児童文学作家・アストリッド・リンドグレーンについて、これまでにとったノート
アストリッド・リンドグレーン
Astrid Lindgren,1907.11.14 -2002.1.28
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№1
2006/04/15
児童文学作家リンドグレーンが放つ不気味さ、なつかしさ
『長くつ下のピッピ』で有名なスウェーデンの児童文学作家リンドグレーンは、わたしにとって常に近しい、かけがえのない存在だ。
リンドグレーンは偶然、娘と誕生日が同じだ。その前日は父の誕生日で、その1週間前はわたしにとってとても大切な人の誕生日だ。全員が蠍座生まれということになる。そして、その全員が、わたしにとってはちょっと謎めいた存在となっているのだ。共通する天真爛漫さ、雄大あるいは型破りといってもいいようなスケールの大きな考え方。それと相容れない神経の過敏さ、底深いシビアさ。 一見無邪気なお転婆少女に見える長くつ下のピッピにも、そうした性質を見出すことができる。
幼い頃に死に別れたママは天国、難破して行方不明になったパパはどこかの島の黒人の王様になっているとピッピは陽気にいう。「ニルソンくん」という小さなサル、馬と共に「ごたごた荘」で一人で暮らすピッピは、まだたったの9つなのだ。彼女は料理が上手で、世界最強といってもいいくらいに力が強く、奇想天外なことばかりやらかすが、すばらしく頭がいいことも見てとれる。おまけに金貨を沢山持っていて、一人で暮らしていくには何も困らないかに見える。行動面だけ見ている限りにおいては、何の憂いもなさそうに見える。
このピッピに憂愁の影が迫り、孤独をじっと見つめ続けるピッピ自身が、闇に呑み込まれそうになる危険性と隣り合わせにいることを印象づけられる場面がふいにあらわれることがあって、実にぎくりとさせられる。子供の頃の孤独は、この世に強くアプローチする手立ても原因を分析する方法も乏しいだけに、底なしのところがある。大人になると、そうした面を忘れがちなのだが、リンドグレーンは終生忘れず、否子供独特の孤独感を自身が共有していて、それを見事に描き出した作家ではないかとわたしは思う。
殊に、こうした側面が強くあらわれた『ミオよわたしのミオ』『はるかな国の兄弟』においては、憂愁の帯び方が強烈すぎ、不気味なくらいだ。子供にこれらを与えていいかどうか、迷うほどに。それはリンドグレーン自身の抱え込んだ闇を連想させ、解決不能の死後の問題にまで発展していく力強さと救い難さを持っている。彼女はそうした抜きさしならぬ問題を決してごまかそうとしない強靭さに加え、優美といってもいい注意深い優しさ、また豊かな幻想性と何よりユーモアに恵まれた人物でもある。それらが一つに溶け合って、忘れがたい、なつかしい味わいを残す。
あれは何年前のことになるだろう? 新聞記事でリンドグレーンの訃報に接したときは、ショックだった。大きな星が落ちたような気がした。彼女は著名な作家になってから、福祉的な様々な社会活動に身を投じた。子供専門病院の設立も、彼女の事業の一つだった。
№2
2007/09/8
リンドグレーンの作品について書きたいこと
娘が、徳間書店から出ている『こんにちは、長靴下のピッピ』を買ってきた。これは絵本で、イングリッド・ニイマンによって描かれた、本物のピッピの挿絵が使われている。
やはり娘が、数日前に買ってきた雑誌『MOE』で巻頭特集「リンドグレーン生誕100周年」が組まれていて、それで初めて、わたしは本物のピッピの挿絵に出会ったのだが、わたしと同じように衝撃を受けた娘が絵本を買ったというわけだった。
いやあ、ワイルド、ワイルド。リンドグレーンはスウェーデン、挿絵画家ニイマンはデンマーク生まれというのに、何かアメリカン的などぎつさのある絵だ。
でも、娘がいってくれて(MOEに書いてあったらしい)ハッとさせられたのだが、ピッピは弱冠9つなのだ。わたしがこれまでに目にしたピッピはどう見ても12歳にはなっているように見えるものばかりだった。
が、ニイマンのはちょうど9つぐらいに見えるではないか。この幼さで、サルとウマをのぞけば、たったひとりで「ごたごた荘」という一戸建てに住み、ちゃんとやっていけているキャラというと、ノイマン描くピッピのようなインパクトがあるくらいの女の子でなくてはいけないだろう。
ニイマンはピッピをよく理解しているといえる。
ところで、このワイルドで生き生きとした、それでいてキュートな原作のピッピであるが、続編ではワイルドというよりはいっそ凶暴な感じのところがあったり、ひどく暗い感じを漂わせているところがあったりする。
わたしはピッピが9つということを忘れていて、書きすぎではないかと思っていたけれど、9つということを考えれば、むしろおかしくないような気がしてきた。
いや、やはり、気にかかる!
