第2回口頭弁論雑感と瓢箪(原告側の書証)から駒
10分強の第2回口頭弁論は、弁護士をつけていないわたしたち被告の準備書面の不備を指摘し、いきなりおかしなことをいい始めた原告らに、「いいたいことがあれば、準備書面に書いてきなさい」と命じただけで終わりました。
わたしたち被告にはやつれが目立ちましたが、原告である父夫婦は若返ったように生き生きとしていました。奥さんの表情は険しく、重たげでしたけれど。父には、調停のときの異常な雰囲気はなく、普通に見えました。
ぞっとさせられたのは、またしても裁判官が訴状にも準備書面にも目を通していないらしいことがわかったという点でした。
冷やかな面倒臭そうな表情の裁判官が登場し、裁判が始まりましたが、裁判官は書記官が揃えた準備書面と書証を確認しながら、書記官に「これは日付がない。これには印がないじゃないか。こんなのは、させといてよ。あとで、日付の記入と印を押すの、させなさい」と裁判官。
印がなかったのはお医者さんの準備書面、日付が欠けていたのは叔母の準備書面でした。わたしの準備書面はスタイルは整っていたようですが、証拠品――乙第1号証、乙第2号証――として提出した記録ノートの写しと調停期日呼出状の写しに、乙第1号証、乙第2号証の記載が欠けていました。
裁判官から記録ノートの写しを、それが何なのか、日記なのか手帳なのかと訊かれました。わたしは「それについては、準備書面に書いています」と答えました。すると、裁判官は、「今ここで、それは何なのか、訊いているじゃないか」と苦々しげにいいました。
わたしたちが何かいおうとしても、遮るように「それは準備書面に」という癖に、裁判官が準備書面はおろか訴状の内容すら把握していないのは明らかでした。が、わたしには別に裁判官の職務怠慢を指摘する意図はなく、変な訴状の内容に対応するために、特殊な記録ノートを提出する必要があったので、それがどんなものかを口頭で説明するより、準備書面を見て貰うほうがいいと思い、準備書面に書いていますといったまででした。
「これは……ずいぶん日付が飛んでいるようだが、裁判が始まってから作成したものではないだろうね?」と疑わしげに裁判官。
「いいえ。当時、記録したものです」とわたし。
「何のために?」と裁判官。
「原告らの言動がおかしいと思うようになってから、記録しておこうと思い、ノートを作ったのです。でも、中断してしまいました。現物も持ってきていますよ」とわたし。
すると、裁判官は何もいいませんでした。そして、調停期日呼出状の写しについても裁判官は尋ねようとしましたが、書記官が駆け寄って、「ああ、それは……」と小声で説明を加えていました。
それは、前回わたしが裁判官に一昨年の調停の話をし、原告らに精神疾患が疑われると調停委員たちはいい、不成立に終わったというと、そうしたことは準備書面に書くようにと彼はいい、書記官から調停期日呼出状を証拠品として提出するように勧められたから、そうしたものなのです。
裁判官は、今度は、印のないお医者さんの準備書面に注意を移し、「こういう文書には、印を押すのが常識だろうが」と吐き捨てるようにいいました。
いきなり訴えられ、弁護士を雇えと書記官にいわれてもそんな理不尽なことに応じるつもりはないわたしたち被告でしたが、突然の素人芸では、準備書面に不備があっても自然なことでしょう。
わたしはネットと本で調べましたが、証拠品にも乙第○号証と入れるべきかどうかがどうしてもわかりませんでした。下手に証拠品に手を加えたらまずいのかもしれないとも思い、そのままで提出してしまいました。送る前に書記官に確かめて、完璧に処理しておくべきだったとわかりました。
素人ですから、裁判の進行と共に学ぶほかはないのです。サポート体制もないまま、高額の弁護士費用を捻出できなければ、自力で弁護士と同じレベルでやれ、といわれても土台無理な話です。それがわたしたちのせいでしょうか?
