やまとのあやⅡ
東漢氏は阿智使主(あちのおみ)を氏祖とする帰化氏族であるが、記紀では応神天皇の在位中のこととされている。
東漢氏は、おそらく後漢―呉―百済、宗教的には仏教と親和性があり、魏、宗教的には道教と親和性のある卑弥呼とは、明らかに別の系譜に属する。彼らの行動……。
尤も、東漢氏の先祖が帯方郡から来た後漢の亡命貴族であったという伝説、坂上刈田麻呂(征夷大将軍として有名な田村麻呂の父)が桓武天皇に対する上表文で、彼らの氏祖である阿智使主が後漢・霊帝の子孫であったと述べたという内容を真実と見るか、また渡来した応神天皇20年を西暦に直した289年と考えるか、古事記に従い4世紀半と考えるかで話が違ってくる。
要するに、応神時代の話に、ありえないことだが、両時代の話が混在しているのだ。
応神天皇の在位は日本書記に従えば、270年2月8日―310年3月31日で、在位中の時代は弥生時代になるという。古事記に従えば、4世紀半になるそうだ。
日本書記を読むと、おかしなことにぶつかる。百済は346年―660年に存在した国だが、この国が出てくるかと思うと、呉は222―280年に存在した国だが、これも出てきて、この2つの国のうちのどちらかがまるでタイムスリップでもしたかのように、同時期に存在したとしか思えない書かれかたなのだ。
ちなみに、 卑弥呼が初めて難升米らを中国の魏に派遣したのは、魏の大尉・司馬懿によって公孫氏が撃たれた翌年の239年のことだった。何というタイミングのよさだろう!
帯方郡は、204年、後漢の遼東太守・公孫氏によって創設された。呉と通じた公孫淵が撃たれたのちは魏の直轄地となり、その運営は313年まで続いた。
もし、東漢氏の先祖が帯方郡にいたとすると、その先祖が公孫氏政権や卑弥呼とどこかで絡んでいた可能性だってあるのだから、大きな問題なのだが――。
漢王朝の亡命貴族が朝鮮半島の帯方郡に、あるいは、さらにそこから百済に逃れたという話には信憑性があるようだが、東漢氏がそれに当たる人々であるのかどうかとなると、どうとでも考えられるわけだ。流浪の民ではなく、朝鮮半島土着の人々だったことだって考えられる。
ただ彼らがどこから来ようと、先進技術を身につけた優秀な人々だったことは確かで、例えば、今、わたしたち一家が、親類と共にどこか未開な国へ移住したとしても、そこに現代日本の文明を根付かせることができるかどうかというと、たぶん無理だろう。少なくとも、東漢氏が、ポートピープルになって当時の日本に来た朝鮮半島土着の庶民だったわけではあるまい。
いずれにしても、その後、東漢氏は本拠地を飛鳥とし、蘇我氏に協力した。東漢駒(やまとのあやのこま)は、蘇我馬子の命令で崇峻天皇を暗殺した(その後、東漢駒は別件で処刑されている)。
聖徳太子の活躍と死。
天武天皇の発意により、舎人親王らの撰で、奈良時代の養老4年(720年)に完成した日本書紀はわが国最古の歴史書とされているが、それ以前に、聖徳太子にらよって編纂された『国記』、『天皇記』があった。それは大部分、蘇我蝦夷と共に炎上したが、焼け残ったものは天智天皇に献上されたという。
なぜ蝦夷は『国記』『天皇記』を道連れに自殺しようとしたのか不思議だ。『国記』『天皇記』が失われたのは、惜しいことだと思う。それは、どんなものだったのだろうか? 記紀とはカラーが違ったはずだ。
ところで、東漢氏は蘇我氏の没落と共に衰微したが、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について返り咲く。
その後、平安時代に東漢氏出の坂上田村麻呂が、征夷大将軍として活躍することになるが、その父、前出の坂上苅田麻呂は、奈良時代、宇佐神宮の神託で有名な弓削道鏡事件で、道鏡の動きを封じ込めることに力を尽くしたりした。
ここで改めて、宇佐神宮の由緒記を見てみると、主祭神は三柱の神々で、一之御殿が誉田別尊(応神天皇)、二之御殿が比売大神(多岐津姫命・市杵嶋姫命・多記理姫命の三女神)、三之御殿が神功皇后(息長帯姫命)となっている。
前述したように、東漢氏は、記紀で、応神天皇の在位中に渡来したとされるが、弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)を氏祖とする秦氏も、同じ応神天皇の在位中に渡来したとされる。しかし秦氏は、秦―新羅と親和性がありそうだ。
秦氏の氏寺である広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)は、新羅色が強いとされる。余談だが、わたしは広隆寺を訪れたとき、弥勒菩薩半跏像のえもいわれぬ美しさに恍惚となって、しばらく動けなかった。少し体が宙に浮いたような錯覚にとらわれたほどだった。その一室の空間に金色の光の帯が絶えず織り成されていくかに見えた。他の仏像が何だかその辺のおばさんをモデルにしたかのように見劣りして見えた。
確かにこの弥勒菩薩半跏像は、写真で見る百済系の仏像とは感じが違う。新羅系に思える。秦氏は、過去記事『帰化人について、押えておく必要性』でも引用した平野邦雄氏の言葉にあるように、わが国の神祗信仰とは切っても切れない帰化氏族で、宇佐神宮とも関係が深い。
ところで、宇佐神宮における二之御殿の祭神は宗像三女神ともいわれているが、宗像というと、日本書紀にある阿智使主が呉に遣わされた話を連想してしまう。
応神天皇の在位中、縫工女を求めて呉に遣わされた阿智使主らは高麗経由で呉に行き、王から4人の縫女を与えられた。応神天皇崩御の月に阿智使主一行は呉から筑紫に着いたが、そのとき、宗像大神が工女らをほしいといわれ、縫女のうちの兄媛を奉った。あとの3人は天皇崩御のため、その第4子である大鷦鷯尊(仁徳天皇)に奉った……という話。阿智使主らは呉に行って戻るまでに、4年もかかっている。
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