明日、文学の集まり
12日に、休刊中の同人雑誌の同人の一人F氏からお電話があり、O[1]氏に会わせたいとのこと。同人雑誌の合評会にはなかなか行けなかったので、わたしも以前から一度お目にかかってみたいとは思っていた。
漢方に通い始めたところで、健康状態はパッとしないが、パッとするのを待っていてはいつになるかわからない。明日、文学を嗜む人々の溜まり場となっている喫茶店へ出かける約束をした。
そのとき、F氏とはいろいろとお話しして、現在の硬直したわが国の文学界には、革命(文学運動)が必要だという結論に達した。
わたしはずっと前からそのように考えていた。F氏はわたしより長生きされているとあって、そのあたりの考えはわたしよりも筋金入りだ。
が、F氏には少年のような一途なところがあり、何と文学賞応募の原稿に添えて、公平に選考を行うための試案なる、声明文ともとれるような怪文書を送ったこともあるとか。当然、その作品は一次も通過しなかったらしい。
彼がそのような行動に出た裏には、その賞の審査員たちの中に知り合いがいたことがあるようだ。あらゆる賞の常連であるF氏は、作家や出版関係者に知り合いも多い。彼の仲間がプロになったのに、彼がなれていないのは、作品の出来不出来、タイミング、あるいは根回しといった問題以前に、反骨精神が潜んでいることが原因していると思われる。
そして彼は、わたしに仲間の匂いを嗅ぎつけたというわけだった。ここ数年、彼が折に触れてわたしに電話をしてきたのには、そうした話をしたかったためらしい。明日の集まりでは、そのような話はできないだろうが、そのうちもっと詰めた話をしたいという。
裏を知りすぎている彼は、とっくにブラックリストに名が挙がっているはずだ。現代日本には多くの純文系文学賞が存在するが、そのほとんどには好ましからざる裏があって、何のコネもないみずみずしい才能の持ち主が世に出られない仕組みを作り出している。
戦後、出版事業が復興、進展する中で、あまりに沢山の人々が文学で食べていくことになった結果、このような事態を招くことになったといえる。
わたしはフランスにおける印象派のアンダパンダン展の話など出したが、絵画であれば、一目でわかるから、人を集めやすい。文学の刷新運動となると、どうしても知識層に訴えることになるが、その知識層が、今の日本では知識層として機能していない。
この国ではまともな文芸評論にお目にかかれなくなって久しいという事実が、このことを裏書している。
また、大正から昭和初期にかけて活躍した女性作家たちを思い浮かべてみるとわかりやすい。彼女たちは作品の中で、正々堂々と男女関係を、情の絡みを熱く追究した。実に誇り高かった。
現在の女性作家たちはどうか。あの誇り高さはみじんもない。男性の性に媚びたものか、あるいはそれとなく嫌悪するものか、いずれにしても、何だかパッとしないものが多い。
そこにはやはり、何か原因があるはずだ。
わたしはそのことを感じとってはいたが、Fさんは具体的なエピソードとして知っていた。彼自身が女衒のようなことをいう。「僕が女で、あなたくらい綺麗だったら、体を売ってでも出たよ」などと。彼の知り合いが組織にいた頃であれば、紹介できたようなことまで匂わす。女でさえあれば買う人間が、少なくとも以前はいたということか。
仮にそれが一部の風潮にすぎないものであったとしても、その影響は大きい。
経済事情からにしろ、風俗事情からにしろ、裏があって、それが世間の眼から不合理なものに映ったとしても、真の才能の揺籃となるものであるなら、これは極論だが、裏がいくらあっても構わないとさえわたしは思う。が、大した作品が出ないということは、そんな裏ではないということだ。
そうした裏が文学の質を決定し、大衆に影響を及ぼして現代風俗をつくり上げた。
それにしても、F氏という人には複雑なところがあって、よくわからない。わたしに対する接しかたには微塵も嫌らしいところや俗っぽいところがないので、何の抵抗もなく話せるのだが……。
互いの作品の話になり、F氏が、まわりにはわたしくらいしか作品を鋭く批評できる人がいないというので、わたしはいった。「Fさんは、安全圏で書いていると思います」
会話が止まり、沈黙が漂った。
F氏は、これまで個人誌を30部ほど作ってあちこちへ送り、新聞の同人雑誌評欄などで採り上げられて来たという。わたしの作品と組みたいといっていただいたが、わたしと組むことで彼の作品が採り上げられなくなる可能性があると思うのだ。
いずれにしても、明日は、F氏と互いの作品の話や文学革命(?)といった、込み入った話はできないかもしれない。
16日に、O[2]氏(※O[1]氏とは別人)からもお電話があった。O[2]氏は作品を見てほしいという。純粋に作品として見てほしいというのであれば見るが、賞狙いのお手伝いならできないというと、純粋に見てほしいのだそうだ。
O[2]氏はF氏の文学教室の生徒さんなのだから、F氏に頼めばいいのにと思い、そういうと、文学観という点からわたしに見てほしいらしい。F氏がわたしを講師に招きたいといっていた由。
冗談だろうが、作家という肩書きが出来たら、わたしは文学塾を開いてみたい。よく人から、なぜ教師にならなかったのかとか、どこかで教えていらっしゃるのですかなどといわれることがあるが、算数教室で働いていたとき、教えることは楽しいな、とよく思っていた。前で教えるとなると、最初は足がわななき、声が震えるかもしれないが。
スケッチを徹底させるマダムNメソッド――という広告でいくつもり。尤も、それ以前に、持ち込む童話さえ、完成できずにもたもたしている現実がある。
明日はO[2]氏も集まりに行くそうだ。
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