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2010年2月16日 (火)

③が遅れています

 体調がもう1つで、記事『悪ふざけがすぎたかな?』の③が遅れています。

 フラフラするので、横になったままで携帯でメールボックスを確認していたところ、このところ体調ブログに不整脈その他に関する深刻なコメントを連続してくださっていたかたから緊急そうなコメントが届いていると知り、飛び起きてパソコンを開きました。

 しかし幸い、朗報でした。安心したら、とたんに眠くなり、寝てしまい、変な夢を見ました。

 芒が茂る向こう側に綺麗な日本間があり、そこに生前の伯母が見えました。わたしは傍観的にそれを眺めて、「今度生まれ変わるときは、亡くなった母ではなくて、この伯母の子になりたいものだ」などと考えていました。

 変な夢を見たのも、わたしの中である希望が費えたからでしょう。 

 大手では唯一童話作家になれそうな賞を主催している出版社は持込を禁止していますが、そこの編集者に作品を見て貰えたら……という希望がわたしの中にありました。

 しかし、ツイッターをして、その一人の姿がまる見えになり、読解力の点でどんなものかのわたしの想像……。有名企業の一サラリーマン以上でも以下でもなさそうな暮らしぶりまで垣間見え、ああ、もう終わりだ、と感じました。

 娘が受験したこともあって、そこがどんな人間を採用基準としているかは知っていましたから、想像はついていましたが。娘が受験したとき、大出版社はどこも週刊誌に適した人材をほしがっていました。それで入った人材が他の部署へ異動していくのでしょう。

 それでも、自分を育ててくれるような作家とつき合うことで編集者が大きく育つ可能性もあるのでしょうが、そんな作家を育てるには優れた編集者が必要で……とニワトリが先か卵が先かの問題にまで行き着くことになり、結局わたしはそれを政治の失敗として②でご紹介したメールでは済ませたわけでした。

 一方、専門の出版社には意識の高い編集者も多いと思われますが、書店員の娘の話からも中小は経営難であることがわかります。突然、連絡のとれなくなる出版社も多いそうで……。

 新人を育てる児童書専門の出版社として有名だったA出版社の編集者とは、コントクトをとったことがありましたが、文学観の違いは感じながらも、さすがだと思わされるものがありました。しかしここも、現在では持込ができなくなっています。ここも、あそこも……。

 わが国の純文学の未来が暗いことは充分すぎるほどわかっていましたが、児童文学の未来も暗いことがわかり、生きている意味がわからなくなってしまいました。

 いえ、意味はわかっているのです。この世は魂の教室なのですから、困難は当たり前なのでしょう。

 例えば、異端カタリ派として過ごさなければならない条件とか、東漢氏として過ごさなければならない条件とかを想像してみたり、自身の修行者として暮した前世のほのかな記憶などとと比較してみても、現在の環境はそこまで厳しい条件を暗示しているとは思えませんから、世を深く憂える一主婦として人生を終わることも、魂の経験としてはそれなりに有意義だろうと思われます。

 まあ、こんな不毛なひとりごとをいっていても始まらず、全く先の見えない状態ではありますが、自作童話は完成させます。そして、時間はかかっても、前の記事でMさんに約束したことを果たしたい。

 また、わたし個人の希望が費えようとどうしようと、分析は必要ですから、「悪ふざけがすぎたかな?」の③④は書きますよ。  

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