裁判官が訴状の内容さえ把握してくれていたら、わたしたち被告に対する態度は違ったのではないかと想像します。原告である父夫婦は弁護士に書類作成を依頼しているようですから、スタイルだけは完璧なのでしょう。裁判官の態度は、原告らにはいくぶん柔らかです。
ネットで調べたところでは、ろくに準備書面も読まないまま偏った判決を下す職務怠慢な裁判官は珍しくないようです。殊に傍聴人の少ない地方の裁判所などで、そうしたことが起きやすいとある弁護士はネットで語り、対策としてなるべく沢山傍聴人を連れて行くようにといっていました。
そういわれても、10分程度の口頭弁論の傍聴に遠路遥々来てくれるほど他人は暇ではありません。日本の裁判がこんなものだったとは、本当に情けない話です。わたしは法学部でしたが、もっとましなものだと信じきっていました。文学界に幻滅し、今度は法曹界に幻滅したわけです。
外部の目を入れるために、裁判員制度は必要でしょう。裁判を体験してから、わたしはそのように考えが変わりました。
原告らは弁護士に作成して貰ったスタイルの完璧な――内容は滅茶苦茶な――書証を大量に持ち込んでいました。一抱えはあるそれのコピーを、書記官は被告全員に配りました。
父方、母方のわたしの祖父母の代からの一族の戸籍謄本からの抜粋(従兄が提供を拒んだとして原告らはそれを不服としています)、原告の一人である奥さんの戸籍謄本からの抜粋、妹の結納のときの写真(原告らは不審人物が写っているとしていますが、何のことはなく、その人たちは妹のご主人のほうの親戚です)の写し、母と妹の手紙の写し、パスポート、保険、給与明細、船員保険年金、登記関係書類の写し、撤回の印の押された2通の「遺言公正証書」の写し、撤回の印の押されていない「遺言公正証書」の写し、いろいろな人々の名刺、警察本部から届いた封筒の写しまであります。
何しろ、甲第162号証まであるのですから。
警察本部からの封筒の写しには、「平成20年2/4午前10時頃面会刑事2人見えた待合室**(※地名)愛人の子がほかにいるやろ」と手書きでありますが、これが何を意味しているのかはわたしには不明。よくこれだけ集めたものだと感心しました。このリサーチ力に文才が加われば、第一級の文学作品を仕上げられるのではないかと想像してしまいました。
叔母は、この膨大な馬鹿げた資料を見て嘆きの声をあげ、書記官に「わたしはこんなもの、要りません。捨ててください」といいました。すると書記官は、「いえー、お持ちになってください」といいました。わたしたち被告は受けとり証を書かされました。
わたしはどこか、やはり、頭のおかしな父の頭のおかしな娘です。おぞましい書証の束がお宝の山に見え、思わず目が輝いてしまいました! なぜって、これのお蔭で、父夫婦が何という弁護士に書類の作成や調査を頼んだかがわかったばかりか、これまでにかかった費用までわかったのです。
それだけでなく、両親が金持ちだったこともわかりました。わたしには両親が金持ちに思えたり、そうでなく思えたりしていたのです。
わたしは膀胱神経症のために思うような受験ができませんでした。両親のお金があれば、浪人できたでしょうし、重体の母の付き添いで駄目になった就職にも、両親の金銭的なサポートで再チャレンジできたでしょう。夫が羽目を外して借金をこしらえたときも、夫の両親でなくて、父にお金を借りられたでしょう(まだその頃は再婚前で、父もまともでした)。娘にも振袖ぐらい買ってやれたでしょう。本の1冊くらい出して貰えたかも。
いえいえ、それは所詮は幻想です。しまり屋の父がそんなことにお金を出すはずがありません。少し貧乏な家の父親がするくらいのことはしてくれても、それ以上は望めなかったはずです。遺産は全部奥さんに行くことになっていますが、それで奥さんは何が不満なのでしょうか。わたしたち姉妹に遺留分があることすら不満なのでしょうか。できれば、わたしたちに死んでほしいのでしょう。
現在、父には毎月の年金で、夫の給料の倍近くのお金が入っています。仮に貯金がゼロだとしても、普段の暮らしは質素な父夫婦ですから、ひと月でお金が貯まるでしょう。貯金もかなりの額があるに違いないと想像できます。退職金が入ったときに、税金対策をしたほどですものね。だから、遺産を狙われているのではないかという心配も生じたのでしょう。
馬鹿なわたしは、そんな父に同情までしていたわけです。ああなったのは自業自得です。自分の欲、奥さんの欲のために、彼らは自分たちでおかしくなったのです。そんな彼らに、何の同情が要りますか?
