童話は……(続)作品のこと
前の記事に関連したことだが、完成したら童話は、希望は持てないながらも営業活動をしてみるつもり。
それで形にならなければ、そのときの金銭事情に応じて、ソフトカバーの本(幸い文学仲間は本を自費出版している人が多いので、良心的な出版社を教わることができる。自分でも捜して、見積もりなどをとり、徹底したリサーチを行う)、印刷屋さんに頼んで冊子、手作り……と、どんな方法であっても形にする予定。
シリーズものなので、模索しながら形にしていくことになるだろう。
専業主婦という理想的な環境にありながら、創作のための時間を満足にとれないのが悔しいが〔Oさん、閲覧されているのかな? 外出する気になれないのは作品のためなんです〕、自作童話『不思議な接着剤』のプランは小さな太陽のように懐にあって、わたしを温めてくれている。
このプランはまだ編集者Mさんとつき合いのあった頃からのものだから、7年は経っている。最初に原稿を書いたのはワープロでだった。
Mさんには早く完成させなさいといわれ、いつもなら自分でもそうするところなのだが、それができなかった。かといって、プランを捨て去ることもできなかった。
不思議な作品。
作品に詰まるときは、作品が作者のわたしに必要な知識なり発見なりを求めているときだとわかった。
自分が作品にふさわしいものを獲得しなければ、先には進めないのだ。それは苦しいことで、焦慮に苛まれることも多いけれど、この作品のプランが自身のうちに宿ってからは、幸福のヴェールにくるまれた妊婦のような気持ち……。
この作品だけは世に出したいと思ってきたのは、そんないきさつからで、日本の純文界に失望したからとか、世に出たいからとかいうのは、こじつけにすぎない。
だから、わたしは今あれこれ心配しているが、無事に出産……完成できれば、作品のほうで自ら世に出るだろうとも予感している。作品としては、早いとこ、このわたしという粗悪な媒体から解放されたいだろうさ。
作品が仕上がってからのお楽しみだ。急ぐつもりは全くないので、いつ仕上がるかはわからないけれど、案外早いんじゃないかと思う。
あとは肉をつけてやるだけだから。
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