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2009年6月 1日 (月)

同人のおふたりと、電話で、重厚かつ軽いおしゃべり

 同人雑誌の合評会・懇親会には欠席することにしたが、『雲の影』の感想は伝えたいと思った。

 手紙にしようかとも考えたが、相手の現状を確認しながら感想を伝えるには電話でなければと思い、お電話した。お医者さんって、日曜日もお忙しいのだろうか、と思いつつ。

 当人が出られたので、名を告げ、忙しいようだったらかけ直すというと、「構いませんよ、いや、わたしもあなたにかけようかと思っていた」とのこと。

 それではいよいよ創作の世界から身を消すつもりなのかと緊張し、それを阻止したい思いで感想を滔々と――というより軽薄にペラペラと――捲くし立てた。どういうわけか、重大な場面ではわたしは軽くなってしまう性癖があるのだ。

 勿論いっていることは一応は考えぬいたことなのだが、口調が不真面目な感じになるというか軽くなってしまう。一つには、Kさんの雰囲気が極めてソフトだからかもしれない。

 尤も、過去に出席した親睦会では、わたしよりかなり年上の人が多かったにも拘らず、あまり年齢差を意識しなかった。創作は作者に若々しさを作り出す気がする。Kさんも、団塊の世代くらいにしか見えなかった。

 それでも、礼儀知らずはいけないと思い、気をつけるようにはしているのだが、失礼があるかもしれない。

 感想をいろいろと述べたが、どうやら、わたしが思っていることをそっくりKさんも思っているらしいことがわかった。書き上げた作品の位置づけに関しては自覚がおありで、『雲の影』は、戦前と戦後をつなぐ本邦初の作品という見方で一致した。

 戦前からの自然主義的な私小説の流れをくんで見事な作品群を物してこられたKさんの作風は、流麗でありながら決して美文調ではなく、お医者さんらしい周到な観察眼を感じさせる骨格のしっかりとした、完成度の高いものばかりであった。

 しかし、過去記事でも書いたように、《戦争を知らない子供たち》の一人であり、翻訳文学で育ったわたしのような者からすると、人物が背景のように描かれてしまうことに物足りなさがあった。ただ、これは意図的なものかもしれないとも思われた。

 個人主義、市民意識が西洋物には浸透していて、人物が確かな存在感を放ち、躍動している。作品の方向性としては、分析的、探求的だ。日本の私小説は視点が《私》であっても、シテはあくまで自然を含む環境的なものであって、人物はワキ的存在でしかない。作品の方向性は観賞的とでもいおうか。動と静の文学で、どちらがいい悪いではないと思うが、静だけの文学はもはや古臭いという感じがしてしまう。

 わたしはその点を、過去に舌足らずながら意見し、レオン・サーメリアンの『小説の技法』(西前孝監訳、旺史社、1989年)をお送りするという失礼にまで打って出た。敬服しているからこそ、わたしの考える完璧であってほしいといういささか身勝手な思いからだった。

 それが『雲の影』では完膚なきまでに、人物描写がなされていた。さすがだと感動の震えが起きたほどだった。書こうと思えばこれだけ書ける人であることを考えると、やはりこれまで人物に生彩が欠けているかに思われていたのは、むしろ技法であって、自然がシテで人物がワキだったからだろう。

 その区別が『雲の影』にはなく、これは何といえばいいのだろう、フーガのような作風だった。何という美しさであることか。神秘主義的にいえば、東洋と西洋の結婚だ。わが国の戦前と戦後の結婚だ。

「戦前と戦後をつなぐ作家は出ていませんでした。戦後、日本は浮き草のようになってしまい、文学はアメリカのものを大胆に吸収しましたが、放縦に流れて……文学は国のハートであり、頭脳に関係し、知的情操を担うものですから、もうこの国はめちゃくちゃになってしまっています。脳なんて、ほとんど溶けかけているんじゃないかしら」というと、Kさんは深く同調された。

「それが、『雲の影』でつながったんですよ。評価に時間はかかるかもしれませんが、この国の文学史に残る作品だと思います。ミューズの吐息がかかった作品ですから、必ず生き残りますよ。勿論、これがKさんの努力の賜物であることは承知していますけど」とわたしはいった。

