19日に、文学の集まり ②
『19日に、文学の集まり ①』はこちら。
⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2010/01/post-bb56.html
仕事帰りに娘がスタバから買って来てくれた、アッサム ブラック ティー ラテ。
昨日の日記にも書いたが、ゴンクール兄弟の日記は19世紀後半のパリの世相を感じさせて、興味深い。ティーを飲みながら、何という贅沢。
斎藤一郎編訳『ゴンクールの日記』(岩波文庫)で、日記は1851年の12月から始まっている。出だしが、以下のような場面なのだ。
「おい、大変だ、革命がおっぱじまったぞ」
こういいながらわたしたちの寝室に飛び込んできたのはド・ブラモン氏、われらが従弟ド・ヴィルドゥイユのお取り巻きのひとりだ。
革命というのは、第二帝政の始まりとなったクーデターのこと。日記の書き手と共に街に飛び出たわたしの目にまず映る光景は、野営していた一連隊が大宴会の最中……という具合。描写が生き生きしているので、まるで昨日のことが語られているようだ。
フランスの文壇の話題はよく出てくる。フローベルはしきりに出てくる。ユゴー、ゴーチエ、サント=ブーヴ……バルザックは1850年に51歳で亡くなっているが、昨日のことだから、随所に回想風に出てくる。ゴンクールの描くノアンの奥方――ジョルジュ・サンドは独特の雰囲気を醸していて、忘れられそうにない。
日記も、こういう風に書ければ、一流の作品となるのだ。ブログであっても、同じだろう。
その刺激を受けたから、というのでもないが、火曜日に文学の集まりを持ったことを書いた記事、あれが昨日から喉に刺さった棘のようにわたしの神経を刺激する。
肉と知性の臭気を放つ人間の集まりがあんな、無味乾燥な綺麗事であるわけはない。人に会うのに倦む、あの感じにその日1日苦しめられ、それでいて会いたりなかったような気懸かりも湧いて落ち着かない夜を過ごした。
『今日、文学の集まり』[『19日に、文学の集まり ①』に改題]で書いたことも嘘ではないが、あれは体裁を気にした軽いラフといったものだ。
で今日、『19日に、文学の集まり ②』として、新たに肉づけをし直した記事を書きかきかけていたところ、昨日メールをくださった新聞系の雑誌記者で、新人賞の選考に関ったり、ライター養成講座を受け持ったりもなさっているという男性が、わたしの返信に対してまたメールをくださった。
興味深いことが書かれていたので、そちらのほうに夢中になり、②で書こうと思っていたことを忘れてしまった。
思い出そうと努めながら書くと、火曜日に集ったわたしたちは、外部の人々からそう見えようと見えまいと、書く人間であるという感慨をわたしは抱いたのだった。書く人間は互いに観察し合うので、会うと非常に疲れる。
風通しのよい(いくらか寒い)お茶屋さんにわたしが入っていくと、突きあたりのカウンター席に、こちらに背を向けて座っていた男性がおもむろに振り返った。この厚ぼったい男性は誰だろう?
男性は、自信がなさそうに頷いてみせた。3年ぶりにお目にかかるF氏だった。互いに、相手をまさぐるように見て、納得できないかのように、幻影を振り払うかのように、相手を見つめ直した。わたしたちは書く人間だから、想像力が豊かで、会わない間に自分の中で相手をすっかり作り上げてしまっていたらしい。
「痩せた? 前に会ったときとはまた感じが違う……」とF氏。「太りました? 別人に見えます」とわたし。目のまえの恰幅のよい男性が、どうしても以前の記憶と重ならなかった。F氏もそのようだった。自覚できる部分でいえば、わたしは3年分老け、いくらか痩せ(おなかはその限りにあらず)、メークが変わった。
やがて、中原中也を明るく、やんちゃにしたような容姿のO[2]氏が現れた。彼は、わたしたちに視線を据えて足を止めた。彼とわたしが会うのは数ヶ月ぶりにすぎなかった。それにも拘らず、彼もまた書く人間らしく、過剰に想像の肉づけをやっていたらしく、わたしを見て、何かを確認し、何かを捨て去った(表情をした)。
彼はF氏とは2週に一度は会っているはずだった。彼はそのF氏をも初めて見るかのように見、F氏とわたしを交互に眺め、かつ観察した。
開放的で率直、それでいてどこか拗ねたようなO[2]氏が、カウンター席のわたしたちの間に加わると、3人はファミリーのような雰囲気になる。O[2]氏はF氏を見ると、突っかかりたくなるらしく――やんわりと笑いながらだが――、その雰囲気は反抗期の息子と父親のようだ。
するとF氏は、痛い目に遭わされた顔つきになる。が、苦い気分を漂わせながらも、泰然として辛抱強く相手をする。「父子喧嘩みたいよ」というと、「八ッハッハ……それは悪いよ。Fさんは、そんなにおじいさんじゃないだろ」と、口だけであくどく笑ってO[2]氏。