凶暴、あるいは暗すぎるピッピは、『はるかな国の兄弟』に描かれた、暗い、あまりにも暗すぎる兄弟の置かれた境遇、あの酷な言葉(「お気の毒に、レヨンのおくさん! あんなにずばぬけていたヨナタンのほうがねえ!」)、無間地獄とすらいえるような死後の世界観を連想させるし、読めば読むほどせつなくなる『ミオわたしのミオ』で繰り返し出てくる独特の孤独な言い回し「ええ、そうなのです」を連想させる。
三瓶恵子著『ピッピの生みの親 アストリッド・リンドグレーン』(岩波書店、 1999年)に、注目すべきことが書かれている。以下。 作家となって作品を書き次ぐほどに、リンドグレーンは暗い寂しい部分を深めていったようにも想える。リンドグレーンにとって、老いとは?
1944年にリンドグレーンが作家としてデビューしたことはすでに触れたが、その背後には実は夫ステューレの病気や、戦争の不安などが影響していたといわれる。アストリッド・リンドグレーンをインタビューした人々のなかでいちばん彼女の核心に近づくことができたと思われるマルガレータ・ストレームステットによれば、リンドグレーンのファンタジーあふれる児童書は、実は現実逃避と自分自身へのセラピーだともみられるのだそうだ。
アストリッド・リンドグレーンの作品で扱われるテーマ、すなわち、最初は幸福な子ども時代の思い出、次に子どもとしての自分の心のなかの暗い寂しい部分、最後にそれを越えるファンタジーに発展したという彼女の作品の移り変わりは、作家としての彼女自身の成長を示しているのかもしれない。(三瓶,1999,pp.37-38)
『はるかな国の兄弟』についての覚書
無間地獄のような死後の世界観。輪廻を連想させるシステム(?)。ただし、仏教の教えなどとは異なり、そこに救いはない。自殺の肯定とすら思える結末。
スウェーデンの宗教は、情報雑誌『imidas』の付録『アトラス』によると、福音ルーテル派とある。
酷な言葉を吐くおばさんは、布地やモスリンや小物をもってくると書かれているから、裁縫師である母親の近所に住む仕事仲間か何かだろう。兄弟の境遇の過酷さは、女の細腕で子育てをしている母親がもたらしたものだ。つまり社会的なもので、有名になったのちのリンドグレーンが、オピニオンリーダーとして社会的に発言し続けていた事実と照らし合わせて考える必要がある。
リンドグレーンがオピニオンリーダーで、大衆の見方だったということは、政府当局から睨まれる立場であったということも考えられる。このことと、彼女がノーベル文学賞を逃したことと関係はないのだろうか。
同じスウェーデンの先輩格セルマ・ラーゲンレーフは、ノーベル文学賞を1909年に貰っている。彼女は、『ニルスのふしぎな旅』のような児童文学作品ばかりではなく、大人向けの文学作品を沢山書いている。この人にしても、『幻の馬車』という名立たる神秘小説があって、スウェーデン人の神秘主義気質を考えさせられるけれど(スウェーデンの宗教、あるいは神秘主義的思想の歴史について調査の必要)、この人の場合、安定した死生観の持ち主だという気がする。前掲の死神が出てくる『幻の馬車』にしても、馥郁たる幸福感が漂う結末となっている。
リンドグレーンはそうではない。混乱、恐怖、救いがたい孤独が感じられる。個人的なもの、社会的なもの、思想的なもの……。そういえば、彼女は私生児を産んでいる。男の子だ(のちに引きとっている)。リンドグレーンの恋愛観はどんなものなのか。リンドグレーンは不具な子供をよく書く、ことに脚。具体的にどの作品で、どうなのか(調査の必要)。
リンドグレーンがつくった子供のための病院。リンドグレーンが生きた時代の社会的背景(念入りに調査の必要)。
№3
2007/09/11
リンドグレーンに関する資料
昨夜電話をかけてきた息子に、リンドグレーンが生きた時代のスウェーデンについて簡単に教えてほしいといったら、説明してくれて、下記の追加メールをよこしてくれた。
北欧の歴史は学校ではあまり教わらないが、それはとても残念なことだと思う。北欧の歴史は、西欧や中国の歴史のような優雅さや雄大さはないが、独特の感性と誇りを感じる。
北欧四ヶ国(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)は中世の間、対立や同盟、合同を繰り返してきたが、近世以降、ノルウェーがデンマークから、フィンランドがスウェーデンから分離したと思えば良いと思う。
20世紀に入ってからのスウェーデンが一番根幹としたのは中立だった。これを守るため、スウェーデンはかなり辛い思いをしている。特に、第二次大戦の時がそうだった。これはスウェーデンに限らない話で、フィンランドはソビエトに謂れのない戦を仕掛けられ、英雄マンネルハイムを先頭に敢然と絶望的な戦いに立ち向かった。デンマークとノルウェーはドイツの奇襲を受けたが、デンマークはイギリスに見殺しにされ悲哀を噛み締め、ノルウェーは凄惨なレジスタンス戦となった。一方、スウェーデンはどこにも侵略されなかった。しかし、それは戦争に囲まれた中での辛い中立国だった。
