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2009年8月 2日 (日)

息子おすすめ鳥居民著「昭和二十年」シリーズ。浜田廣介童話集。Oさんと女友達から電話。

 雑多に、文学の話題。

 息子がすすめる鳥居民著「昭和二十年」シリーズ(草思社)。

 息子の話を聞いて読みたくなってしまったのだが、ネットで検索したところでは、知る人ぞ知るシリーズらしい。まだ刊行が続いている長大なシリーズのようなので、図書館から借りてこようかとも思ったが、外出がしんどいので、とりあえず最初の巻だけ娘に頼む(娘は書店勤務)。

 息子の話によれば、どこからあれほどの資料を集めてくるのだろうと思うほどの圧倒的な資料量、そして卓抜な資料遣い、論証の鋭さ・ゆるぎなさ、当時の状況をドキュメンタリータッチで生き生きと描き出す筆力など、わが国の歴史物にありがちな資料を無難に綴り合わせただけのものとか、変に空想に走ったものといった作品群とは一線を画するものがあるらしい。ただ論述はときに、ぐるぐるめぐることがあるそうだ。

 著者のプロフィールとして「東京に生まれ、横浜で育つ」ということだけしか公開されていないことがまた、好奇心をそそる。同じ著者の『日米開戦の謎』もおすすめだそうだが、こちらは、そちらの方面に関するある程度の基礎知識を必要とするという。

 以下に、草思社のホームページから、鳥居民著「昭和二十年」シリーズの案内をご紹介。

第一部=Ⅰ 重臣たちの動き
1月、米軍はフィリピンを進撃中であり、本土はB29の空襲にさらされるようになり、日本の運命は風前の灯火にあった。近衛、木戸、東条はこの正月をどのように迎え、戦況をどう考えたのか

第一部=2 崩壊の兆し
三菱の名古屋航空機工場への空襲と工場疎開、何年ぶりかの豪雪に苦しめられる北海道、東北からの石炭輸送。本土決戦に向けて会議をつづける陸軍。社会各層で徐々に忍び寄る崩壊の兆しを描く。

第一部=3 小磯内閣の崩壊
謎の中国人繆斌は本当に平和を求めて日本にきたのか、それとも国民党の特務なのか。内閣はこの中国人をめぐって対立、倒閣へと向かう。戦争終結構想、マルクス主義者の動向、硫黄島の戦い、岸信介の暗躍など、転機の3月4月を描く。

第一部=4 鈴木内閣の成立
だれもが徳川家の滅亡と徳川慶喜の運命を、今の自分たちの運命と重ね合わせるのだった。開戦時の海軍の弱腰はなぜだったのか。組閣人事で奔走する要人たちと、4月5日から7日の状況を描く。

第一部=5 女学生の勤労動員と学童疎開
工場や疎開地での悲喜交々の毎日?。戦争末期の勤労動員で親元を離れて軍需工場で働く生徒や疎開先の児童の日常生活をいききと描いた巻。また、風船爆弾や熱線追尾爆弾などの特殊兵器の開発の詳細にも触れる。

第一部=6 首都防空戦と新兵器の開発
前半は若き航空隊員たちの奮戦ぶりを描き、後半ではドイツからの技術援助の経緯と、絶望的な状況のなかでの電波兵器、ロケット兵器、人造石油、松根油等の新兵器開発の状況を描く。

第一部=7 東京の焼尽
5月24日、25日の最後の東京への大空襲で町は灰塵に帰した。ベルリンが陥落して孤立した日本はソ連への和平仲介を求めるしかないのか。政府・軍部に秘策はあるのか。

第一部=8 横浜の壊滅
5月29日、東京につづく横浜への昼間大空襲で街は灰燼に帰した。刑務所内には横浜事件の被告たちがいたが、この事件の真相はどうだったのか。清沢洌の死や木戸幸一追放劇の画策などを描く。

第一部=9 国力の現状と民心の動向
米も塩も石炭もない。海上輸送は壊滅状態となり、航空機の生産は水増しして発表される。新官僚たちがつくった「国力の現状」の報告書を中心に絶望的な状況に陥った6月初旬の日本を描く。

第一部=10 天皇は決意する
天皇は何を考えているのか。その日常と言動、さらには態度決定の仕組みなど、戦争終結へ向かうまでの核心部分にせまった天皇論。沖縄では絶望的な戦いまだがつづいている。

第一部=11 本土決戦への特攻準備
敗戦を描く大作の最新刊。6月上旬、梅津、長谷川、木戸らの言上により、天皇は、戦う方途はもうこれ以上ないと悟る。どのように行動をはじめるのか。他に桜花などの特攻兵器の開発の現状を描く。

