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2010年3月15日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #45/『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#45
2010/3/15(Mon) 『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

 一昨日、マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(藤井留美案&村田綾子訳、日経ナショナル ジオグラフィック社、2006年)が届いた。

 パラパラと本をめくったとき、わたしの脳より先に霊が感応したらしく、久しぶりに自身のオーラが燦然と輝くのを見た。えもいわれぬ真珠色の幸福感に浸されて、ふわふわと体が浮く錯覚を覚え、うっかり気を抜けば、彼の世に行ってしまいそうなくらい。

 我に返ってから、どこがそんなにすばらしいのだろうと思い、改めて本の構成を見る。以下は、序章からの抜粋。

 イエスの使徒と呼ばれる人物のなかで、マグダラのマリアほどイエスに近い者はいない。彼女は独立心にあふれ、強い意志をもつ女性だった。
 マグダラのマリアという傑出した女性は、数多くの書物に取りあげられてきた。本書では、そのうち最も古く、最も信頼に足る文献を手がかりに、マグダラのマリアをめぐるさまざまな伝承を見直していきたい。
 次章以降で、新約聖書の福音書、聖書には収められていない正典外のキリスト教文書、それに「マリアの福音書」を含むグノーシス文書などから、関連する部分を紹介していく。

 具体的に挙げると、キリスト教の正典として新約聖書に収められたマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネによる福音書。それらと関係の深い断片的なペトロの福音書。グノーシス文書『マリアの福音書』『トマスの福音書』『フィリポの福音書』『救い主との対話』『ピスティス・ソフィア』。マニ教詩篇集『ヘラクレイデスの詩篇』である。

 取りあげられた文書についての解説――成立過程、内容、位置づけなど――に続いて、マリアに関連する部分が抜粋されている。マグダラのマリアのエッセンスを小壜に集めたような贅沢さだ。

 わたしの霊が悦んだのは、ブラヴァツキーが最も高尚な哲学体系といった『ピスティス・ソフィア』の断片にだろうか? タイトルとなっているピスティス・ソフィアとは、本によると、「信仰の知恵を意味し、神格が女性の姿で現れたものである」という。

 「ピスティス・ソフィア」には、数多くのイエスの信奉者たちが登場し、問いを投げかけたり、意見を述べたりしている。とりわけ重要な役割を担っているのがマグダラのマリアとヨハネであり、なかでもマグダラのマリアの存在が際立っている。

 『ピスティス・ソフィア』は「グノーシス的な考察と啓示を記したきわめて長い文書」ということだが、本で紹介された部分は5つの断片にすぎない。しかも、そのうちの《マリア、ペトロを恐れるが、正しさを認められる》と題された断片では、胸の潰れるようなマリアの言葉があった。以下に抜粋。

 【72】第一の神秘がこれらのことを弟子たちに言い終えたとき、マリアが進み出て言った。「わが主よ、私は心のうちに理解しました。私はいつでも前に進み出て、ピスティス・ソフィアが言ったことを解釈できます。ですが、私はペトロを恐れています。なぜなら彼は私を脅し、私たちの性(ジェンダー)を憎んでいるからです。
 彼女がこう言うと、第一の神秘が彼女に答えた。「光に満たされている者は誰でも、前に出て私の言葉を解釈するだろう。誰もそれに反対はできない」

 この文書の成立地はエジプトと推定され、4世紀後半のアスキュー写本に収められており、「少なくともその一部は、写本が書かれる1世紀半前には成立していたと考えられる」ということだ。

 その頃、マグダラのマリアとペトロの対立は、作品の中で、マリアにここまで劇的な言葉をいわせるまでに図式化して考えられていたのだろうか。南フランスの伝説と絡めて考えると、心穏やかでなくなる。

 様々な文書と伝説を総合して考えると、マグダラのマリアは、マグダラという土地の女性領主で、裕福であり、イエス一行を財政的に支援したばかりか、弟子として極めて有能な、イエスの信頼も厚い一番弟子といってよい立場にあった。

 地味に書かれている新約聖書にあってすら、イエスが捕らえられたことに恐れをなした男性弟子たちが逃げ出したあとも、マリアは他の数名の女性と共にイエスの傍に留まった。

 グノーシス文書においてはマリアは知的好奇心に溢れた、はっきりと物をいう、霊的成熟度の高い女性として描かれている。

 伝説によると、イエスの死後14年目に、マグダラのマリアを含む弟子の十人以上の人数が、櫂も舵もついていない小舟に乗せられて海に流されるという忌まわしい事件に巻き込まれた。しかし、彼女は不運な出来事に屈することなく、漂着した土地一帯にイエスの教えを広めた。後半生には一人霊的な探究の道を選び、洞窟に隠棲して修行を全うした。

 マグダラのマリアの志操堅固な気高い人柄は、新約聖書、グノーシス文書、伝説いずれをとっても、ぶれることがない。

 わたしは童話『不思議な接着剤』の着想を得たとき、洞窟に囚われた乙女を描きたいと思い、最初にそのイメージを掻き立ててくれたのは、わたしが詩人と呼ぶ文芸部時代の女性の先輩だった。彼女は過去に、カトリック教会の修道女を育成する学校でトラウマを形成していた。

 洞窟にいる人物に目を凝らすうちに、マグダラのマリアというモデルが現れてマリーという女性となった。それでも、子供たちと一緒に洞窟に入ってみなければ、どんな顔なのかがはっきりせず、声も聴こえない。

 実は恐いのだけれど、いい加減、洞窟に入らなくては……。 

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