原稿の枚数を減らすつらさ
評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を同人雑誌の編集人に送っていたところ、午前中、電話があった。
戦慄! 下手をすれば、掲載して貰えないことがあるからだ。第一、すんなり載せて貰えるときは電話がない。
「凄いじゃないですか!」とお褒めの言葉。戦慄! 凄いけれど、カラーが違うから載せられないという言葉もありうる。
それに編集人の言葉には微妙な含みがあった。それはそうだろう。賞の選考委員を勤めていられる編集人がお読みになれば、無視できない不穏な箇所がわたしの評論にはあるだろうから。
それに、編集人とわたしは元々文学観が違う。違いすぎるくらいだ。
でも、掲載はしていただけるようだ。ただ、枚数を15~16枚減らせとおっしゃる。91枚という長さで15~16枚も減らすということは、脚か腕の一本を切り落とせといわれるのに等しい。
こちらの都合からいうと目を剥く事態だが、編集人の都合からいえば、休刊になる前ということで、作品がどんどん集まり、嬉しい悲鳴なのだそうだ。枚数の問題は、まあいわば同人同士の土地争いだ。
午前中いっぱいかかって、何とか短くした。身を削ぐつらさがあった。アクの強い言葉、挑発的な言葉はどうしても必要というわけではないので、削いだ。評論としてはスマートになったかもしれないが、勝負服を剥ぎとられたようなものだった。
引用は、論の組み立てに必要なものを除いてはほぼ削った。ル・クレジオの作品からの引用は論に組み込んだものではなかった。彼のよさを端的に紹介できると思い、2作品から1箇所ずつ引用していたのだが、1箇所のみ残した。
わたしは編集人にお電話した。
「15~16枚減らせとおっしゃったので、何とか15枚減らしましたけれど」というと、「ええ……」と煮え切らないムードの編集人。
「16枚減らさなきゃだめですか?」と仕方なくわたし。「はい、16枚減らしてください。よろしく」と編集人。
わたしはうっすら怒りが込みあげてきた。この上、もう片方の手か脚を切り落とせというのか? ル・クレジオのあれを削れというのか? もう1枚削るとなると、そうなってしまう。
「15~16枚とおっしゃいましたよね。それは、15枚でもいいということでしょう?」とわたし。編集人は笑って「わかりました。それでいいでしょう」
「思い出はどうしましょうか。枚数がもったいないですから、わたしはよしましょうか」と若干の皮肉をこめていう。
「いえいえ。どんどん集まってきていますから、出してください。Kくんも出してくれていますよ」
この心境下で書けば、複雑な思い出を書くことになりそう。
91枚が76枚になった。痛い。これから何度か見直して、もう1枚削れれば削り、削れなければ削らずに(当たり前のことをいっている)、指示通りフロッピーに入れ、編集人に送ろうと思う。フロッピーなんて、使うのは久しぶりだ。
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