わたしたちはとにかく、弁護士が背後にいる父夫婦にはいくぶん好意的な裁判官から、おかしな判決をいい渡されないよう用心しなければなりません。前途多難です。どんなに立派な準備書面を作成しても、読んで貰えなければ紙屑と同じですから。しばしば文学賞応募で遭ったのと同じ目に、今度は文学界ではなくて法曹界から遭わされるなんて、御免です。
今回の裁判の終わりがけに、奥さんが唐突に、わたしたち姉妹が最近父夫婦の家に忍び込んで、発禁になった『自殺のすすめ』を嫌がらせに置いていったといいました。そればかりか、母が亡くなったときに、わたしたち姉妹が彼女に電話をかけて何か(唖然となって、聞き逃してしまいました)をいったといいました。まだ彼女と父が知り合ってもいない頃の話です。
奥さんは見事な狂い様ですが、原告らの訴えの内容を把握していない裁判官は普通の顔を彼女に向けて、「それは、準備書面に書いてきなさい」といいました。彼は父に、書証が膨らんで仕様がないから、もしあれば今度までにまとめて出してしまうようにといいましたが、訴えの内容を一向に把握していない裁判官自らが準備書面や書証を膨らませているとしか、わたしには思えませんでした。
ただ、原告らの書証から、知りたかった奥さんの実家の住所がわかりました。彼女の両親は正式に結婚していないようです。30歳近くになって、父方の伯母が彼女を養女にしています。
また、これは本当に瓢箪から駒ですが、大庄屋だったというわたしの母方の祖母の旧姓がN・・・とわかりました。わたしはそんなことも知らなかったのです。伯母がわたしの名をつけてくれたのですが、祖母の名からとったと聞いていました。ああ祖母の旧姓から一字をとったのだと感動しました。
珍しい姓で、わたしは初めて目にしました。
母方の祖母の実家が大庄屋だったとすると、少なくとも農地改革までは、古代史によく出てくるあの辺りの土地も所有していたのではないかと思っていたのですが、ネット検索してみると、あの辺りにN…の名を入れたマンションの物件を紹介しているN…という不動産屋が出てきました。そのN…不動産はやはりあの辺りにありました。
また、劉邦系の支族にN…があるとネットに出ていましたが、話が雄大すぎてとても本当とは思えず、引っ越しを明日にして忙しいだろうとは思いつつも、歴史に詳しい息子にそのことをメールしてみました。
すると、以下のようなメールが帰ってきました。
私も〔その名字は〕はじめて聞いたな。ネットで調べると、大蔵氏の庶流に名が出る(大蔵氏で検索すると「日本の名字七千傑」にあたる)。このこと自体は私は確証がとれないけれど、大蔵氏は知っている。大蔵氏と言えば、いわゆる東漢(やまとのあや)で、渡来系であるのは確か。同じ大蔵姓では私が知る限り、秋月氏と原田氏が有名で、どちらも筑前の有力氏族。時代的には室町以降まで勢力があり(近代まで生き残る可能性が高い)、しかも地理的に近い。N…氏自体あまりない名字なので、この曾祖母の家が大蔵姓庶流N…氏であることにまず間違いないと思う。確かだと思う。
そういえば、日田氏も豊後大蔵氏と言うね。
またこれで何かしら点と点が……いやいや、急ぐのはやめましょう。でも、歴史に興味のあるわたしには、興味深い駒であったことに間違いありません。
法を司る木星はまた、学問や外国との関わりを司る星でもあります。わたしのホロスコープにある転んでもただでは起きないとは、このことでしょうか。重圧ばかりをもたらすように感じられる今回の裁判沙汰ではありますけれど、一方では親戚とのスキンシップや史学的恵みももたらしてくれました。人生とは何て不思議なものなのでしょう。まさに、事実は小説より奇なりです。
※卑弥呼関係の記事は左サイドバーにあります。
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