裁判の記事に関して
わたしの裁判の記事に関して、まだ20歳代の若い方から 「近親同士そういったことがあったらと考えると、実にかなしく、また興味深くもあります」という感想をいただきました。
わたしはその言葉に対して、
「裁判という形には発展しましたが、これは老人問題といっていいかもしれません。憎みあってのことではないので、かえって難しいともいえます。下手をすれば、こちらが生活の基盤を失うことになりかねず、そうすると、父たちを助けることもできなくなるので、この裁判をどう持っていけばいいのかと、真剣にならざるをえません。芸術が現実から霊感を汲み取ることを考えれば、こうした体験こそ重要だと思い、耐えています」とお返事をしました。
わたしの裁判に関する記事が、閲覧してくださる方々の多くを悲しませていると想像すると、このような記事は公開しないほうがよいだろうか、という迷いが生じます。幸い、メールをくださった若い方は、興味深くもあるとつけ加えてくださいましたが、中には、暗い、心を冷やす記事ばかり公開する『マダムNの覚書』にはもう行きたくないと思われる方もいらっしゃるでしょう。そう思われても当然ですので、わたしとしては、それはそれで仕方がないと割り切るしかありません。
第1回口頭弁論に出かけたとき、わたしたち親族とは別に被告にさせられてしまった方の奥様から、骨肉の争いといわれ、その言葉はわたしの胸を刺しました。どう言い訳しても、他人の目にはそう映るのだろうと思います。
ただ、わたしはそれに対する言い訳のために、裁判の記事を公開したいと思ったわけではありません。裁判の記事は、カテゴリー『父の問題』に含まれています。
骨肉の争いと単純化できない複雑な問題が、この裁判沙汰には潜んでいると感じられるからです。被害者の立場でこの問題を採り上げたわけではなく、作家の卵として採り上げました。また、近く裁判員制度が導入されようとしていますが、実際に被告として裁判の場に引っ張り出された一庶民の素朴な驚きと疑問、そうしたものも記録としてしっかり残していきたいと考えています。
今後共、『マダムNの覚書』をよろしくお願い致します。
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