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2009年7月 7日 (火)

取材旅行のプランを練る。おねえ様からのお便り。科学雑誌。

 9月下旬に、ジュゲムブログで連載中の『不思議な接着剤』 のための取材旅行に出かけることになりそうです。娘がつき合ってくれるそうなので、彼女の休みに合わせて……。できたら2泊――新山口駅辺りと萩に1泊ずつ――したいと考えていますが、金欠病のわたしたち、お財布と相談して決めます。

 2泊するとしたら、1泊は萩の泊まりたいお宿、もう1泊はコンフォートホテルなんてプランもいいかなと思っています。

 先日、何とか無事? に終わった裁判ですが、複雑な事情下での出来事だとはいえ、吹っかけられ損だったとしか思えないあの裁判で、口頭弁論出席のための小旅行にお金をかけるのはアホらしかったので、とにかく安くあげたいと思いました。

 それで、コンビニとかファーストフード店とかを連想させるタイプのコンフォートやルートインに泊まってみましたが、簡便な、ありがたいホテルだと思いました。特にコンフォートはおススメです。

 値段が下がってくると、どうしても、場所的な問題、清潔さ、客あしらいなどのどこかに欠点が出がちになるのは仕方のない話ですが、コンフォートは安いのに、大抵便利な場所にあり、清潔で、便利品も揃っています。簡単な朝食も付いています。ウエルカム・コーヒーもあります。

 旅情を味わいたいような場合には、こうしたタイプのホテルは不向きです。

 2泊もする余裕はありませんが、1泊だけですと、秋芳洞の場所柄、交通の便が悪いみたいで、車なしで旅行するわたしたち――というより、健康に難点のあるわたし――には強行軍になりそうなのです。

 今年中には無理かもしれませんが、来年中には『不思議な接着剤』を仕上げたいと思っています。そのためにはこの作品の場合、取材旅行は不可欠です。何度も行けないからこそ、じっくり見てきたいと思うと、2泊は必要かなという気がします。

 『不思議な接着剤は、ホームページ『バルザックの女弟子になりたい!』でもご覧になれます⇒こちらKigenさんのすばらしい素材をお借りして、雰囲気のあるページになりました。

 プロットそのものは企業秘密? ですので、公開できませんが、試行錯誤の記録である『不思議な接着剤』ノートは、同じホームページでご覧になれます⇒こちら

 話題は変わりますが、9つ違うA…おねえ様――とちょっとふざけて呼ぶ癖がつきました――からお便りが届きました。創作活動を通じて知り合った女性で、たまたまですが、わたしは同じ時期に、いずれも同じ9つ離れた丑年の女性と知り合いになりました。皆さん、年女ですね。

 いずれも一本筋の通ったかたがたで、それだけに、わたしのこの珍妙な恥さらしブログをどう思われるか心配でした。温かな言葉が連ねてあって、ホッとしました。

 創作を続けている暮らしは、生涯をかけた旅に出ているようなもので、書いてさえいれば、途中はぐれても、またバッタリ出逢ったりする面白さがあります。

 短気な性分に生まれついたわたしですが、創作を通して、辛抱すること、長い目で見る大切さを教わった気がしています。

 純粋と打算、筋を通すことと合理的、といった要素を、状況に合わせてうまく調合していくコツ……は、まだまだ掴みきれていないかな。バルザックは破天荒に見えながら、この調合が絶妙な錬金術師だったと思います〔実際に彼はバラ十字会員だったようです〕。彼、オノレ(・ド・バルザック)は、おのれの根本目的を決して忘れず、物事の真価を見誤りませんでした。

 わたしは30代から心臓疾患などの病気に悩まされてきましたが、これは創作には必ずしもマイナスにはなりません。健康しか知らないお医者さんよりも、病気を体験したことのあるお医者さんのほうが、患者の気持ちになれる場合と、似たところがあります。

