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2009年12月 2日 (水)

類は友を呼ぶ…のかも&つまらなくなり出した『デミアン』

孤立を決め込んで始めた当ブログだったが、ありがたいことに訪問してくださるかたがたも増え、メールやコメントをいただいたりもするようになった。

そのメールやコメントをくださるかたがたであるが、分野は違っても、何かの卵であったり、過去にそうであったりしたかたが多いように思う。

卵であることを露骨に強調しているわたしのブログは、よくも悪くも、創作に関る某かを刺激したりもするようだ。

しかし、このご時勢では、創作意欲を下手に刺激されても苦しいだけだったりもするだろう。仕事及び生活との折り合いをつけることが難しいことが普通だ。

わたしと何らかの関係を持とうというかたは、才能という点では案外半端ではないかたが多いのではないだろうか、これはあくまで想像にすぎないが。

趣味としても楽しめるはずのものをそうできないということは、半端ではないからなのだ。

わたしのカタリ派研究(あくまで自作童話の下地とするためのものにすぎない)から借りていえば、そうした人々はいわば表舞台での活躍の場を奪われた、あるいは獲得できない異端派といってもいいかもしれない。

ところで、異端カタリ派に影響を与えたといわれるグノーシスの哲学は高度な体系のはずだが、そのグノーシスが織り込まれているという情報を得て読み始めたヘッセの『デミアン』。

少年時代までの主人公の物語は秀逸だった。悪友にそそのかされて悪事に手を染めようとする辺りは、簡潔な美しい表現で微に入り細を穿ち描かれていて、傑作だと思わせる。

が、キリスト教の教えに一風変わった解釈をほどこすデミアンを媒体として作者が宗教哲学のテーマに本格的に入っていく辺りから、とたんにつまらなくなり出した。ヘッセには哲学を解する力がなかったのではないだろうか。まだ途中なので、読み終えてから改めて感想を書きたいが、現時点ではうーん、グノーシスを織り込んだにしてはねえ……という感じだ。

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