以下続刊。

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 ジュンク堂で、ハルキ文庫から出ている「浜田廣介童話集」から『むく鳥のゆめ』、「新美南吉童話集」から『手袋を買いに』を立読みしてなつかしさでいっぱいになり、買い求めた。

 両著者の童話は子供の頃にも幾編か読んだが、わたしが情景描写の美しさ、感情表現の繊細さの虜となったのは、むしろ子育て時代のことだった。

 子供たちと一緒によく絵本を読んだものだったが、子供たちもわたしも前掲の2作品には特に魅せられた記憶がある。絵本を読んで聞かせるとき、幼い息子はなぜか、絵本の絵とわたしの顔を交互に、同じぐらいに熱心に眺めたものだった。

 これは余談になるが、台風被害に遭い、そのときの絵本の多くが駄目になったことは悲しかった⇒そのときのことを題材にした自作小説『台風』はこちらでお読みになれます。

 現在、素人芸ながら自分も童話を書く人間として両著者の作品を読んでみると、対象と一体化するまでの観察の濃やかさ、描写の丁寧さに改めて驚かされる。一例として、廣介の『五ひきのやもり』から、板をのぼって父やもりに会いにくる子供やもりを描いた一場面を引用しておく。

 ちなみに『五ひきのやもり』は、あら壁と板の間に住むやもり一家を描いた作品。父やもりは、不運な事故で板に釘で串刺しにされ、一命をとりとめて元気を回復したものの、身動きできない。

 くぎにかた手をかけながら、上半身をすこしねじってとうさんやもりは、子どもやもりのいるほうへ、きゅうくつそうにあたまのさきをむけました。その目は大きく見ひらいて、きらきらひかって、もえているかと思われました。三びきの小さなやもりは、まだ小さくて、かべから板にとびつくことができません。かべをつたって下までおりていきました。とうさんやもりは、よろこんで、からだを板のほうへよせ、はらと足を板におしつけ、三びきがのぼってくるのを待っていました。すると、たいらな板の世界に一ぴきの小さな頭が見えてきました。つづいて一ぴき、もう一ぴき、どれも似たような、かわいい足をうごかしながら、ちらちらとすすんできます。とうさんやもりは、どんなに、うれしかったでしょう。目には、なみだが、わきました。

  ――「浜田廣介童話集」(ハルキ文庫、2006年)――

 父やもりの悲惨な状態にギョッとさせられるが、明るい結末の用意された『五ひきのやもり』を収録した「浜田廣介童話集」、また「新美南吉童話集」を未読のかたにはおすすめしたい。大人になってから読めば、一層描写の美しさが身に沁み、日本人の心のふるさとに触れえる思いがする珠玉の作品集だと思う。

 新美南吉といえば、思い出されるのが、童話・童謡の分野で起きた文学革命――赤い鳥運動。雑誌「赤い鳥」は大正7年、鈴木三重吉によって創刊された。

 赤い鳥運動と縁の深い北原白秋の作品にわたしが夢中になったのは、大学時代だった。どうしてあれほどまでに、と今になると思えるほどだが、日本人の心の調べともいうべき言葉の旋律の美しさに開眼させられたからだろう。

 学生の身分では高価に思えた3,800円の「評伝 北原白秋」(薮田義雄著、玉川大学出版部、昭和53年)を買い求め、白秋の町・柳川を何度か訪ねた。

 当時触れた白秋の作品の中で、一番思い出すのは以下にご紹介する『カステラ』。カステラを食べるたびに思い出し、一層カラテラが美味しくなる。短い、一見おセンチな作品ながら、情景が鮮やかに浮かび上がる、白秋節を心憎く効かせた一編だと思う。

     カステラ

カステラの縁の渋さよな。
褐色(かばいろ)の渋さよな。
粉のこぼれが手について、手についてね、
ほろほろとほろほろと、たよりない眼が泣かるる。
ほんに、何とせう、
赤い夕日に、うしろ向いて
ひとり植ゑた石竹。

 ――「白秋詩集」(角川文庫、昭和37年)――

 ところで、赤い鳥運動の一環として「赤い鳥」創刊に先立ち配布されたプリントについて坪田譲治が紹介した三重吉の文章には、今のわたしが読んでハッとさせられるものがある。以下にその一部分を引用してみる。

