Notes:不思議な接着剤 #46/太陽神の権化イエス?/『レンヌ=ル=シャトーの謎』を読む #1
Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。
#46
2010/3/23(Tue) 太陽神の権化イエス?/『レンヌ=ル=シャトーの謎』を読む #1
ざっと読んだところでは、残る三分の1くらいが事を急ぎすぎた印象だが、それこそ学生時代から疑問に思っていたキリスト教の教義に関して、コンスタンティヌス帝に関連した部分などは目から鱗だった。というのも、イエスはせいぜい紀元前7~4年に生まれたといわれている人で、滅茶苦茶古い時代の人というわけではない。
それなのに、イエスが神さまで、それと続き物になっている最後の審判、死者の復活などは、どう考えても古代エジプト臭いではないか。
モーセがエジプトを出たことを考えると、旧約聖書にエジプトの宗教の影響があることは不思議ではないにしても、イエスとあの組み合わせは、時代錯誤的すぎはしないか? おかしい、変だとずーっとわたしは弱い頭を悩ませ続けてきたのだった。みずみずしいイエスの教えと、古色蒼然としたキリスト教の教義が、あまりにちぐはぐに思えていたのだった。
その疑問に答えるかのように、前掲のコンスタンティヌス帝関連の以下の記述があった。
“ 伝説とは異なり、コンスタンティヌス帝はキリスト教をローマ公認の国教にしたわけではない。事実、コンスタンティヌス帝治下のローマ国教は異教の太陽崇拝で、彼自身生涯を通じてこの神の第一の祭司長としてふるまっていた。実際、彼の治世は「太陽皇帝」と呼ばれ、国旗から領土内の貨幣にいたるまであらゆるところにソル・インヴィクタスが見出された。〔略〕
シリア発祥のソル・インヴィクタス崇拝は、コンスタンティヌス帝の1世紀前のローマ皇帝によって民衆に強要された。これにはバールやアシュタルテ崇拝の要因が含まれていたが、本質的には一神教であった。実際、この崇拝では太陽神にほかの神々すべての特質を付与することにより、敵となる可能性のあるライバルを平和的にひとまとめにしてしまった。さらに、当時のローマや帝国内で勢力をもち、太陽崇拝も含まれていたミトラ神崇拝ともうまく調和させてしまった。
コンスタンティヌス帝にとってソル・インヴィクタス崇拝は、ごく簡単にいえば好都合であった。彼が異常なほど気にかけていた最大の目的とは、すべての領土の政治的・宗教的な統一であった。あらゆる宗派の要素を含む国教がこの目的に敵っていた。そして、キリスト教も、ソル・インヴィクタス崇拝の名の庇護のもとにその地位を固めていった。
正統派キリスト教はソル・インヴィクタス崇拝と多くの共通点があったので、後者の寛容の傘のもとに前者が繁栄するのにさしさわりはなかった。ソル・インヴィクタス崇拝も本質的には一神教なので、キリスト教の一神論への道を切り開いた。ソル・インヴィクタス崇拝はさまざまな点で好都合であり、これらの修正によってキリスト教の普及が進んでいった。
たとえば紀元321年にコンスタンティヌス帝が発布した勅令では、「太陽の尊い日」には法廷を閉じて休息日とすることを命じている。それまでキリスト教はユダヤ教の安息日の土曜日を聖なる日としてきたが、このコンスタンティヌス帝の勅令にあわせて聖日を日曜日に移した。これによって現行体制にあわせられるだけでなく、ユダヤ的な起源からキリスト教を分離するのにも役立った。さらに、4世紀までイエスの誕生日は1月6日に祝われてきた。しかし、ソル・インヴィクタス崇拝のもっとも重要な日は、その日から1日が長くなり、太陽の誕生(復活)を意味するナタリス・インヴィクタスの祝祭日、12月25日であった。ここでも、キリスト教は、既存体制や確立した国教に自らを適応させた。
ソル・インヴィクタス崇拝とミトラ教はあまりにうまく噛みあわされていたので、このふたつは混同されることが多い。どちらも太陽の地位を強調しており、日曜日が聖日である。どちらももっとも重要な生誕祭は12月25日である。この結果、キリスト教はミトラ教とも多くの共通点をもつことになり、そのうえ、ミトラ教が強調する霊魂の不滅や最後の審判、死者の復活まで同じであった。
統一性を主眼においたコンスタンティヌス帝は、キリスト教、ミトラ教、ゾル・インヴィクタスの区別を意図的にぼかし、互いに矛盾のないように気を配った。そのうえでコンスタンティヌス帝は、キリスト教会を建てて母神キュベレと太陽神ソル・インヴィクタス両者の彫像をおき、後者に自分の特徴をもたせていた。この全面的な折衷主義によって統一性がいっそう強化された。一言でいえば、コンスタンティヌス帝の信仰とは政治的なもので、統一に益する信仰はどのようなものでも大目に見られた。
