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2010年3月17日 (水)

『同時代』第59号の山崎栄治追悼特集を読む  

 昨日、『同時代59 特集*山崎栄治 追悼』(発行所=黒の会、発売所=法政大学出版局、1993年)が届いた。

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 この『同時代』の第59号は、終刊号となっている。

 山崎栄治の追悼特集として貴重であるだけでなく、同人誌華やかなりし頃の薫りと重厚さを備えた今となっては手に入りにくい一冊を、わたしなどが所持していていいのだろうか……と少し怯える気持ちになった。

 わたしにとって、山崎栄治は何より、リルケのフランス語詩篇『薔薇』、あるいは『果樹園』の訳者であった。山崎自らが詩人であったと知り、詩集を読んでみたいと思ったが、手に入りにくく、娘が発売所に問い合わせてくれて何とか『同時代』第59号に出合うことができた。

 年譜から、目にとまったところを拾ってみた。

 1905年、佐賀県西松浦郡伊万里町(現、伊万里市)に生まれ、奉天、大連。小学3年のときに東京に移る。14歳でホイットマンの『草の葉』を英語で読む――とあり、我が目を疑った。さらに、15歳でルソーの『懺悔禄』から文学上の啓示を受けるとあるから、これは相当に早熟な少年ではあるまいか。

 学業的には、13歳で入った私立大倉商業学校(現、東京経済大学)で商業に関する学科に悩まされながら卒業、小会社に就職。20歳で東京美術大学を受験して失敗、21歳で東京外国語学校仏語部(現、東京外国語大学フランス語科)に入学、卒業。

 職業的にも変遷があり、24歳で東京中央郵便局外国課(通信書記補)に勤め、34歳で退職、大日本航空会社に入社。35歳、仏印駐在員となりハノイへ。サイパン、パラオ、ヤップ、テニアン、ポルトガル領チモール、ロタなど南洋の島々をめぐる。36歳、大連、京城、米子。サイパン、トラック、パラオを経て、チモール島ディリー。

 37歳のとき、福岡営業所長として福岡に勤務。同地で過ごした半年間に『九州文学』の同人となるとあり、『九州文学』ともつながっていた、この人は……と驚かされる。終戦後、戦後復興院、建設院、建設省などを経て、45歳以降は横浜国立大学の専任講師となり(昭和30年に助教授、40年に教授となる)、フェリス女学院短期大学、明治大学、法政大学などでも非常勤講師としてフランス語を教える。

 1991年8月27日永眠。86歳。

 堀辰雄、富士川英郎と共訳のリルケのフランス語詩集『薔薇』を人文書院から刊行したのは1953年、48歳のとき。他に、単行本は『エリュアール詩集』(弥生書房、1963年)、ジャン・コクトー。

 山崎自身の詩集は、『葉と風との世界』(昭森社、1956年)『聚落』(弥生書房、1963年)『女庭師』(昭森社、1975年)、『山崎栄治詩集』(沖積舎、1982年)。

 影山恒男『立原道造と山崎栄治――困難な時代の蜜房 』(双文社、2004年)という本が出ていることから、うちにある立原道造の詩集を開いてみた。

 大学時代に読んで甘ったるい詩だなと思った印象は、今も変わらず、立原という実体から詩が遊離して、ふわふわと無意味に空中を漂っているかのようだ。

 山崎の詩は甘美だが、山崎と詩は一体化しているという感じを受ける。その山崎の才能は、訳業において最高に生かされたのだという気がする。

 以下に、『同時代』第59号から、印象に残った山崎の詩2編を紹介しておきたい。

      雅歌


 
黄菊の暖かさもて、かの秋のひと日、わが窓のまへに立てリしひと、いま雪の匂ひ染む衣ずれの音にわが部屋の襖を開けて入りきたり、艶よき蜜柑十(と)あまり、手ざはりも重く清げなる縮緬の風呂敷より取りいづるなり……。
 夕(ゆふべ)近き炭火かきおこしつつ、きみを措きてしばしわが、ひとりこころに囁くこと、――砂と氷と、荒(あら)らけくも過ぎし幾冬、思はざりき、わが身にもなほ、かかる日のあるべしとは……。

 人のいのちにはおのづから時期ありと聞きつるごとく、憤激のごときわが暴風雨(あらし)もいつか静まりて、臙脂色のもの、橙色のもの、草色のもの、やはらかなる霧のごとくに群がりてわれを包む……。
 かの帷(とばり)を引き、遠き頂(いただき)をも思はする菫のほのほ見つめつつ、語りいでよいざ、わが佳耦(とも)。わがこころ、声ひくく、わが雅歌をうたはむとす、――「わが鴿、わが夢、わが完(また)きものよ」と。

     接触は自由の喪失


空気のクッションで、またまれには水のクッションで
また壁のようなもので 断熱材のようなもので
綿(めん) 羊毛 化繊などの二重三重の布の皮膜で
なんと用心深く隔離され遮蔽され防護されていることだろう
なんと接触の禁忌があまねく支配していることだろう
だがその自由のための呪縛を一瞬つきやぶって
存在する湿り 張り 弾力 滑らかさ 柔らかさのすべてを
おたがいの直接の肌ではじめて知覚すること
その絶大の衝撃 危機 随喜 

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