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2009年12月13日 (日)

何だか…&カタリ派について若干

 ううっ何だか……気持ちが悪い。

 原因はわかっています。自業自得なのです。

 夜中に無性にお菓子を食べたくなり、食べてしまって、ああいい年して。

 不摂生すると、すぐに体に出ます。口内炎ができ、胸の圧迫感があり、おなかもパンパンですが、この現象、心臓が原因なのか胃腸が原因なのかわからないので、朝の薬を飲んで様子を見ているところです。

 夜中にお菓子を、それも小袋のスナック菓子を半分食べたか食べなかったかなのに、この過剰反応……。

 口内炎は、わたしの場合、柿が効きます。柿を食べると、一発で治るんですよ。

 薬が効いてきて、胸の圧迫感とおなかパンパンがいくらか和らいできました。この苦しさをすっきりとるには、やはりニトロ舌下錠かなあ。

 でも、あれ飲むと疲れるわ……もう少し様子を見ます。携帯のキー叩けるくらいだから、どちらにしても大したことはありません。

 今日は半端なままの記事「考察…異端カタリ派の祈り」を書いてしまい、少々骨の折れる読書を続けたいと思います。

 しかし頭が疲れるだけではなく、時間を無駄にさせらると感じてしまう、中身のない近代以降の哲学書に比べたら、古代の思想はゴージャスで中身が詰まっていますわね。哲学という観点だけから考えると、人間、退化しているとしか思えません。

 これも図書館から新しく借りた本ですが、昨日パラパラとめくったグノーシス哲学入門といった感じのわかりやすいマドレーヌ・スコペロ『グノーシスとは何か』(入江良平/中野千恵美訳、せりか書房、1997年)の日本語版への序文の中に、次のような一文があります。

「グノーシス主義者――この名称は彼らの思想を反駁したキリスト教の反異端者が用いていた通称なのですが――は、二世紀と三世紀における知的エリートでした。彼らは、哲学的な文化およびさまざまな伝統(ギリシャ、ユダヤ、キリスト教)に養われた繊細な聖書の釈義者であり、寓意の技術にたけており、自分たちの思想学派を創設して、その教義をローマ帝国内に普及させました」

 そう、グノーシスを教義に映したカタリ派はカトリック教会によって血祭りに上げられ、貶められましたが、51歳になるまであれこれ哲学書をかじってきたわたしは、彼らについてよく知る前から、何かしら心惹かれる上質の薫りを感じていました。

 それだけでなく、写真で見たオック語のカタリ派典礼書のページ。読めもしないのに、心を奪われました。美しい花を見たときのように胸がときめいてしまうのです。カタリ派について多くを書いたガーダムによると、カタリ派聖職者はしばしば深青色のローブを纏っていたということですが、その姿が浮かんでくる錯覚さえ覚えます。カタリ派であった前世でもあるのかしら、と自身を勘ぐるほどに。

 しかしカタリ派について、意識して調べたのは初めてのことです。調査を進めた今の段階では、カタリ派は中世ヨーロッパを知るための鍵となる重要な歴史的要素だと思っています。

 童話の子供たちを、知らない世界へやることはできません。中世ヨーロッパ風の世界を作り出すためには、カタリ派の研究をもう少し続けなくてはなりません。

 有名な異端審問官ジャック・フルニエが凄腕を発揮したのは、1290年から1320年にかけてのことです。

 カタリ派最期の砦モンセギュール陥落が1244年でしたから、フルニエは彼の管轄した地域に残るカタリ派の余韻を徹底して消し尽くそうとしたわけです。

 フルニエはその後出世して、1327年に枢機卿、34年にはアヴィニョンの教皇に選ばれました。法号はベネディクトゥス12世。

 如何なる思想も人類の共有財産だと思っています。どの思想を人類の宝と感じ、瑕と感じるかは、人それぞれでしょう。わたしの記事に不快を覚えるかたがいらっしゃるかもしれませんが、それも当然だろうと自覚しています。そんなことに頓着していられないほど、悪い頭と乏しい体力で歴史を読み解こうと夢中になっているためだとお考えください。

 携帯で記事を書いているうちに、気分の悪さもどうにか治りました。

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