今後の創作プラン&不完全なNotes:卑弥呼
以下は、題未定小説の書き出しの部分。
知り合ったとき、彼女は40代後半で、わたしとは親子ほどの年齢の隔たりがあったが、魅力的な女性であった。
当時わたしは二流の私大生。
以前、彼女は女子大でフランス文学を教えていたそうだが、脳梗塞で倒れた夫の介護に専念するために教職を退いた。2年後に彼女は未亡人となった。
大学ではユイスマンスを研究していたそうで、今も自宅で彼の研究を続けているということだった。その一方で、彼女はオリジナルな小説を書いてみたいという願望を持っていた。そしてカルチャーセンターの短編小説コースの受講を希望したのだった。そこにわたしとの接点ができた。
死者と生者が思想問題で心理的一戦を交える舞台劇風のこの作品(男性の視点で書いてみたいと思っている)に本格的に入るのは来年、下手をすれば再来年。その頃には書きたい気持ちが失せていることもありうる。
でも、自作童話『不思議な接着剤』を仕上げるまでは、入れない。
卑弥呼の小説となると、題未定小説が仕上がった、さらに先のことになる。研究ノートは、他の作品を手がけている合間に、とり続けるつもりなので、ある程度まとまったら、エッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』と合わせて小冊子にするのもいいかもしれないと思っている。
調べていくうちに考えかたが変わることも多々あるが、また過去の考えに戻る可能性もあるので、過去の考えを反古としてしまうわけにはいかない。いずれにしても、ある時点でまとまったものにしておく必要がある。
鍋島藩秘窯の里を舞台とした小説となると、いつ取りかかれるのやら、見当もつかない。
しかし、卑弥呼のことを書くようにせっつかれているような気持ちと同様、鍋島藩秘窯の里のこともそんな気持ちがあって、東漢(やまとのあや)氏のことや祖母の実家のことなんか考えていると、ご先祖様の何らかの気持ちがわたしに反映しているのではないかと思えてしまう。
わたしは輪廻を感覚的にあると思っているので(霊として完成の域に達するまで、この世という教室で繰り返し学ばなくてはならない……という風に)、ご先祖様のことなど考えたこともないほうだったのに、何だかこの頃因縁ということを考えてしまう。
ご先祖様に代わって贖罪を求められているのか? 尤も、そのご先祖様の中に、過去世の自分がいた可能性だってある(?)。
東漢氏は、おそらく後漢―呉―百済、宗教的には仏教と親和性があり、魏、宗教的には道教と親和性のある卑弥呼とは、明らかに別の系譜に属する。彼らの行動……。
尤も、東漢氏の先祖が帯方郡から来た後漢の亡命貴族であったという伝説、坂上刈田麻呂(征夷大将軍として有名な田村麻呂の父)が桓武天皇に対する上表文で、彼らの先祖である阿智使主が後漢・霊帝の子孫であったと述べたという内容を真実と見るか、また渡来した応神天皇20年を西暦に直した289年と考えるか、古事記に従い4世紀半と考えるかで話が違ってくる。
要するに、応神時代の話に、ありえないことだが、両時代の話が混在しているのだ。
応神天皇の在位は日本書記に従えば、270年2月8日―310年3月31日で、在位中の時代は弥生時代になるという。古事記に従えば、4世紀半になるそうだ。
日本書記を読むと、おかしなことにぶつかる。百済は346年―660年に存在した国だが、この国が出てくるかと思うと、呉は222―280年に存在した国だが、これも出てきて、この2つの国のうちのどちらかがまるでタイムスリップでもしたかのように、同時期に存在したとしか思えない書かれかたなのだ。
ちなみに、 卑弥呼が初めて難升米らを中国の魏に派遣したのは、魏の大尉・司馬懿によって公孫氏が撃たれた翌年の239年のことだった。何というタイミングのよさだろう!
帯方郡は、204年、後漢の遼東太守・公孫氏によって創設された。呉と通じた公孫淵が撃たれたのちは魏の直轄地となり、その運営は313年まで続いた。
もし、東漢氏の祖先が帯方郡にいたとすると、公孫氏政権や卑弥呼と絡んでくる可能性だってあるのだから、大きな問題なのだが――。
漢王朝の亡命貴族が朝鮮半島の帯方郡に、あるいは、さらにそこから百済に逃れたという話には信憑性があるようだが、東漢氏がそれに当たる人々であるのかどうかとなると、どうとでも考えられるわけだ。流浪の民ではなく、朝鮮半島土着の人々だったことだって考えられる。
ただ彼らがどこから来ようと、先進技術を身につけた優秀な人々だったことは確かで、例えば、今、わたしたち一家が、親類と共にどこか未開な国へ移住したとしても、そこに現代日本の文明を根付かせることができるかどうかというと、たぶん無理だろう。少なくとも、東漢氏が、ポートピープルになって当時の日本に来た朝鮮半島土着の庶民だったわけではあるまい。
いずれにしても、その後、東漢氏は本拠地を飛鳥とし、蘇我氏に協力した。東漢駒(やまとのあやのこま)は、蘇我馬子の命令で崇峻天皇を暗殺した(その後、東漢駒は別件で処刑されている)。
聖徳太子の活躍と死。
天武天皇の発意により、舎人親王らの撰で、奈良時代の養老4年(720年)に完成した日本書紀はわが国最古の歴史書とされているが、それ以前に、聖徳太子にらよって編纂された『国記』、『天皇記』があった。それは大部分、蘇我蝦夷と共に炎上したが、焼け残ったものは天智天皇に献上されたという。
なぜ蝦夷は『国記』『天皇記』を道連れに自殺しようとしたのか、不思議だ。『国記』『天皇記』が失われたのは、惜しいことだと思う。それは、どんなものだったのだろうか? 記紀とはカラーが違ったはずだ。
ところで、東漢氏は蘇我氏の没落と共に衰微したが、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側について返り咲く。
その後、平安時代に東漢氏出の坂上田村麻呂が、征夷大将軍として活躍することになるが、その父、前出の坂上苅田麻呂は、奈良時代、宇佐神宮の神託で有名な弓削道鏡事件で、道鏡の動きを封じ込めることに力を尽くしたりした。
……。
○創作プランだけ記録しておくつもりが、卑弥呼関係のメモを続けて書いてしまい、ごっちゃになってしまいました。ちょっと今、読み返している時間がないので、あちこちに間違いがあるかもしれません。あとで、別の記事にしたいと思います。
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