中立と言っても、ただ黙っていれば、それが保証されるわけではない。対戦が勃発すると、スウェーデンは50万の兵員を動員し、中立を守るために壮絶な覚悟を決めていた。50万と言っても、どれだけの無理かピンと来ないかもしれないが、そのうち、10万が婦人部隊にせざるを得なかったと言えば、いかに窮地だったか分かると思う。ドイツからは様々な要求で、自分達に味方するよう脅されていて、これをスウェーデンは忍耐をかさね、ぎりぎりまで受け入れ、またぎりぎりまで拒否し、中立は形骸化されつつも自国の中立を守った。しかし、連合国のイギリスからは中立違反を非難され、ドイツと戦うノルウェーからは兄弟を見捨てるのかと怨まれた。それでも、スウェーデンはドイツが崩壊するまで中立を耐え抜いた。後世、大戦中のスウェーデンについて、「大戦中、利己的に有利な方を助けた」と評判はよくないが、私は独立を守るための瀬戸際の駆け引きだったと思う。
戦後は、多分この経験が元だと思うが、重武装中立が基本的な理念のようだ。自らの軍事力で自国を守るという思想で、民間防衛機構や国民のほとんどを収容できる避難壕まであると聞く。
政治的には戦前から社民党の内閣が続いているが、これが、現実的な社会政党で、社会主義自体にはこだわらず、議会主義、王政を認め、福祉を重視した。
歴史を見ると、スウェーデンは外交、内政、それぞれ、優れたバランス感覚を示して、このバランス感覚が特徴だと思う。
№4
2007/09/17
リンドグレーンにマディケンという親友の存在
最近購入して読んだ、クリスティーナ・ビヨルク著『遊んで遊んで リンドグレーンの子供時代』(石井登志子訳、岩波書店、2007年)。それによると……
リンドグレーンの家庭は貧しかった。32頁「アストリッドの最初の担任は、古いタイプの先生でした。貧しい家の子供に対しては、とくに厳しいようでした。アストリッドに対してはやさしかったのですが、それはアストリッドをましな家の子供だと考えていたからです。」
ところで、貧しいアストリッドの「世界一の友だち」は、裕福な家庭の娘マデイケン(本名はアン‐マリー・インゲストレム)だった。父親は銀行の頭取である。1歳上で、美貌、才智にも恵まれていた。『おもしろ荘の子どもたち』には、マデイケンという名の子供が登場する。
43頁「マディケンは、リンジェービンで大学受験資格を取り、その後ウプサラ大学で学びました。大学で、ステッラン・フリースと出会い、結婚し、後にストックホルムに移りました。アストリッドとは、マディケンが1991年に亡くなるまで、親しくしていました。」
80頁 マデイケンは、「アストリッドの原稿校閲係(原稿を読んで、どれを出版するべきかなどを助言する)になりました。」
マデイケンの存在は、ある意味では誰よりも大きかっただろう。作品にも様々なかたちで投影されているに違いない。
『長くつ下のピッピ』に出てくる、如何にもいいところのお嬢さんといった感じのアンニカ。尤も、リンドグレーンの孫にアンニカがいるけれど。あるいは、『ミオよわたしのミオ』にやや負のかたちで出てくる恵まれた家庭のベンカなどは、直接的な表現だが、もっと違ったかたちでも出てきているだろう。
№5
2007/09/20
国民作家リンドグレーン
リンドグレーンはいわゆる国民作家だった。彼女のことを調べるまでは、スウェーデンでそれほど大きな存在だとは知らなかった。
読む以前に、スウェーデンの子供たちは映画や歌を通して、リンドグレーンに馴染むらしい。グッズがあり、テーマパークや病院もある。
リンドグレーンの生誕100周年記念を特集した月刊誌『MOE 9月記号』(2007年、白泉社)には、次のように書かれている。
アストリッドは歳をとって目が悪くなって物語を書けなくなってからも長い間ずっと社会のオピニオン・リーダーでした。そしてスウェーデン中の人々が、偉い政治家をやっつける皺だらけの顔をした小さな「物語おばあさん」の快挙に大きな拍手を送ったのでした。
文壇デビューが比較的遅かったので、人々には「物語おばさん」あるいは「物語おばあさん」としてのイメージが定着していました。「物語おばあさん」はスウェーデンの良識とユーモアの代弁者として絶大な人気者だったのです。
「物語おばあさん」だなんて、何て素敵な響きなのだろう。国民的祖母といえる存在でもあったのだろう。
日本人がかつて、このような存在を持ったことがあっただろうか。歌謡曲の分野では幸せなことに、美空ひばりという国民的歌手の存在があった。だが、文学の分野では?