「だから、やめないで。日本文学のために、もう少し基盤を作ってほしいのです。それに、Kさんの文学はここから新たな段階に入ったというのに、今やめるなんて惜しすぎます。わたしが後世の人間であるとしたら、『雲の影』以降の作品を読みたかったと思うでしょう。ご精進がこれまでどれほど大変だったかはお察ししますが、この国が救われるかどうかがかかっています。お仕事が、死後にしか評価されない可能性はあると思いますが、どうか」と、嘆願するようにわたしはいった。わたしは大袈裟なつもりは全くなかった。事実と希望を述べたにすぎないと思っている。

 Kさんはときどき、「ええ、そうですね」と相槌を打ちながら、わたしの言葉を物柔らかに受け止めていた。わかっていただけたようで、ホッとした。

 そして、「ところで、そのうち俳句の個人誌を出そうと考えているのですが、そのときはあなたにも呼びかけようと思っていた。お電話しようかとも思ったのだけど、懇親会のときにお話するつもりだったんです」と意外なことをおっしゃるではないか。

 なあんだ、何もかもやめるというわけではないのですね、驚かさないでください……と力が抜けた。でも、Kさんが小説を続けるという確証は掴めなかった。なぜ俳句? いや、短歌とおっしゃったんだったけ?

 ただ、こちらからお送りする作品は小説でもいいようだ。気に入らなければ、どんどん没にするという話だった。さっぱり呑み込めない話ではあったが、わたしは深入りを避けた。いつかKさんの個人誌に呼ばれるという言葉を今は希望としていたかった。

 Kさんはお医者さんらしく、「それで、あなたの体の具合は?」と訊いてきた。「あの街は遠いでしょ、ちょっと体調的に無理なんです」とわたし。

「1時間半だけどね。声は元気だ。お目にかかりたかったな」といってくださる。「もう少し元気になったら、文学論を交わしに行きますよ」とわたし。「呼ばれれば、こちらから、いつでも行きます」ともいってくださったが、社交辞令と受け止めた。診察の仕事もおありなのに、それは無理だろう。わたしのような若輩者にも対等に接してくださる心遣いが嬉しかった。

 で、わたしの評論『村上春樹と近代のノーベル文学賞作家たち』はなかなかよかったそうだ。「途中までは長々と引用ばっかりで、これは一体どがんなるやろかと思うとったら、最後にはきちんと纏まりがついていた」と、Kさんの方言交じりのユニークな口ぶりの底から匕首が光るような指摘。

「粗い作品であることは承知しています。これを、300枚くらいに膨らませたいんです」とわたし。ただ、内容が結構気に入られたことは感じとれたので、思わず口が滑ってしまった。「実はね、いずれK……論を書きたいと思っているんです」衝撃を覚えたようなKさんの沈黙。ありがたいことに、それは迷惑という感じの沈黙ではなかった。評論の腕を磨いた暁には、本当に書きたい。

 わたしのエールは伝わっただろうか。合評会・懇親会に出かけたとしても、これだけのことを伝えられるとは限らない。勧められたら、つい飲みたくなってしまうお酒……何をしゃべったかも記憶していられなかったかも……。他の同人のかたがたとお目にかかれないのは残念だが。

 ところで、同人雑誌が届くと必ずこの街での小さな合評会にお誘いくださるSさんから、そろそろお電話があるのではないかと思っていたら、お昼を回った頃にあった。

 あちこちの文学賞において百戦練磨のSさんの『鈴石』は、前日に読み込んでいた。

 こういってはナンだが、KさんとSさんの作風は対照的で、ウマが合わないようだ。わたしは同人雑誌でおふたりの作品を同時に読めた旨味を話した。時流に媚びず、そのために作家になれないところも、おふたりは似ているといった。

 高校の先生をしたあとカルチャーセンターで創作の講座を持っているSさんだが、生徒の中から賞をとる人が出てきたらしい。そのうちの一人と会う予定だそうで、「なかなか書ける人ですよ。出て来られませんか?」とおっしゃる。

「1週間は前にいっていただかないと、わたしは無理なんです。何しろ出るのに、時間がかかるんで」とわたし。「えー、同じ市内なのに?」と、お誘いのたびに同じ会話を繰り返している。行きつけの喫茶店がまた変わったようなので、教えて貰った。男性は学生みたいにフットワークが軽くていいなあと思う。まあわたしは特別行動が鈍くなっているのだが……。

