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2009年11月20日 (金)

Notes:不思議な接着剤 #27 まとまりの悪い日々の中で、なつかしさに触れる

#27
2009/11/20(Fri) まとまりの悪い日々の中で、なつかしさに触れる

  巷ではインフル騒ぎで大変だが、幸いまだインフルにはかからずに済んでいる。ただ、このところ、何となく風邪気味であるのに加え、ニトロ舌下錠を使うほどではないまでも、心臓の調子が不安定で、体力も気力も不足がちといったところ。そのせいもあって、家事雑用で精一杯で、なかなか創作の時間がとれない。

 それでも、自作童話『不思議な接着剤』に関する下調べは続行している。まだ作品の子供たちと冒険の旅には出ていない状態。もう少し下準備が必要だ。

 鍾乳洞に入り込む中世ヨーロッパ風の世界に、カトリック教会による粛清で壊滅したカタリ派のエピソードをいくらかとり入れたい。

 もう少しカタリ派の教義に関してもメモしておきたいと思い、カタリ派についてⅡを書きかけていた()。

 といっても、カタリ派側の文書はほぼ失われているため(『二原理論』という書が残されている)、粛清した側の偏見に充ちた資料によって彼らについて知る他はないといわれている。カタリ派の生まれ変わりというガーダムの著書は、彼がそうであれどうであれカタリ派の教義に迫った研究書として優れていると思う。

 カタリ派の教義がグノーシス主義の影響を受けていることは確かで、わたしは大学時代に魅せられたことがある。1~4世紀に広まったグノーシス主義は、ギリシア哲学、東洋思想、中近東の宗教思想のシンクロティズム的ムードを持っている。

 フランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユはカタリ派に魅せられた一人だった。また実存主義哲学とグノーシス主義は共通点があるともいわれている。なるほど似ていると思うところはある。だが、グノーシス主義の思想には、実存主義にはない統一感、ダイナミズム、純度の高さ、輝きがある。

 グノーシス主義は、貴種流離譚の母胎ではないだろうか。そう考えると、児童文学とも関係が深い。神智学の文献にもたびたび出てくる。

 昨夜、グノーシス主義の研究書ハンス・ヨナス『グノーシスの宗教』(秋山さと子&入江良平訳、人文書院、1986年)を再読し、その中で紹介されている《真珠の歌》という詩の美しさ、なつかしさに恍惚となってしまった。この詩は、新約外典『使徒トマスの行伝』にあるという。 

 まさに貴種流離譚の形式を持った詩で、魂の〈自分探しの〉旅をシンボライズしたものだろう。これに関してはまた記事を改めて触れたい。

 やまとのあやⅡも途中なのだ。メモしておきたいこと、調べておきたいことが次々に湧き出てきて、中断してしまった。これも、もう少しまとまりをつけて公開しておきたいところだ。でないと、心置きなく自作童話に没頭できない。

 それにしても、卑弥呼関係の調査と自作童話に必要な調査とはどこかでつながっている気がしていたが、卑弥呼の生きた時代はグノーシスが広まった時期にすっぽり包み込まれているわけだ。 

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