「Oさんが子供みたいだって、いっているのよ」とわたしはいった。メニューを見ながら彼は、「どら焼き食べようかな」といった。「もうすぐO[1]氏が見えると思うから、あちらに移りましょうか」とF氏。
擬似ファミリーの3人は、カウンター席から奥の大きなテーブルへと移動した。
高齢のO[1]氏が現れたとき、わたしがここへ来てから覚えたぶれは、最大となった。
O[1]氏は、幾分前かがみになって、入ってきた。まるで怯えたように目を見開き気味にして、入ってきた。その目がわたしを見据え、一旦拒否し、また捉え、さらに捉えつくそうとして最高に強い光を放った。わたしのほうでは、想像していたO[1]氏の像を一旦は捨てようと努力しながら、未練たらしくその像に縋りつきつつ、ぼんやりとした。
老人と中年の主婦であるわたしは、どこかあらぬところを見ながら、見かけは普通に挨拶を交わした。O[1]氏とわたしは相手の中に、挨拶すべき像を見出せず、視線を彷徨わせていたのだ。あとの2人は、わたしとO[1]氏との間に始まったドラマ、あるいは闘いというべき、独特の気配に気づいている風だった。
わたしは唐突にO[1]氏に向かって握手を求めた。わたしは絶望していた。本物のO[1]氏に失望したという意味ではない。あまりに想像力を働かせていたため、現実のO[1]氏が、まるでエイリアンのように、想像していたO[1]氏を食い破って猛々しく出てきたような印象を受けただけだった。
なぜ、握手を求めるなどという、軽はずみな行動をとったのかは自分でもわからないが、わたしは本物のO[1]氏に触れることで、想像していたO[1]氏の像を消し去りたかったのだと思う。そして、感じていたからだった。この年齢の男性が秘める、権威主義や男尊女卑といった瘴気を。
それを裏書するかのように、彼は握手を拒否した。それはわたしの思い過ごしで、単に気づかなかったようにも見えた。
何はともあれ、見た目はごく普通に、文学の集まりらしい雰囲気のうちに、わたしたちは語り合っていた。
角部屋のようになった一角に座るわたしたちの背後には、展覧会さながらに名をつけた絵が沢山かけられていた。
「どれも同じに見えるけれど」とO[2]氏。わたしたちは彼に同感しながら、絵を見続けた。「でも、よく見ると、違いますね。それぞれに」とわたしはいった。
F氏は「教える人が同じなのかな」といった。「そうでしょう」とわたし。
「本当に皆同じだな。見分けがつかない」とO[2]氏。「そんなこといっちゃ、悪いわよ。わたしたちの作品だって、同じでしょう。自分の作品は……と思っているけれど、外部の人々が見たら、全部同じに見えるのよ、きっと」とわたし。一方、O[1]氏はなおも目を見開きがちに黙りながら、何かを考えているのか、いないのか。
そのうち、O[1]氏の知り合いの老人たちが入ってきて、一角には強い加齢臭が立ち籠めた。老人パワーというべきか。
彼らは口では愛想がよかったが、視線は強く、いくらか不躾で、「女性のゲストがいるとはありがたい」などといいながらも、女が一人、男性ばかりに混じってこんなところで遊んでけしからん――と、雰囲気そのものが語っていた。
しばらく談笑が続き、軽いわたしとO[2]氏は、ときどき(老人会みたいね)と目で語り合って、笑い合った。
F氏が、「出ましょうか、Nさん」といって、わたしを促した。詰めた話をするためだ。
そのことをわかっていたはずなのに、O[2]氏は置き去りにされる子供のように黙って、前を向いたまま、不機嫌そうな、泣きそうな、惨めな目をした。訴えるようにじっとわたしを見ていた。わたしの勘違いだろうか? でも、そう見えた。白い帽子を被ったまま、本当に、まるで子供のように。いつ、わたしは彼を産んだんだっけ? 七つも上の彼を。
その頃になってようやくわたしを受け入れたらしいO[1]氏は、相変わらず緊張したように目を見開いて、しかし、その目は柔らかな光を宿した。雲が払われたかのように。彼の作品を連想させる、彼そのものといってよい光だった。まぎれもないO[1]氏がそこにいた。
O[1]氏は、強張った儀礼とはまるで違う、自然な微笑を浮かべて、わたしに右手を差し出した。わたしは驚きながら、悦びながら、それでも、相変わらずいささか軽佻に、その貴重な手を握った。O[1]氏の目が潤いのあまり、濡れたように黒く見えた。
F氏との話のあとで、O[2]氏に電話を入れた。留守番をさせた子供に電話を入れる母親の気持ちそのままだった。ところが、O[2]氏はわたしの思い入れとは裏腹に、何ともさわやかに、屈託なく、O[1]氏と話したことを伝えた。
●どの程度脚色が入っているかいないかは、ご訪問くださったあなた様のご想像にお任せします。
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