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2009年3月30日 (月)

時間のない中で

 小旅行疲れが出ているところへ風邪と生理痛のダブルパンチで、コンディションよくありません。

 原稿の整理に時間がかかり、作業がはかどらない上に、東京のホテルにいる息子とちょっと話をするつもりが、つい長話になってしまい、もう夜!

 ところで、その――今度を最後として休刊する同人雑誌に提出する――作品のことを書いたせいか、コメントをいただきました。村上春樹のエッセーに対するコメントは現在受付停止とさせていただいているため、そのかたへはお詫びと共にコメントに対するこちらの考えなどをしたため、返信しました。

 申し訳ありませんが、今後も、仮に村上春樹に関する記事へコメントを頂戴したとしても、コメントの公開は控えさせていただくことになり、気が向けば、こちらからメールを差し上げる程度の対応になります、ご了承くださいませ。

 で、明日までに原稿を提出できるかどうかは微妙です。タイトルだけは立派なものを考えました。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』。このような評論がなぜ、プロの間から出ないのか、不思議ですね。あるのかもしれませんが、書店によく出かけるわたしの目には触れません。

 時間がありませんので、ざっとですが、再度、村上春樹、パムク、レッシング、クレジオの作品に目を通しました。クレジオは、ご紹介済みだったかどうか忘れましたが、集英社文庫から、昨年の12月に『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』の第3刷が出ていましたので、それを購入していました。これは短編集で、未読の作品がありました。

 クレジオの作品を一読したところでは、アメリカの作家カポーティの柔らかなカメラワークにも似た意識のあり様を連想させますが、読み込んでいくと、感触の違いを覚えます。例えば『リュラビー』で、自然描写に物理学が自然から浮き出るかの如く少女の頭脳をフィルターとして出現する辺り、フランスを感じさせます。カポーティも知的な作家ですが、自然描写は、もっとあたたかな人間臭のあるものですね。

 オルハン・パムクについては、本当はもっと読み、考えたいのですが、とりあえずは、雑感というかたちでこれまでに感じたところを書くしかありません。谷崎潤一郎に似た博覧強記を感じさせるところ、自国の文化に寄せる手放しといってよいような関心・情緒(陰性の縛りがありません)についても、考えが途中なのですが、今回はどうやら時間切れです。

 レッシングの乾いた知性、強烈な社会性は他の作品にも共通したものではないかという気がしますが、どうなのでしょう。

 この3者には、社会を鋭く包括的に見つめ、文化を継承しようとする者としての知性と責任感が多かれ少なかれ感じられますが、村上春樹には不思議なくらい、それがありません。サリン事件の被害者をインタビューするなど、社会的な行動は起こしますが、なぜ子供っぽく感じられるのか。彼の諸作品にその原因を求めるのが筋でしょう。

 そうした点で、わたしの村上春樹に関するエッセーは的を射たところがあると考えています。

 これまでにここに書いてきた記事が資料となります。訪問くださるかたがたの視線を太陽の光のように、あるいは月の光のように浴びて、わたしの記事は脱皮するともいえます。

 出だしは、次のようなものになるでしょう。

 ここ数年、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれてきた。既に海外でも相当に人気があるという村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだ。

 2006年10月12日に現代トルコの代表的作家であるオルハン・パムクが12日、ノーベル文学賞に決定したと報道されたとき、受賞を逃した村上春樹の地元で、恩師や親しいかたがたの残念がっている姿がネットニュースの画面に映し出され、日本的なそのごく普通の穏和な光景に、わたしは何か不思議なものを見たような感慨を覚えた。

 そして、藤原書店の出版物でその名と作品名をたびたび見ていたわたしは、ブッククラブ会員(年会費2千円)用の葉書で、さっそくパムクの『わが名は紅』を注文した。

 それにしても、愕然としたのは、既に欧州各国の文学賞を受けて世界的ベストセラーになっていたという98年の『わが名は紅』、ほかに『雪』が藤原書店から上梓されているだけで、トルコで最も権威ある文学賞を受けた82年のデビュー作『ジェヴデット氏と息子たち』も、83年『静かな家』も、85年『白い城』も、90年『黒い書』も、わが国の出版社からは出ていなかったという事実だった。

 一体、わが国の出版事情はどうなっているのかと首を傾げざるをえなかった。ノーベル文学賞が期待されていた村上春樹の諸著書が書店の目立つ場所に溢れていたのに比べ、また何という……。このことで、わが国における出版傾向、書店での扱いが如何にバランスを欠いた、問題を孕んだものであるかが露呈された。「知的情操」にとって、出版界は間違いなく危機的状況をつくり出しているといえよう。

 ちなみに、ここ数年のノーベル文学賞受賞者は、次の通りである。

2006年 オルハン・パムク
2007年 ドリス・レッシング
2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ

 村上春樹の名に隠れるかの如く、彼らノーベル文学賞受賞者はいずれも大して話題とならなかった。

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