わたしの神秘的な宝物
父と夫には引っ掻き回されっぱなしであるが、ふと冷静になったとき、彼らの問題は現在のわたし――というよりは、わたしがいつの過去世かで抱えていた問題の2つのサンプルだろうと思われてくる。
父も夫も、当然わたしより年上であるにも拘らず、わたしは子供の頃から父の魂は若くて向こう見ずであると感じられていたし、夫の魂は父の魂よりは老けているだろうけれど、それでもわたしの魂よりは若いと感じることがある。
自分がどれくらいの数の過去世を持っているのかはわからないが、すぐ前の過去世と想われるものの記憶だけは微かにあって――といっても、大人になった今ではそのときの生々しい感じは忘れてしまっている。子供の頃の記憶を辿って、なんとかそこへ辿りつくといった風だ――わたしはその過去世においては修行者で、死期を悟った老人のわたしは意識を保ったままで彼の世に赴くことを欲し、いわゆる即身成仏的な死に方をしたと想われる。
その過去世の習慣の名残なのか、わたしは子供の頃、ひとりになれる場所で、よく厳格な瞑想を自身に課していた。一方ではごく普通の子供でもあって、それが一般的なことだと思っていた。つまり、皆がこの世は修行の場と自覚しており、前世と彼の世の記憶も少しは保持していながらも、ある含羞から、そのことを隠す決まりになっていると思い込んでいたのだ。瞑想なども、皆が隠れてこっそりとやっているのだと思っていた。
そうではなそさうだな、と本格的に気づいたのは中学生になってからで、わたしは友人たちに片っ端から、自分の秘密の記憶や習慣を打ち明けてみた。友人たちは笑い、わたしが冗談をいったと思ったようだった。
多くの人がわたしとは違っていたとしても、幸いわたしの共感をそそるようなことが書かれた書物は哲学や宗教の分野に存在するし、これはこれで自然に任せておけばいいと思っている。
すぐ前の過去世のわたしは何となく、自分では立派な修行者と思っていた節があるが、結構独りよがりな人間だったのではなかったか。修行によって偏った人格を矯正するために、魂が生まれ変わるにあたって新しい肉体と環境を今のわたしのようなものに求めたとすれば、魂の慧眼はさすがだなと感心せざるをえない。
一主婦として全うすることこそ、魂の望んだ修行だったのかもしれないと近頃になって思う。
すぐ前の過去世のわたしは、相当に強靭かつ敏捷な肉体と知能を備えていたのではないだろうか。そんな感じの老人のムードが子供のわたしの記憶にはあった。その老人はたぶん心は温かではあったが、デリカシーには欠けがちで、他人を傷つけても気づかなかった。独りよがりな出家だの即身成仏だのをやらかして、身内を泣かせたりもしたに違いない。
といっても、得たものもあったようで、たまにオーラの見えることがあったり、一種のテレパシー的感受性が働いたりとか、すぐ前の過去世の記憶と彼の世の微かな記憶を保持できたりしたのも、そのときの修行の賜物だろう。これこそ、わたしの宝物だ。もちろんこれらは、脳をはじめとする肉体の能力ではあるまい。肉体は生まれ変わるたびに、古い着物のように捨てられ、消滅するのだから。
子供の頃の変に達観していた意識が、この頃、わたしに時折オーバーラップする。この生は、一つの生にすぎないとしきりに自覚される。だから死期が近いとは思っていないが、息子と「もしママに何かあったら」という会話を交わした。わたしは契約社員を続けている娘のことが一番心配なのだ。息子は縁起でもないと思ったらしく、「ママは80歳まで生きると思うな」といった。
そうだとしたら、それはぞっとすることだが、大変ありがたいことでもあるだろう。長命を保てるのだとしたら、これまでのように四苦八苦しながらも、精一杯、感謝して生きて行こう。生まれ変わって、新しい肉体と環境に馴染もうとすることは、魂にとっては相当な苦労のようだから。
父の現在の病的な状態は除いたとしても、昔から父と夫からは問題をもたらされることが多く、今生で彼らの問題がなくなることはないだろうと感じながらも、わたしは彼らと半ば問題を共有するしかない。それはカルマに関ることであって、いつのときかの過去世の自分に寄り添う体験だろうと思う。しかし、それはあくまで、できる範囲内での共有であって、必要以上の危険で愚かしい共有は御免だ。 〔関連記事:息子の夢と前世のわたし〕
以下に、ご参考までにH・P・ブラヴァツキー著『神智学の鍵 THE KEY to Teosophy』(神智学協会ニッポン・ロッジ、昭和62年)の改版(平成7年)における用語解説から、エゴとカルマに関する解説をご紹介します。
エゴ(Ego,羅)
「自我」の意。人間における「私は私である」という意識、つまり私は存在するという意識を言う。秘教哲学は人間に二つのエゴがあると教える。死すべきものである人格我と高次の神聖な非人格我で、前者をpersonalityと呼び、後者をindividualityと呼ぶ。
カルマ(Karma/Kalman,梵)
肉体的には行為を言い、形而上的には応報の法則をいう。原因と結果の法則、即ち倫理的な因果律である。復讐の女神ネメシスに相当するのは、悪カルマの意味でだけである。正統派仏教でいう十二縁起の法の11番目のジャーティ即ち生にあたる。しかもそれは道徳的行為の結果であり、あらゆるものをコントロールする力でもあり、形而上学的サンスカーラ即ち個人的欲望を満たすために行われる行為の道徳的影響である。善行のカルマも悪行のカルマもあるが、カルマ自体はけっして報償を与えないし、罰しもしない。カルマとは、それぞれの原因の常軌に従い、ある結果を生み出すあらゆる他の法則を誤りなく、いわば盲目的に動かす唯一の普遍的法則である。「カルマはいかなる存在にとっても道徳的中核であり、それのみが死を超えて生き、輪廻する」、あるいは再生すると仏教でいう時、それはただ次のような意味である。それぞれの人格我が去った後には何も残らない。しかし、人格によって作られた原因は、それが正当な結果を生み出すまではなくならない。つまり、原因がその結果に取り替えられるまではこの宇宙から除去されること、いわば消し去られることはない。そして、そのような原因は、それを作り出した当人が生涯の間にこれに見合うだけの結果を生み出すことによって償わない限り、その後化身する自我(エゴ)について回る。そこでまた原因と結果の間の調和が完全に打ち建てられないと、その後々の輪廻につきまとうのである。人格我とは物質原子と本能的、心理的特性の塊にすぎないが、それは言うまでもなく純粋霊の世界にそのままで存続することはできない。本性において不死であるもの、本質において神聖なものである自我だけが永遠に存続することができる。各デヴァチャン期を過ぎてから、生命を吹き込む人格我を選ぶのは自我であり、過去世で作られたカルマ的原因の結果をこれらの人格我を通して受けとるのは自我であるから、自我が前述した「道徳的中核」であり、具現化したカルマ自体であり、これのみが死後も存続するのである。
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