 実際どなたも、お子さん方の読物には随分困っておいでになるようです。私たちも只今世間に行われている少年少女の読物や雑誌の大部分は、その俗悪な表紙を見たばかりでも、決して子供に買って与える気にはなれません。こういう本や雑誌の内容は飽くまで功利とセンセイショナルな刺激と変な哀傷とに充ちた下品なものだらけである上に、その書き表わし方も甚だ下卑ていて、こんなものが直ぐに子供の品性や趣味や文章なりに影響するのかと思うと、まことに、にがにがしい感じがいたします。西洋人とちがって、われわれ日本人は哀れにも未だ嘗ってただ一人も子供のための芸術家を持ったことがありません。私どもは、自分たちが子供のときに、どんなものを読んで来たかを回想したたげでも、われわれの子供のためには、立派な読物を作ってやりたくなります。

 ――「赤い鳥傑作集」(新潮社、昭和30年)――

 ありがたいことに、わたしの子供の頃は文学的に恵まれた環境にあり、児童文学の分野においても意識の高さが感じられた。

 が、今はどうだろうか。

 優れた作品も書かれているのだろうが、一方では、いつの間にか蔓延ってしまった俗悪なファンタジー物。古今東西の名作が手に入るのは喜ばしいことにしても、統一のとれない、何でもありの書店の児童書コーナー。童話コンクールも数多いが、概ね、文章がちょっと得意なママさんたちのお手軽な賞金ゲットの手段と化している感がある。

 わが国では、今一度、赤い鳥運動が必要なのかもしれない。⇒当ブログにおける関連記事:新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について

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 新しい書き仲間Oさんのことには過去記事で触れたが、過日お目にかかり、内容の濃い文学話ができたので、記事にしようとしているのだが、書きかけて中断していた。それが丁度、この記事を書いている最中に電話がかかり、今日明日にでも記事にしてしまおうと思った。

 0さんは、わたしが貸したレオン・サーメリアン著『小説の技法』(西前孝監訳、旺史社、1989年)をうちのマンションのポストに返しに来て、そのあと電話をくださったのだった。

 0さんがこの先、純文学系に進むのかエンター系に進むのかはわからないが(応募する賞が違ってくる)、どちらの方向に進むにも役立つ本だと思い、会うときに見せようと持っていき、そのまま貸していたのだった。

 彼は本から一部コピーし、注文中だとのことで、気に入って貰えた様子。

 一対一でお目にかかるとあって、既婚者同士であるから、わたしはそれなりの工夫をした。その辺りの面白可笑しいエピソードも含めて、記事にしてみたいと考えている。

 わたしが詩人と呼んでいる文芸部時代の女性先輩のことに関しても、過去記事で何度も触れたが、昨日電話をいただいた。このところ彼女の統合失調症の病状は落ち着いている様子で、爽やかな彼女と会話を楽しんだ。⇒当ブログで紹介している彼女の詩はこちら

 が、春頃は調子が悪かったようで、わたしにもそれは感じられたが、そのときに童話を2編送った気がするが、どんなものだったか記憶になく、題名すら覚えていなくて、原稿といえば、わたしに送ったものだけだそうだ。それで、それを送り返してほしいということだった。

 元原稿は作者自らが持っておくべきで、人に送るのはコピーにしたほうがよいと一応注意し、彼女も同感して詫びたが、そのときの状況が状況だけに、それが無理だったのだろう。

 こんなことは過去に何回か繰り返され、わたしは彼女の作品の保管庫になっている風でもある。台風被害に遭ったり、病気が増えたりしてからは、わたしもどこまで他人の作品を管理できるかわからない不安がある。

 そういえば、前掲のOさんから伺った話だが、知り合いのセミプロといっていい書き仲間に、原稿を銀行の貸し金庫に預けている人がいるそうだ。なるほどね、と感心した。

 話が逸れたが、彼女の記憶にないわたしに送られた童話は確かに2編で、その他にもエッセーが送られている。

 童話は、2編とも、彼女の作品にしては破天荒なもので、わたしは唖然とさせられた。それでいて、綺麗さと洒落たものを失わない、魅力的な作品なのだ。とりあえずは保管が必要だろう。彼女に返したら、却って危ない。失われる危険性が高くなる。

 わたしは彼女に許可をとり、コピーをとってから送り返すことにした。わたしに送られた彼女の作品の中で、よいと思った作品だけでもパソコンで清書してメモリーに保存しておいてやりたいが、わたしは自分の作品すら、そうした作業ができていない。

 ホームページも2つ作ったものの、パソコンで打ち直す作業が面倒臭い。やたらと時間を食う。その時間を、新しい作品を書くことに使いたいと思ったりもする。素人には、作品の保管という問題が付き纏う。保管してナンになるのか、という悲しい葛藤も付き纏う。

 素人でありながら作品の発表の場をもたせていただけるネットサービスには、本当に感謝している。 

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