『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に対する仲間うちでの評価
当ブログに収録している『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に対する仲間うちでの評判は、まずまずだ。
同人雑誌の合評会には体調の関係で出席できなかったが、同じ市に住むSさんは褒めてくれたし、今日いただいた発行人Kさんのお手紙には、「Nさんの評論、評判よかったですよ」とあった。
またSさんが講師を勤めている創作教室の生徒と名乗るかた――団塊世代に近い夫と同じお歳の男性だから、わたしより7歳年上――から一昨日お電話があり、身に余る絶賛を頂戴した。
「世界中探しても、あなたほど適切に村上春樹に関して批評が下せる人はいませんよ。わたしは十何年も前から、村上春樹の作品とマスコミの扱いに関しては不信感を持っていました。読後、彼の作品は倦怠感を誘うが、その原因がわからなかったところを、あなたの評論でわかったような気がしたのです。あなたの評論は広く読まれるべきです。彼の作品は病原菌や公害に似たところがあるとわたしは思っています。よくこれだけ深く掘り下げられたものだと感心しました。非常に冷静に分析を進められていて、しかも女性でしょう、驚きました」
お電話をいただく前は具合が悪くて横になっていたので、頭がボーッとしてすぐには文学の話題に応じられず、褒められていることがぴんとこなかった。それでいった。
「ありがとうございます。人それぞれで、わたしの批評を村上春樹の作品に対する誹謗中傷と解釈なさるかたもありますよ。わたしが女性で、しかもオバさんだから、作品の正体を見抜けるんじゃないでしょうか。もう少し若ければ、おそらく書けなかったでしょうし、もっと歳をとれば、きっとわたしは意地悪婆さんになるんでしょうね」
すると、「いいえ、ただオバさん化していくだけの人は多いですが、あなたのような歳のとりかたをする人がいることを思うと、これは一つの希望です」との驚くべきお言葉。
書いても報われないことばかりが常なので、盆と正月が……というより正月とクリスマスが一緒に来たようだったが、ただ、彼の作品を批評してほしいという申し出はお断りした。その余裕も自信もない。お目にかかりたいともいってくださったので、そのうちSさん行きつけの喫茶店で皆でお会いしましょうといった。
Sさん行きつけの喫茶店の常連メンバーと聞いているOさんからも、丁寧なお葉書をいただいた。八十路を目の前に……と文面にあったが、Sさんから、Oさんがひじょうに上品な紳士と伺っていた。同人雑誌が休刊になるが、頑張ってくださいという激励の言葉に、わたしがOさんの作品について「静かな湖面にも似た創作姿勢と馥郁とした筆力」と書いたことに対するお礼の言葉が書かれていた。
わたしの言葉なんかを喜んでくださるOさん、そしてKさん。まだまだ未熟で報われなくて当然のわたしとは異なり、高い評価を受けて当然と思われるこの先輩がたが、創作活動を淡々と送り続けて来られた長い年月を思うと、ナンだか涙が出てしまう。
昨年の入院中一緒だった読書家らしいMさんに、同人雑誌をお送りしたところ(小説『侵入者』の掲載された号と、今度の評論が掲載された休刊直前の号とを)、すぐにお電話をくださり、わたしの作品を一気に読んだとのこと。お世辞でも嬉しかった。わたしの作品とKさんの作品が印象に残ったそうだ。彼女の友人たちにわたしのことを自慢したそうで、キャリアウーマンで社会的にも活発な活動をしているというそのかたたちにも雑誌を回してくださるとのありがたい言葉だった。
ところで、70歳近いとはとても思えない、青年のように若々しい雰囲気を持つKさんだが、医業の傍ら俳句に打ち込んでいらっしゃるご様子。
何と短期間に600句も作ったそうだが、小説からしばし離れ、俳句に新鮮な悦びを見出して作りに作っている最中……といった段階なのだろうか。彫琢は、今しばらくその境地に遊んだあとで、といったところなのかもしれない。Kさんのタイプを思うと、水原秋櫻子の句が連想されるが、わたしは、せっかく確立されたかに見える小説の技法が錆びないうちに戻って、書いてほしい気がしてしまう。若々しいとはいっても、70歳という年齢を思えば、他人事ながら気が急く。
そして、もし本当に個人誌に加えていただけるとしたら、わたしはKさんの新しい小説と、それ以前に書かれたものの中から珠玉のような作品を選んで小論を書き、それを掲載してほしいと考えている。Kさんの作品にふさわしい評論が書けるだろうか。
娘はKさんの『雲の影』を一気に読んだ。息子は、ドストエフスキーのことを舞踊家だっけ? というくらい文学音痴なのだが、感性はわたしに似ていて、「詩人」とわたしが呼んでいる学生時代の先輩の詩のよさもわかるところがある。『雲の影』は年老いた恩師との交際を描いた作品で、実はその恩師の特徴が息子の所属していた研究室の先生にいくらか似ていたので、1冊送っていた。 〔『雲の影』の関連記事⇒https://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-9585.html〕
息子はそれを放置していたそうだが、たまたま先生に電話をかけたあとで思い出し、読んだそうだ。息子も一気に読んだといった。「次々に言葉が目に飛び込んで来た。本当に似たところがあるね。涙が出た」といった。息子の先生には作品の中の恩師のような哀愁は漂っていないのではないかと思うが(わたしに近い年齢で作品の恩師よりはずっとお若いし、ユニークなかたのようなので)、そう、本当に泣かせる作品だ。
恩師の人間像と作者の視線の温かさがいつまでも印象に残る。悲劇に終わる作品といってもよいが、恩師を含む数人の登場人物と語り手である「私」のそれぞれの心の綾が妙なる旋律を奏でて、四季の自然もそれに負けじと参加し、まるで文章で演奏される交響曲のよう。悲哀も含めて、これは賛歌だ。
そういえば、嬉しいことは重なるもので、前掲の「詩人」とわたしが呼んでいる学生時代の先輩〔彼女の作品はこちら〕にまだ書きかけではあるが、童話『不思議な接着剤』と『すみれ色の帽子』を送ったところ、電話をいただいた。
電話の向こうからこちらをまっすぐに見ているかのような彼女の澄んだ視線が雰囲気的に感じとれる中で、「母親としての体験が生きていると思いました。一つ一つの場面が浮かんできて、アニメにできそうね。横書きなのは……なぜ?」と彼女。
わたしは下書きの段階であることを改めて断った。彼女はいつもより言葉少なだったが、好感触を得た。初めて、対等に見てくれたのではないだろうか。それから彼女は洞窟の話題から、フランシス・ベーコンの洞窟のイドラの話などをした。登場はまだだが、プランでは造形ができている錬金術師の娘は彼女がモデルなのだ。それを以前にいったが、覚えているだろうか。
洞窟に囚われている錬金術師の娘は、統合失調症との長い闘いの中で苦しみながら成熟してきた彼女がモデルで、錬金術師の娘は誰の体にも存在するはずの良心(セオソフィー的に表現するなら高級マナス)をシンボライズしたものなのだ。
秋芳洞は山口県にあるが、山口県の萩が彼女の生まれた土地だ。わたしはその二つを訪ねて、『不思議な接着剤』の続きを書きたい。
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