 といっても、創作は体力を必要としますので、あまりに病的とかひ弱なのは明らかなマイナス要素ですね。おねえ様が、「病と共存(?でいいのかしら)しつつ、信を曲げずにいらっしゃる年下の友(と呼んでさし支えないでしょうか)の存在は輝いて見えます」と書いてくださり、この手紙は宝物だわと思いました。

 勝手な引用でごめんなさい。あまりメロドラマ風になるのは好まれない、情の濃やかさとさっぱりした軽妙なところが溶け合っていらっしゃるおねえ様ですので、わたしの感激に呆れられたかもしれませんね。お忙しい毎日と拝察しますが、またいつか、おねえ様の小説、拝読したいです。

 また話題が変わりますが、息子の論文が雑誌に掲載されたら1冊送ってくれる約束で、もうしばらくしたら、手にできるのではないかと思います。

 科学雑誌の権威がネイチャーだということは、門外漢のわたしでも何となく知っていましたが、これには自然科学は全部載るのだそうです。ネイチャーに掲載されるのは大変なことのようで、連名で載るのが普通のこの雑誌に、息子の先生は個人の論文として掲載されたことがおありになるとか。連名のものも勿論あり、この分野における世界的権威というのは、その辺りから出てくるものでもあるのでしょうか。

 息子の論文はネイチャー、サイエンスといった権威筋からすると、マイナーな、物理の中でも化学に近いものだけが載る雑誌に載るのだそうですが、それでも嬉しいことのようで、わたしもその雑誌を手にできる日を待ち焦がれています。貰っても、読むというより、眺めるだけでしょうが。

 その論文では、先生は息子の名を筆頭にしてくださっているのだそうで、息子のような立場で、このような扱いは珍しいことだとか。優秀な先生だからこそ、そんな余裕がおありになるのでしょうね。

 ネイチャーに匹敵するような文芸雑誌は見当たりませんが、文学作品の出来不出来を測るのに模範となるものといえば、世界的なものでは今でもノーベル文学賞でしょうが、もし村上春樹がとれば、どうなるのでしょうか。わが国では、文学作品のレベルを測る装置としては、もうとうに芥川賞は壊れてしまっています。

 そのことを息子に話すと、科学の場合は成果が目に見えやすいから、といいました。オリンピックにおける記録といくらか似たところがあるのかもしれません。

 オリンピックでも、競技によっては芸術点などが勝敗を決める要素となったりして、すっきりしない気持ちを残すことがありますが、文学もその芸術点での評価が割合的に大きくて、難しいところがあるのでしょう。

 そうはいっても、過去の文豪クラスの作家たちの作品を読むと、名作と呼ばれるものには、目には見えない基準が厳然と存在する気がします。商業主義という目には見えない怪物がいなくなれば、寂しい限りでしょうが、今のわが国の状況は明らかに狂っている気がします。

 売れる作家のものを売りたいだけ売る、という方法をとられるということは、逆の見方をすれば、それだけ他の作家のものが出なくなるということでもありますから。

 バカ売れしている作家のものがどんなにいいのか、あるいは悪いのか、本当のところ、わたしにはわかりませんが、その作家のものだけがいいということはありえないということだけは確かです。

 わたしのように、これまでの半世紀間に様々なものが読めてきた世代はまだよいのですが、 若い人たちや子供たちが、商業戦略で、偏りのある読書傾向に呑まれていくのは見るに耐えないなあと感じてしまいます。

 ハンバーガーは美味しいけれど、そればかりでは健康に害が出るように、同じ作家の本ばかり読んでいては、様々な本の味わいがわからなくなるし、物事を見る目にも自ずと偏りが生じてくる気がします。ましてや、それがお酒だと、そればかりでは、人生がほどよく甘美になるどころかアル中に、廃人になります。

○当ブログのおすすめ記事:評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
                  〔ホームページでもお読みになれます⇒こちら

                  新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について

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