したがって、コンスタンティヌス帝は後世の伝承のように模範的なキリスト教徒というわけではなかったが、統一性と一様性という名のもとに正統派キリスト教を堅固なものにしたのは確かである。たとえば、紀元325年、彼はニカイア公会議を招集した。この公会議では復活祭の日付や司教の権威についての規則が定められ、これによって教会の権力集中に道を開いた。このニカイア公会議でのもっとも重要な決定はイエスは神で、現世の預言者ではないと投票によって定められたことである。しかし、コンステンティヌス帝にとってなによりも重要なことは、敬虔さではなく、統一と便宜主義であることをもう一度強調しておこう。神としてのイエスはソル・インヴィクタスと便宜的に結つけられたが、人間としての預言者であればこうはうまくいかなかった。つまり、正統派キリスト教は、公認国教との政治的に望ましい融合に手を貸したわけで、この範囲内でコンスタンティヌス帝も正統派キリスト教を支持したのである。
こうしてニカイア公会議の一年後、コンスタンティヌス帝は、イエスについて述べた異教の著作や「異端的」キリスト教徒が書いた正統の教義に反するすべての著作の没収と破棄を命じた。さらに、コンスタンティヌス帝は教会に一定の収入を与え、ローマのラテラノ宮殿に司教の座を据えつけた。紀元331年には財政的な援助のもとに聖書の編纂を委託した。これは「お告げの信奉者」としての正統派キリスト教に比類ない機会を与えたことになり、全キリスト教史のなかでも最大の決定的な要因となった。
それより4世紀前の紀元303年、異教徒のディオクレティアヌス帝は、すべてのキリスト教文書を見つけしだい破棄するように命じていた。この結果、とくにローマではキリスト教文書はほとんど消え失せていた。コンスタンティヌス帝がこれらの文書の新版の作成を委託したので、正統派を奉じる人々は、自分たちの教義にあうように内容を改変し、編集し、改作できるようになった。おそらくこのときに新約聖書に決定的な変更が加えられ、それ以来イエスにも現在のような独特の地位が与えられた。このコンスタンティヌス帝の委託を決して過小評価してはならない。五千にものぼる新約聖書の初期の原稿は、どれも4世紀以前のものではない。現行の新約聖書は、本質的には正統を奉じる4世紀の「お告げの信奉者」の編纂者と著者の産物であり、彼らは自分たちが守りたい既得権をもっていたのである。”
便宜主義が原理主義と結びついたというわけか……怖ろしい。
便宜的に、太陽神の一変化(へんげ)ということにされたイエスが、さらに便宜的に――ニカイア公会議での投票によって――神ということにされたのだ。
そして、この便宜上の産物の下で、おびただしい虐殺までが行われたということになる。カタリ派は、そのあまりにもこの世的産物によって撲滅させられたのだ。彼らは、何重かの便宜のために撲滅させられたといっても過言ではない。
ナグ・ハマディー文書についても詳しい。以下に、一部を抜粋しておく。
“ ナグ・ハマディー文書は、本質的にはグノーシス的な聖書本文で、その制作年代は4世紀末期から5世紀初頭、つまり400年ごろにさかのぼると考えられる。そのなかのトマス福音書や真理の福音書、エジプト人福音書などは、アレクサンドリアのクレメンスやエイレナイオス、オリゲネスらの初期教父たちが述べていたものである。現代の学者は、この文書には新約聖書の標準的な四つの福音書よりも古いものが含まれているかもしれない。
概してナグ・ハマディー文書は、四福音書に等しい権威をもつものを含む初期キリスト教文書の宝庫である。そのうえ、この文書は真正さに関して独自の主張が可能である。第一に、これらは後世の正統派ローマ教会の検閲や改変を逃れている。第二に、これらの文書はローマ人ではなくエジプト人のためにつくられたもので、ローマ人向けの歪みや偏見が含まれていない。第三に、これらは聖地を逃げだしたユダヤ人が喋ったり、イエスを個人的に知っている人や自らの経験を述べた証人が情報源の可能性があり、これらの人たちは四福音書には含まれていない史実を語ることができただろう。”
尚、序文にあった次のような部分にも、わたしは大いに共感を覚えた。
“キリスト教やキリスト教精神の核心はイエスの教えにあり、この教えはさまざまな面で独自性の高いものである。これらは、人類の歴史で過去に存在しなかった価値観なり態度なりを表わしており、人類に『新しいメッセージ』、『よき便り』を伝える、それ自体で意味をもつものである。その内容を支持するために、イエスの伝記物語に古代社会のほかの神々に見られるような奇跡の付随物は不要である。彼の教えにそのようなものが必要であるとすれば、それは教えに重大な欠陥があるか、あるいは信者側の信仰になんらかの問題があるかのどちらかである。”
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