紙幣になった夏目漱石、樋口一葉、紫式部は、どうか?
国民と共に生きるには、夏目漱石は精神的に脆弱すぎた。樋口一葉は早く死にすぎた。紫式部は昔の人すぎる。
児童文学の分野になると、もっと頼りないことになってしまう。
赤い鳥運動の中から優れた童話作家や北原白秋のような人も出たが、もう一つだった。宮沢賢治なども、いい線いっていたと思うが、今一歩だったか。この人も早く死にすぎたし。
わたしは少女の頃、松谷みよ子に期待をかけていたのだが、何かあらぬ方向(などと女史の民話の蒐集やお化けに対するアプローチをいってしまっては、いけないのだろうが)へ行ってしまわれた。
松谷みよ子にファンレターを書いたのは、中学生のときだったか、高校生のときだったか。童話作家になりたい、とでも書いたのか、自筆で「がんばってください」と書かれたお返事の絵葉書は、実家の押入れに運がよければ(父に捨てられていなければ)今もあるはずだ。
リンドグレーンの童話は、今の日本の児童文学作品には見出せないような深い闇を孕んでいる。光と影があり、様々な濃淡の影が舞台裏を支えて、豊かな光を前面に押し出している。
リンドグレーンの童話のうちに偏在する馨しい光は、いわば、トレモンタンが『ヘブル思想の特質』(西村俊昭訳、創文社、昭和38年)の中で、下記のように述べた類のものだ。
信仰とは心理学の領域に属するところの信念ではない。(略)信仰自体は霊的悟りであり、超自然的認識であって、霊によってわれわれに与えられるものである。
愛とは感情的愛でもなく、心理学的諸動機または一つの気質によって説明される博愛でもない。それは感情でも情愛でも情熱でもない。それは他の秩序――霊的、超自然的秩序に属している。
希望は自然的楽観主義、幸運な気質から生まれるところの期待する能力、とは何の共通点もない。それは同様に超自然的な徳である。なぜならそれは霊的であるからである。
それはあらゆる蹉跌と人間的孤独をこえて存続し続ける。
わたしは信仰者ではなく、神智学徒なので、信仰者でなくとも、このようなタイプの愛と希望に浴することができると思っているのだが、神智学徒らしい表現に翻訳して、超自然的という言葉をブッディ的、そうでないものをカーマ(欲望)的といい換えたい。
ご紹介すれば、神智学ではこの区別を、H・P・ブラヴァツキー著『実践的オカルルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポンロッジ、平成7年)の「用語解説」で、次のように解説している。
マナス:人間の心、知性、マインド。
マナスは二重であり、高級マナス即ちブッディ・マナスと、低級マナス即ちカーマ・マナスからなっている。
高級マナス=高級自我は本質的に宇宙と一体であり、神聖なものである。低級マナス=人格我または低級自我は高級マナスの光線であり、この世で働くものとして動物的及び自己中心的な要素もある。マナスは、第五本質、内なる人間、人間魂ともいう。
『ハリー・ポッター』シリーズは人気があるが、残念ながらわたしには、ブッディ的要素は見出せなかった。粗悪な印象を受けた。厳密には、芸術作品という意味での児童文学作品とはいえないとわたしは思っている。
そうした厳密な意味で分類するなら、児童文学作品はこの世にそれほど多いとはいえなくなる。そして、そうした作品のみが糧となりうるとわたしは考えている。それ以外のものは、いい気晴らしにはなるかもしれない。ただ、害になる場合もあるから注意が必要だ。
児童文学の分野で輝かしいのは、何といってもジョージ・マクドナルドだろう。神秘主義的すぎる嫌いがあるほどだ。リンドグレーンも輝かしい。
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