気が『あけぼの――邪馬台国物語――』にもいえます。
『露草』は、病気と死を見つめる画家の青年に対して、恋愛に限りなく近い友情を抱いた男性の回想譚。この作品のテーマの一部が発展して、『ブラック・コーヒー――文学賞の舞台裏――』となりました。
作家志望のヒロインが自分をバイセクシュアルではないかと疑い、実験精神と作品にもなるという打算から性的な冒険を試み、残念ながらノーマルだったと悟る作品ですが、『露草』も『ブラック・コーヒー』も神秘主義的観点から書かれているところは、共通しています。
文学界に対する批判も込めた『ブラック・コーヒー』は賞を狙った野心作でしたが、結局賞は獲れず、周囲の顰蹙を買って終わりました。
『白薔薇と鳩』は、手記『枕許からのレポート』とテーマを同じくします。結婚生活の機微をいくらか滑稽なタッチで描き出そうとしたという点では、掌編『風疹』にカラーが似ています。
一覧にある作品は、その時でなくては到底書けなかった旬の味わいがあるので、それぞれの旬を生きていらっしゃる人々に読んでいただけたらと思っています。収録作業はぼちぼちとですけれど。
※追記
2013年9月24日現在では、作品の発表の場を主にアマゾンのキンドルストアに求め、セルフパブリッシングのための電子書籍作成に勤しむようになりました。キンドルストアで販売中の電子書籍はアマゾンの以下の著者ページに表示されています。
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