 わたしの評論は評価を受けるのではないかといってくださる。「よく勉強されてるなあと思った。今は、評論を書ける人は少ないですよ。群像辺りに出してみては?」とSさん。「賞アレルギーなんです」とわたし。「そんなあ。出したからって、損はしませんよ」とSさん。そりゃ百戦百勝に近いSさんにとっては、そうだろう。わたしの作品は駄目だ。

 Sさんは文学界の裏側もかなりご存知だ。彼の反骨精神が作家デビューを妨げていることは間違いないようだが、そこのところはわたしもスケールは小さいとはいえ、同じ部類に属しているから、こうして電話をくださるのだろう。

 Sさんにいわせれば、わたしの作品は相当に個性的で、変わっているそうだ。そして、「男っぽい粗さがあるからなあ」と、今度はSさんの匕首がきらりと光った。それは認めざるをえないが、完璧な作風を物するおふたりから見れば、そりゃそう見えるだろうと自らをなぐさめた。

「やっぱり、そう見えますか、わたしの作品は。男性的で、荒っぽい?」と改めて訊くと、「顔を見ると、違うのにね」という答え。わたしはSさんにも、評論を300枚に脱皮させる計画について話した。「あなたの作品はすごく個性的だから、個性的な編集者に発見されないと駄目ですね。一旦好いたらどこまでも、という編集者はいると思う」

 出会っていないだけかもしれないと思えば、希望がわく。出会えないのも、作品がもう一つだからだろうと思っている。おふたりの作品の完成度の高さに学ばなくてはならない。

 そにしても、人の好みは違うもので、わたしの小説ではKさんには『侵入者』が意外にも好まれ、Sさんには、これも意外なことに『台風』が好まれているようだった。Kさんは『牡丹』がお嫌いで、Sさんはお好きだ。それを考えれば、自分が思うところの作品を手がけるほうが後悔が少ないという気がする。

 今回のSさんの『鈴石』は、何とも泥臭い、粘っこい、生と性の暗さを追求したような重苦しい、悲惨な、暗澹とさせられる作品だった。ここまでこの方面の追求ができる書き手は貴重だと思われた。

 が、これでは希望がない。ここまで希望がないのは、人物描写が深くないからではないだろうか。境遇の掘り下げと釣り合うだけの人物の掘り下げがなされていないと思った。

 どんなに悲惨なことが描かれていても、バルザックの作品に希望が満ちているのは作者の登場人物に対する理解の深さゆえではないかと考えられる。どんな登場人物も道具として扱われることが決してない。その違いではないかと思うのだ。村上春樹の作品が読後に気だるさを誘うのも、同じ理由からではないかと思う。

 わたしはうまく言葉が見つからないままに、人物描写に不足を感じるということを曖昧に述べた。勿論これは原稿枚数の問題ではない。また、「それにしても、この作品の世界にはリアリティがありますけど、どこまでが資料に添ったものなのだろうかと思ってしまいました」とわたし。彼の創作の秘密が知りたいと以前から思っていた。

「あ、ほとんどが創作です。あんなことがあるはずはないでしょ。勿論、前段階として調べたりはしますけど」とSさん。ああ、そうなんだと拍子抜けした。今回のストーリーでは、しゃれこうべに生えた骨茸という茸が出てきて、それは生前のその人の姿を現わすという言い伝えのある茸なのだ。

 ストーリーテラーSさんの作品にはよく骨が出てくる。骨腫に悩まされているわたしには、よけいに生々しく感じられる。

 作風は全く違うが、作品の完成度の高さ、登場人物の魅力が今一つという点で、KさんとSさんの作品に共通点があった。その点で登場人物の魅力も加えた今回のKさんの作品は、Sさんの作品に1歩先んじたとわたしは思った。

 大きな賞に輝いたKくんの作風はSさんと同じ系譜ですね、というと、「そうですよ。そう思います」という答えが返って来た。SさんはKくんの作品が好きで、応援されているようだ。

 同人雑誌は休刊になるけれど、こうして文学の話のできる仲間ができたことはありがたいことだとしみじみ思った。

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