続・Oさんにお電話
一つ前に書いた記事『Oさんにお電話』の続き。
記事を書いたあと、いや、文学づきあいの始まりの段階から、お2人――Oさんと文芸部の先輩の一人――との交際は、続かないのではないかと懸念しながら、長いこと決断が下せなかった。
ようやく決断した。この2つの交際をやめようと。
おつき合いのスタートの時点で、わたしはどちらにも、賞絡みの交際はできないことをお断りしたはずだった。
だからなのか、本当に純粋に文学をなさるおつもりだったのかは知らないが、丁度文学革命を起こせないだろうかとわたしが考え出した、その考えにリンクするような言葉をOさんから聞いたり(Oさんとの交際は電話中心だった)、読んだり(先輩との交際はメールと手紙だった)したため、何だか期待してしまったのだった。
しかし、作品の書きかた自体が、どちらも労を少なくして効果は上げたいといった風な書きかたであり(これは単にわたしの読解力のなさであったり、偏見である可能性もあるが)、公募ガイドが変にちらつくところから見て、賞狙いとしか思えなかった。
賞狙い、結構! 文学を純粋に試みるのも、不純に試みるのも、当人の自由だろう。大いに、やっていただきたいと思う。これからは、わたしと関わりなく。
Oさんには少々危険なところがあり、電話のたびに誘惑してくる。先輩の場合は、奥様の検閲つきのメールあるいは手紙のやりとりという、Oさんとは対照的な交際方法だったが、どちらともごく普通のやりとりが出来ないという点では、共通するものがあった。ずいぶん失礼な話だと思うが、当人たちにはその自覚がないようだ。
直接電話したり、メールしたりが億劫なのは、こうした通信上の齟齬があるからで、閲覧されるかどうかはわからないが、ブログのほうがまだしも、まともにわたしの意志を伝えられると思う。
わたしはかつて賞狙いに走った長い期間があり、賞の情報交換や作品を読み合う交際を、多くの人々と賑やかにしていた。『くりえいと』『さくらんぼ爆弾』といった同人誌なども、今となってはなつかしい。
やりとりは手紙、メール、電話、会う――といろいろだったが、いずれも礼儀に適った普通のやりかたであったし、文学的なレベルももう少しは上だったと思う。
また、わたしたちは同じ賞狙いの立場にある、生活環境も似た者同士だった。仲間づくりという点でも、マナーに適ったものといえたと思う。異なる立場や生活環境にある人を引きずり込むような真似を、わたしたちはしなかった。
先輩とは大学時代に同じ文芸部だったが、当時の先輩の作品としては、学園風の短編小説を1編読んだ記憶しかなかった。
わたしは当時から、下手であってもよく書いていたほうで、『土曜会』という研究会に加わったり、あれこれ文学的な文通をしたりもしていた。先輩のことは、役職を引き受けてくれた真面目な人というくらいしか、認識がなかった。
賞狙いから離れたのに、賞の臭気を吹きつけられたり、長い間に文字通り血と汗と涙をもって掴んだ情報を無料で提供したり、文学のイロハを一緒に復習したりするのは、もう真っ平である。
編集者Mさんが昔、賞の乱立が同人誌活動を侵食していると分析していらしたが、多すぎる賞の弊害は依然として大きく、本来であれば文芸創作しないタイプの人々が多く流入してくる状態を継続的につくり出しており、今やわが国の純粋かつ自由な文学活動の息の根を止めようとしているとさえいえよう。
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