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2009年2月11日 (水)

マスコミの麻生首相バッシングに潜む、根本的なおかしさ

 10日付、毎日jpに『麻生首相:郵政選挙で迷走発言…また弁解http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090211k0000m010085000c.html』という記事があり、閲覧した。

 最近、麻生首相に対するマスコミの批判的報道がやたらと目につくが、前掲の記事を例にとってみても、その報道の仕方自体に、わたしは根本的なおかしさを感じる。

 いきさつを掻い摘んでいうと、麻生首相は、郵政選挙が民営化を問うただけのもので、国民は内容をよく知らなかったとして、4分社化を見直す考えを示した。が、その後、釈明に追われた。

 記事によると、麻生首相は10日、小泉元首相に電話し、自らの発言について説明。小泉氏は「あの当時は皆反対だったからな」と問題視しない考えを伝えたという。

 麻生首相は、記者団とのやり取りでは、「言っていることが矛盾しているとは考えていないのか」と追及されたりしている。

 あの当時の独特のムードを知るには、当ブログにおけるわたしのエッセー、映画『ヒトラー最期の12日間』を観てを読んでいただければ足りると思う。

 郵政4分社化がなぜ必要なのか、国民の大半はよくわからないまま、マスコミが盛り立てた小泉劇場に喝采し、何となくそのことで政官財の癒着が断ち切られると期待し、それが自分たちの生活をよくしてくれるような錯覚を起こして賛成したというのが実態ではないだろうか。

 あの郵政選挙自体が異常なものだったのだ。そのことは、前掲の記事の中の小泉氏の言葉で証明できる。小泉氏は言ったそうだ。「あの当時は皆反対だったからな」。そう、皆が反対だったにも拘らず、通った法案だったのだ。こんなおかしなことがあるだろうか? マスコミはなぜ、それを問題にはしないのか。

 麻生首相の言葉も、マスコミの採り上げかた次第では、郵政民営化の推進力となった新自由主義の欠陥をあぶり出し、小泉氏によって骨抜きにされた民主主義を国民の手に取り戻す助けともなるだろうに。

 マスコミを味方につけることのできない麻生首相が憐れだ。

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